テーマカテゴリ「出版術」か、「職業としての編集技術」がピッタリなはずですが、
なぜか毒吐く「高橋是清日記」と(笑)
NHKスペシャル見ちまったせいで深夜の更新。
八百長力士の話を聞いていると、映画「ブラック・レイン」
で松田優作が演じたネオ・ヤクーザ「Sato」のことを思い出す。力士がやくざだって言いたいわけではまったくなくて。
まあ、この話は長くなるので。
相撲部屋に限らず、かつては「無給」なんてのはザラにあった。要するに師匠んとこに住み込みで修行する。
芸事や職人さんの世界だけでなくて、一見華やかなファッションカメラマン、写真家の世界にも。
いま40代の人だってそういう世界を経験している。そういうカメラマンと仕事してきたし、えんじんは数人そういう写真家を知っている。
問題は、「いまの若いもんにそんなこと言ったって通じない」。これが問題。
「いまの若いもん」? そういう若いもんは、いつ登場したか、年代、いや年月日まで特定できる。
「最近の若い者は」という台詞は、いつの時代にも言われてきたという、そういう若いもんとは、まるで違うということに気付かないといけない。いや、今度の八百長力士の年代は確認してないけども、そういうことが起き始めた年月日は特定できるのである。
はしょって言っとくと「ハングリー精神」なんて言葉が死語になっていく時と、同時だ。
カネなんかに負けるんじゃない、ってな言葉が通じなくなっていく時の流れと同時だ。
幕下はギャラなし。住み込みだから。それで稽古つけてもらってるわけだから。
何年がかりかで十両になると月100万円になる。
十三枚目か十五枚目くらいで、「幕下転落」の危機を感じると、そわそわし始める。
野球だったら、二軍落ちだが、こっちはチームプレイだからね。実力主義であることは同じでも。
そわそわしようがない。落ちるときは落ちる。
それが力士になると、なんでこうなのか。まさか、時給とか月給アタマで自分の仕事を考えてるわけではないと思うけど。ガチンコで、それでも落ちたらしょうがないって覚悟なくして力士じゃないだろ。
話は、これで終わらない。
「八百長」ちゅうもんの解釈と「国技」っつーもんの解釈。
プロレスにはつきものの「反則」のようなエンタメがない。
誤解を恐れずに言えば、勝負に八百長はある。しかし、八百長の存在がそのエンタメ全体を、お取りつぶしにする要因になったことはない。
いわんや人情相撲という、わざと負ける一種の八百長を、観る側も許容して楽しんだのが相撲の歴史。
なんかおかしい。とか書いてるうちに、えんじんの「一人親方」な仕事にオチがつかなくなって来た(笑)
明日また、取り直すことにします。