私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。
――村上龍「危機的状況の中の希望」3月16日、ニューヨークタイムズに英訳掲載された寄稿文を「タイムアウト東京」が日本語に訳して掲載した記事から引用
村上龍氏には、氏が確か『コインロッカー・ベイビーズ』を書いていた頃、電話インタビューをしている。「あなたにとって、日本とは?」といったテーマだった。
日本の作家で特に意識している人はいますか?と聞くと、谷崎潤一郎という答えが返って来た。
村上龍らしいと思う反面、ちょっと意外な感じもあったので、話を締めるために「たとえば、どんな描写が?」と突っ込んだのを覚えている。その答えについては、まあまた書くこともある、かも知れない。
なんにせよえんじんは、村上龍の作品には、ほとんど共感したことがない。
ただ、この16日に掲載された寄稿文には、この状況下で同じ東京に暮らす人として、ただ共感する。
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。(中略)全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
この寄稿文が書かれてから、すでに2日が経過している。事態は、とりわけ原発災害についてほとんど何も進展していないどころか、時限爆弾を抱えているような状態が続いている。
氏の言う「希望の種」が、現実に育っていくことを祈るばかり。