ポイエシスとプラクシス | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

年末に穴八幡にお参りした帰り道、馬場の古本屋の店先の、


持ってけ!ワゴンに、西田幾多郎の全集本が1冊350円で出ているのが目に入って、


つい全部箱から引っ張り出し、気になる1巻を買いました。


気になるフレーズがあったからです。


「ポイエシスとプラクシスは対立する」


もしくは矛盾する。


ポイエシスはギリシア語で「制作」、


プラクシスは「行為」、もうひとつテオリア「観相」があって、


この3つはアリストテレスの『形而上学』で構想された観相、制作、行為の3つの窓です。


まあ、気になったこととは、直接関係ありません。


気になったのは、


ポイエシスを「製品」、プラクシスを「顧客」としたようなときに、


似た対立が起きてるはずだよな、ということでした。


もっといえば、ポイエシスとプラクシスは「なんとなく」つながっていると思っていたところへ、


幾多郎先生に「そりゃあ、そのままんでつながってなんかおらん、そのままでは対立しておる」


とドキッとさせられるようなことを言われた気がしたからでした。


実は、この話、「マーケティングという言葉への誤解」の話につながっていくのですが、


顧客志向の「プロモーション」が、あたりまえにそれがマーケティングと思われてしまっている今日、はい御退屈様で終わりかねないところがあります。


でもです。


10年代は、この「対立」を思い返したほうが、より面白いディケードにできるような気がするのです。


続きは、経済学のバケモン性(爆)の話にいったん迂回させてから続けることにします。