29歳のときの仕事です。
この本に掲載した、清張さんの書斎、仕事場の一部です。左側に黒電話があるのがお分かりでしょうか。
自分でもちょっと錯覚を起こしそうになりましたが、そうなんです、一般家庭ではまだこのころダイヤル式の黒電話が使われていました。
本作りも、まだデスクトップパブリッシングは、始まっておらず、原稿はすべて原稿用紙に手書きでした。
まさに隔世の感あり。文字組みは、「写植」です。活版印刷も生きていました。
清張さんが向かう机は、わずかに傾斜がついています。設計技師が使う、製図台のように思えたのを、よく覚えています。
本は、清張原作の推理小説『疑惑』が、映画化されたときのキャンペーンブック、松本清張スーパー・ドキュメントブック『疑惑戦線』です。映画が劇場公開される1982年9月11日に合せて発売され、映画のプロモーションを行い、興行のロングランを狙うクロスメディア・マーケティング手法の一つでもあります。
この本を中心に、同タイトルのブックフェアも企画し、全国書店で展開しました。ブックフェア用の棚組みに使うブックリスト、同時に書店内で配布されるブックレットのもととなるブックリスト編集では、本書でも執筆していただいた当時、硬派の文芸評論家として知られた中島誠さんに尽力いただきました。その鮮やかな、司馬遼太郎vs,松本清張の比較論は、今でも自分のなかで歴史観を考えるときの軸となって生きています。
本が出来上がるまでの約3ヶ月は、当時、京王井の頭線浜田山にあった清張さんのご自宅に、ほとんど毎日のように通いました。
いやあ、コワかったです(爆)
まだ若造の編集者にとっては、3年分に匹敵するくらいの濃い時間でした。
松本清張、このときすでに73歳。
わたしはまるで孫みたいなものです^^;
もしものときのために、編集長(私です)の上に、私の師匠にエディトリアル・ディレクターとして押さえに入ってもらいました。清張さんのカミナリが落ちたときに備えたヘルメットであり、シェルターです(爆)
スタッフは取材・編集が6名、デザイナー2名、当時からイラストも描いていた祖父江慎さん、イラストレーターの吉田カツ氏、書家の樋口雅山房さん、そして写像家の佐々木光さん、広報宣伝を含め総勢14名。
おかげさまで、カミナリが落ちるどころか、師匠は清張さんの「昭和史」テレビ化の仕事を、この後手がけることになります。
わたしもこの仕事をきっかけに、もともと好きだった映画関連のメディア編集を連打することができ、その後、東映映画、北大路欣也主演『空海』キャンペーンブック、松竹『蒲田行進曲』の車内吊りポスターキャッチコピー、ジェット・リー主演の『少林寺』ポスター企画制作、松竹富士配給のSF映画『ミミック』のプロモーション用タブロイド新聞、20世紀フォックス、ジェームス・キャメロン監督『タイタニック』のセールスプロモーション・マテリアル企画などなどを、手がけることになります。
編集の仕事は、デスクワークだけではありません。本書に掲載する座談原稿収録のために行った、映画「疑惑」の主演、岩下志麻さん、桃井かおりさん、そして松本清張の座談会の司会もやりました。映画公開前の、記者会見、プレスも兼ねたものでした。
このとき、桃井かおりさんに、「がんばろうね」と声をかけてもらったのは、忘れられない思い出です(かおりさんは、一個年上の姉貴分です)。
話は尽きません。どうコワかったのか、そしてこの本の取材中に清張先生から教わった、
創作の秘密など、続きは、こちらでお話しします^^
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