今日発売の週刊「東洋経済」哲学特集号は、「哲学」ブーム5つの必然として、
1.政権交代の幻想の消滅
2.生きにくいニッポン社会
3.不安高まる「資本主義」の未来
4.「ノウハウ本」ブームの曲がり角
5.サンデル「ハーバード白熱教室」の衝撃
を挙げる。
えんじんが「マニュアル+深イイ哲学」 を言い始めたのは、上の5つで言えば4.番目を、ふと感じた去年の10月ころからのこと。「ノウハウ本」、というより、「勉強本」「レバレッジ本」の終わりが見え始めていたのです。
(「手芸」「編み物」のノウハウ本で知られた雄鶏社は2009年4月に自己破産した。東洋経済がいうノウハウ本は、そういうノウハウ本ではないし、本来の?ノウハウ本の息は、まだまだある)。
えんじんが企画と編集をした松澤大之著『リングノートでムダな勉強をやめなさい』のまえがきに「反-レバレッジ」と添えさせてもらったのは、その半年後のことだった。

脳科学物を含むライト・ビジネス本と言ったほうがいいが、とにかくノウハウ、ノウハウとウハウハ言い始めたのには、歴史がある。
「一般教養課程」の崩壊が、それを準備したとエンジンは睨んでいる。人文・社会・自然の系列を結んで、自在に行き来できる素地が哲学、というものであるとも言えるので。以下、昔書いた記事から。
1990年以前の「一般教養科目」は、「人文科学+社会科学+自然科学」の3系列からそれぞれ3科目ずつ(+体育・外国語)を履修することが必須となっていた。この3系列3学科履修のための講義を担う専門教官の組織「教養部(1、2年次対象の「一般教育」を担当した教員組織)」が、かつては存在した。現在、教養部をおく大学はほとんどない。また、「くさび型履修」とよばれ、1年次から一般教養科目と併せて専門科目も学ぶことのできるカリキュラムを持つ大学も増える傾向にある。
一般教養科目が、いささか目的の見えにくいものになったのは、1991年(平成3年)の「大学設置基準」大綱化によって、「人文・社会・自然3分野の均等履修」のモデルがなくなったことによる。
大綱化(ゆるやかなガイドライン化)が、教養課程の必要性の見直しを推し進め、同時に教養課程を経ずに入学後すぐに専門科目を学びたいとするニーズに応えることが優先された結果、一般教養科目と専門科目の接続のありかたの理念を確立できないまま、専門職業教育的な傾向が優勢になったという経緯がある。「教養」という曖昧模糊とした呼称の影響もあると言われる。
ところで一般教養科目の歴史は、ヨーロッパ中世の大学にまで遡ることができる。いわゆるリベラルアーツ(学芸)の自由7課(もしくは7科)つまり「論理」「文法」「修辞学」の3課と「天文学」「幾何学」「算術」「音楽」の4課に淵源を持つ。この7課はすべての学問に通じる「基礎」を形成するアーツ(技)とされ、この7科を修めないものは当時の専門課程である法学にも医学にも神学にも進むことが許されなかった。
4年ほど前に、某大学受験予備校のウェブサイトに書いた記事がまだ残っていたので、引用した(これでも高校生向けの記事(爆)さすがに文科省批判の部分はカットされましたが)。
この大綱化以降、4年制「総合大学」も「単科大学カレッジの集合」もしくは専門学校の集合体に近いものになっていく。
もちろん話は一筋縄ではない。大綱化を推し進めたものがなんだったのか。そもそも明治維新後に輸入された「哲学(初期明治政府の西周による造訳語)」が、それ以前の日本の思想の流儀と、どうつながり、つながらなかったのか。
インド(サンスクリット)→中国(漢字)→日本へと渡来した仏教の編集的変容をたどるに近い、怪しいアヤがそこにはからみついている。
それでもそのアヤを、まといながら進むのが「深イイ哲学」の流儀。
例は、追々あげていきます。