ちょっと「事業」が立ちゆかなくなったからと言って・・・メシ喰うな! | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

「事業」というとピンと来ない方もいらっしゃるでしょうが、


毎日続けている「仕事」でもいいですし、何か書き継いでいきたいと思っているテーマでもいい。


それがうまく行かないってなときに、すぐに宗旨変えして、あっちこっち走り回りますか?


という話です。


立ちゆかせたいものがあるなら、まずそれ以外の出費で切り詰められるものはないか、何か手当する手立てはないか、それを考える。ない知恵を絞るということもあって然るべき。


然るに、出ないパチンコ台を見限って、次の台へ、もしくは別の店へと走り回るような御仁が、「独立起業」などという美辞麗句を吐きチラシながら、焼き畑農業のように河岸を変え、「稼ぎ」に走る様について書いて来ました。

(まだ、事情あって公開には至っていませんが)。


あまり一般的でない例で恐縮ですが、立ちゆかせたいテーマで物を書きながらも、それ一本ではとても食えない時代に、中上健次という作家は、飯場にいました。工事現場ですね。体は屈強なほうでしたから、「小説」を書くという「事業」を体で支えたわけですね。


逆に言えば、事業を続けたいという意志が、飯場での仕事をも支えた。


短編集『岬』で芥川賞を受けますが、1992年に46歳で亡くなっています。


まあ、こういうタイプの作家はもういない。その意味、「最後の作家」と言っていいかもしれません。

岬 (文春文庫 な 4-1)/中上 健次
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ロバート・キヨサキという人も「近い」ことを言っています。この人の言ってること全てを認めるわけではないですが、勤め先が倒産して、明日からどうしようってなったとき、ホームレスになる覚悟で、「動くな」と言っていたと思います。再就職活動を焦ってするんじゃない、ハローワークに行くな、みたいなことを言ってるわけです。


あなたの「事業」を立ちゆかせるチャンスになるかもしれない、みたいなことですね。


もちろん、万人に通用する考え方ではないでしょう。しかし、「我が計らい」をビジネスと称して、焼き畑を繰り返す御仁には、いい薬になるかも、ですね。だいたい、そういう連中に限って、「稼ぎ」「稼ぎ」と、チョーうるさいのが相場です。


それが、本当に育み続けていきたい「事業」であるのなら、それを立ちゆかせるための行き方を示して、だから助けてくれませんかと言うべきなのです。


むしろ


メシ、喰うな!


と、自身に一度くらいは言ってみるべきでしょう。


これは、町田康が、パンクロッカーだったころの最初のCDのタイトル。


いろんな解釈ができますが、「事業」を継続したいときの、立派な姿勢の一つであると、えんじんには思えるわけで。


町田康の詩は、こないだの「新潮」にも掲載されてます。



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-町田康CD詩集

おまえらは全く自分という名の空間に
耐えられなくなるからといってメシばかり
喰いやがって

メシ喰うな

PS.


水道まで止められて、恥の一念で、誰にも「助けて」ということもできず、


餓死して果てた母子がいましたが、


メシ、喰うな!を実践すべきは、こうした母子ではもちろんなく、


事業を僭称し続け、


「稼ぎ」と言いチラシ続ける輩のほうです。


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