「想定外」という言葉は、死語になるだろう。 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks
いま、もっとも使いたくない言葉が「想定外」という言葉です。

これからも、

「想定外なんて、言ってんじゃねえよ!」

というふうにしか使うことはないでしょう。

「知って花実が咲くものか」

この一週間、この変な言葉が浮かんで離れません。

そういうことも、あるのです。

しかし、「人災」と「天災」の違いは、はっきりと知っておくべきです。

そして、「反原発」教からも「安全神話」教からも遠く離れた地点で、

何を知るべきなのか、徹底的に知る努力を始めるべきです。

べきなのですが同時に、その地点を知ることがもっとも困難です。



現時点では、命懸けの努力を敷地内で続けている現場の方々に感謝しつつ、福島原発の「冷却」作業が無事に完了することを祈るしかありません。

しかし、祈るだけでは現在から数ミリでも先に向けての、

構想をしていくことは不可能です。

65年前の広島・長崎への原爆投下で、

世界でただ一つの「最初」の「被爆国」とされた日本で、

どうしてこうも、放射能レベルや放射線量についての
知識が乏しいのか?

そして、なぜこうも原子力災害に対する対策と備えが、絶句するほかないほど手薄であり続けたのか?

それを、一般人にとって「想定外」の専門的知識を必要とするので、

専門家と技術者と電力会社と、政府・機関に任せるほかない、と考えてはならなかった。

原爆を投下した当の米国では、早くから核爆弾攻撃を受けた際の避難訓練、避難マニュアルを小学生レベルから実施してきています。冷戦時代のことです。

被「曝」と被「爆」は、まったく同じものとは言えません。

しかし、広島の被爆者を対象に、詳細な原爆投下時の放射線量と影響範囲の計測、人体への影響の測定を行ってデータを持ち帰ったアメリカは、原発事故の際の防災対策のハンドブックをはじめ、核戦争を想定した避難訓練のマニュアルに至るまで生かしてきた。

「原子力の平和利用」という神話を信仰してきたのは、

「被爆国である日本」だけなのかも知れません。

これが、大災害から7日経っても止まない「悔し涙」の理由の一つです。

そして、天災による甚大な不幸のうえに、まだ災害は進行中です。

天災のうえにさらに襲う災害。

その災害は人災であって、それは「想定外」の天災によるものでは、ありません。

(続く)