もう十数年前のことになるが、
『生きられるマルチメディア』
というタイトルの出版企画を出したことがある。
師匠には相当にほめられ評価されたものだが、結局本にはならず立ち消えになった。
まあ、企画としてはよくある話だ。
この題名のレトリックは、ミンコフスキーの『生きられる時間』から得ていた。
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内容はもちろんすぐには結びつかないけれども。そしてこの企画タイトルが含意するテーマのほうは、今でも、というか今でこそ、という気がしないでもない(笑)。
「マルチメディア」という言葉は、生きられるどころか、いまではほとんど死後語に近い。あるところまでは、すでに当たり前のことになってしまったから。十数年前までは、バズワードだった。バズワードにひっかけて、
「本が、もともとマルチメディアである」という話を、はっきりさせておこうという意図があった。
そういうことをいろいろ構想しながら、演算星組の井上さんたちと、マルチメディア・オーサリングツールであるマクロマインドディレクターを使った『京都ハイパー絵巻』と『電脳歳時記』というマルチメディアをこさえていた。
もうそろそろ「電子書籍」とか「電子出版」という言葉を使うのは止しにしたいのだが(爆)、たぶん90年代のマルチメディアにあたるものというか、そうとう掠る言葉ではあるので、いやいや使うことにしている。
紙の本や雑誌を含め、映画ももちろん、広い意味で、「本はもともとマルチメディアである」とすれば、そのリリースの形態、流通の仕組みの違いだけを強調するような論調は、全然「編集的」でない。
「職業としての編集」者が、みんながそう自覚して仕事をしているとは限らないけれども、「編集」というのがそもそも「マルチメディア」的なのだと言っていい。
次回は、マルチメディアからの流れとXHTMLからの流れを整理する。
あ、あと「図文zubun」の話もね。
(続く)

