音楽と言葉と文字を接続するのがかつては「詩」というものだったわけですが、
この「詩人」は、その詩人だけを指しません。
高校生のときに読んだきりなので、記憶はおぼろげですが、
群像ものでした(これだけではなんのことやら 爆)
ジェイムス・ジョイスの作品に、『若き芸術家の肖像』というのがあって、
『若い詩人の肖像』の作者・伊藤整は、ジョイスを研究してましたからその影響もあったのでしょう。
この間、読むのをやめてしまった同じ作者 の『小説の認識』を読み始めてしまいました(笑)
なぜ後悔する言い方なのかと言えば、もう時代が隔たったせいもあるでしょうが、
難解なのです。
特に、最初の「芸による認識」。
難解をものともしないエディトリアル・エンジンにとっても難解なのです(爆)
ほとんど嘔吐を催すくらいに。
次の「現代文学の可能性」で、多少救われます。
そして師匠に勧められたことのある「近代日本人の発想の諸形式」も、
この『小説の認識』に収められています。
吐き気をこらえながらも、なんで読むのか?
電子書籍リーダー黒船説を、「構想」をもたらすものとしての黒船に転覆するために、
読んでおくべき本と直観しちゃったからです^^;
下手すると日銭稼ぎにとっては、その邪魔をしてしまう読書です(爆)
バカバカしくて、仕事なんかしてらんない!になってしまうからです。
かなりキワドイです。
でもまあ、一度は通過しておかないと、と思います。
「実録クラインの壺」に、いま突入しようとしていると感じるので。
ほかに『日本語が亡びるとき』『日本語で書くということ』でもいいのですが、
わざわざ遠回りをせよ、という声が聞こえるので。
立ち位置がまったく違いますから。
伊藤整のようなポジションで書いた人は、希有だと思うので。


