認知限界と150人の法則(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

ジェームス・キャメロンという映画監督がいます。最近では『アバター』の監督として知られています。


キャメロン監督は、ある時点までは、彼が監督している作品は必ず観る、いわばフォローしている映画監督の一人でした。しかし、『アバター』は観ていません。キャメロン監督作品と知っていてもです。


逆のこともかつてありました。あの大作『タイタニック』です。


これは、プロモーション企画の話があって、仕事の必要から観た。


で、そうかキャメロンだったのか、どおりで「水」がたくさん出て来る(笑)とか思ったりしたものです。


仕事の必要がなかったら観なかったでしょう。なぜか? 恋愛物風のポスターに関心が向かなかったから。それで、監督の名前も注意して見ようとしなかったからです。観終わった後、気づいた。


『アバター』は、キャメロン監督作品と知っていましたが、観ていません。理由は置いておきます。


これは、マーケティングで言うAIDMAのA、アテンションに関わる話ですが、もう一つあります。


「それ」に興味を示す人、興味を示さない人、というのは当然、何についてもあります。


いくら大量に、「それ」に関する告知、情報、クチコミを投入したところで、興味を示さない人には、ぬかに釘、蛙に小便、のれんに腕押しです(笑)。


半強制的に、一見さんを連れて来ることはできるかもしれない。最近のハルキ現象など典型でしょう。


ほとんど、コワレてます(爆)


なぜか? 量が量を生んでいるという、奇妙な現象だからです。


「買った人」と「読んだ人」はイコールではありません。「買った」だけの人は、質に転化しないたんなる量・数字です。


大切なとこなので、繰り返します(笑)


「買った人」と「読んだ人」はイコールでは、ない。


ここからが、本題です。


ツイッターには「フォローしている人」「フォローされている」数字がカウント表示されます。


Facebookでは、「フレンズ」「友だち」の人数が表示されます。


この人数の意味は?


ツイッターは、実はまだわかりやすいのです。「フォロー」の意味が。


フェイスブック、もしくはミクシィなどの「友だち」「マイミク」のほうが、実はわかりにくい。


あえてリテラルに、言葉の文字そのままに考えてツッコミいれるとすれば、


「友だち、何人くらいいます?」と聞かれて、


「1000人は軽くいます」と答えたとしたらどうですか?


わたしはそういう答えをする人と友だちになりたくありません(爆)


で、ツイッターは、SNSよりも進んでいます。


「フォロワー1000人います」と答える人とは、リアル友だちになれるのです。


(続く)


PS.


「ツイッター・フィールド仮説」準備中です。フィールドというのは「場」ですが、ツイッターがもたらした経験、ユーザーイクスペリエンスは、かつてない格別のものであるという話。


今日や明日、何かにすぐに役だつようなものではありませんが(笑)、その潜在的な起爆力は計り知れないものがある(爆)


実践的な話は、こちらの本でしています。


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