これは、なかなか気付きにくいことだと思います。
たとえば、牛丼を注文したつもりだったのに、豚丼が来てしまった(笑)
あまりに卑近な話で恐縮ですが、これも「アプローチが間違っていたかもしれない」例です。
牛丼と言ったつもりなのに、豚丼が運ばれて来た場合、お客さんのほうは、「店員が聞き間違えたのだ」と瞬時に判断します。ごく自然なことです。
事実、お客さんのほうが何かの拍子で、頭のなかでは牛丼を思い浮かべながら「豚丼」と言ってしまっていることが100%ないとは言えない。
しかし店員さんは、お客さんには譲ろうとします。「豚丼」って確かに聞いたんだけどなあと思いながらも、99.9%の店員さんは「申し訳ございません。すぐにお取り替えします」と返答するはずです。
ここで、「いや私は確かに豚丼と聞きました。豚丼とおっしゃいました」と事実関係を正そうとするのは、販売の現場ではロスにこそなれ、メリットは何もないからです。
価格が同じであればなおさらですし、たぶん牛丼のほうが豚丼より高価なはずですし(笑)。逆の場合でも事情は変わらないでしょう。
しかし、別の対応をするお客さんもいるはずです。
「牛丼頼んだはずだけど、まあいいか」と心のなかでつぶやいて、何もなかったように「豚丼」を食べて勘定を済ませる。そういうこともあるはずです。
とにかく急いで食事を済ませたいとか、特に豚アレルギーもないとか、ここで正すのもなんだかなあと判断する場合。
これは瞬時に、自分のアプローチが間違っていたかもしれない(この場合は言い間違い、もしくは聞き間違いの原因が自分にあったかも知れない)という判断と、「とにかく前に進もう」という判断が下されているわけです。
つまり、「アプローチの仕方を変えた」ということです。初期のアプローチが正しかろうと間違っていようと関係なく、「変えた」ということになります。
身近な例であり過ぎて、かえってわかりにくくなったかもしれません。
わたしたちは、豚丼か牛丼か、「どちらかが来る」というような世界ではないところで判断を下さなければならないことがある。
何が来るか容易には想像できない。たいていがイエスかノーか、成功か失敗かの二値で動いているように見える場合も、アプローチの過程に実は成功か失敗かという二値では掴めないような果実が生まれていることがある。
それに気付くには、アプローチが間違っているかもしれない?と考えてみることです。
二値論理の成功と失敗にだけ、焦点を合わせすぎると、足下に生まれているかもしれない「青い鳥」を、取り逃してしまう、ということはあるものです。