ノブレス・オブリージュ | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks
この言葉の意味する概念自体は新約聖書福音書 に由来している。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(「ルカによる福音書 」12章48節)(新共同訳)。

F.A.ケンブル(フランセス・アン・ケンブル。1809-93。イギリスの女優)が1837年に手紙に「…確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族はより多くの義務を負わねばならない」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理 的な議論では、特権 はそれを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となる様に振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務 として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的な批判を受けることはしばしばである。


ことの発端に「悪意」はなかったとしても、「破滅への道は善意の舗石で敷き詰められている」という、誰のせいでとは言えない進行もあったのではないか、という視点も必要なのかもしれません。


「誰のせいで」とは言えない、最たるものが「システム」。


オンライントレードに代表されるインターネットを使う株式の売買システムが、腐ったリンゴの腐敗の加速にどれだけの影響力を持ったのか、そこははっきりとは分からないのですが。


倫理も特権も義務も、利益も一瞬にしてシステムに投じられることで、いずれも機能せず、残るのは数字としての記録だけ。


そういう事態が進行しているのかもしれません。


だって、大暴落の裏には、売リ逃げて利益確定した者がいるわけです。


お金は消えていません。


ひたすら、「数値」の増大だけを狙


うゲームが行われていたという側面もあるはずですが、


仮にそのファミリーが十数人の大家族であったとしても、あと半世紀以上も余裕で暮らしていける金額。


そのお金は消えてはいません。


消えたのは、財を運用する知恵、なのかもしれません。


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