明治維新は狭義には1868年。日本史の教科書でもそうなっている。
ただよくよくおさらいしてみると、この年はいわゆる元号が改元されて「慶應」から「明治」に改元されたというに過ぎない。「維新」の色々な動きは、この後に起きている。
うっかり混同してしまいがちなところだが、憲法も国会も追々に追っかけで、出来あがっていく。
明治政府も、いうまでもなく明治維新と同時に成立したわけではなかった。
このへんが、フランス革命とかアメリカの独立とかそういう歴史上重要な年号との大きな違いだろう。
たしかに教科書には「1867年の大政奉還を受けて討幕派の薩摩藩や長州藩が中心となり新政府が成立した」などと書かれているが、この時点では「国会」が開かれているわけではなし。
言ってしまえば、大久保利通は「独裁者」のようなものだった。
「国会」が開かれるようになるのは、1877年に自由民権運動の結社の一つ立志社が「国会開設建白」を行って以降のことになる。
高度成長期の3種の神器のように、「国会」を、ぜひ備えたいもの、ないと恥ずかしいもの、として多くの人が心底望んだものであったとは思えない。
続いて1889年に大日本帝国憲法が発布、翌年施行される。
明治初年には、維新=西洋文化と改革の動きに抵抗する「新政反対一揆」も起きている。
言ってしまえば、良くも悪くも空気のように当たり前のものになっているかに見える「憲法」「国会」「内閣」「政府」などなど、その根拠をあらためて見直す機会も、3・11がもたらした小さくない揺動の一つだ。
(続く)