速く流れていても、気づくすべはなかったりします。
「おっ今日は、いい仕事がテキパキ仕上がった!」と
後で、振り返って、いい気分になったりはします。
タイムプレッシャーの話ですが、
日にち単位の締め切りはともかく、
5分以内でとか、30秒以内でと言われて、
時間を計測される場合は、どうでしょうか?
意識しなければ、1分で終える能力がある人でも、
ちょっと手が止まる、思考が止まる感覚があるんじゃないでしょうか。
ストップウォッチを自分で押して、何分かかったかを計るのは、
こういうひっかかり感なくできるのに、何秒後、何分後と指定されて、他人にストップウォッチを押されるのは、
抵抗があったりします。
私は高校時代までスプリンターでした。
中3のときの記録が100m12秒フラットです。
零コンマ1秒速くなって、11秒台に突入すれば、県大会に出場できる、そういう時代の話なので、まあ自慢できるベストタイムです(笑)。
結局自己ベスト更新できず、高校ではサッカー部と掛け持ち、
あ、文芸部もやりました(爆)。
それはさておき、スタートを切ったランナーの頭の中には、
今日は、「何秒で走ろう」という意識はありません。
というか、そう意識しても、走りに効果はないのです。
ベストな走りでゴールを切る。これしかないです。
日ごろ、部活仲間と「次は、12秒切るゾウ!」とか会話はしますが、
レースの当日は、「ベストな走り」しかありません。
先日、『A6ノートで思考を地図化しなさい』第2作の編集ミーティングのとき、著者・松宮さんと「速読」が話題になりました。
で、こと読書に限って言えば、時間というのは、
内容の区切りと、時間の区切りというのがあるという話になりました。
どうも流れる時間と計られる時間の齟齬?の謎も、
このあたりにありそうです。
PS.
スキマ時間(短い時間)でどんなことが出来るかを意識化しておくのは、何かに役立ちそうだし、面白いです。
これで、最近、計ってます(笑)
ポットのお湯を沸かしなおして、インスタントコーヒーを入れるのに、
1分40秒でした。
朝の用足しは7、8分。10分とみたほうがいいようです(爆)。
短いようでいてけっこう、長い時間です。
トイレ読書もバカにできません。
