平成25年1月26日(土) 

 
座椅子の上には『よっちゃん』、座椅子を枕の『タロウ』
共に傍にあるストーブで気持ちよさそう。

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 窓の外は、夕方の陽独特のオレンジ色が広がっていたが、蒸し暑いと気味が悪い色に感じられた。智子は、三日続いた旅館の御馳走で、食べ物に欲が出ず、ありあわせの野菜でサラダを作ることにした。レタス、トマト、キュウリ、それに生ハムとリンゴ半分で、シーザードレッシングをかけた。クラッカーとチーズをかじりながら、バーボンウィスキーのオンザロックをたしなんだ。一人で、こんな食事をしていると、これから先、どうしたらいいのだろうと考えるが、実家に戻る気はしなかった。父母も健在だけれど、70歳代の家に帰れば、お手伝いさんになってしまいそうで、もう少し自分の事だけに時間を使いたかった。
 食事をしながら、テレビを見ることが多かった。いつも芸能人が、クイズをしていたり、名所を訪ねたりするものばかり、連載のドラマは、追いかける時間がなかったせいで、どれも親しく感じなかった。めずらしく八甲田山から十和田湖を訪ねる放映場面に出会った。5月の後半に訪ねているらしかった。千人風呂が映って、「ここには千人の人が入れるのですよ」とレポーターが叫んでいたが、老齢の男の人が10人くらい映っているだけであった。智子が訪ねた時は、女性の湯治客も多く、千人風呂に入っていたのは女性ばかりであった。今回女性は映っていなかった。誰でもが、テレビに映りたいわけではないのだろう。その後、十和田湖の奥入瀬の急流が映った。小和田湖も行ってみたいところだったが、また機会もあるだろうと思われた。急に眠気が襲ってきて、食事を済ますと、智子は9時に眠ってしまった。寝床につく時、頭の片隅で、この頃K-30が、いやに静かだなと思っていた。
 K-30は、智子が東京に戻ってくるなり、急に忙しくなった。昼は、智子の中で、じっとしているというか、ほとんど眠っているのだが、彼女が寝入ってしまうと、抜け出して、S-77や気心の知れた連中と、宗像幸代の行方を追っていた。彼女が、智子を追っている魂胆を知りたかったのだが、火事以来、占いの館から、完全撤退していて、いまだに行方がつかめないでいた。渋谷辺りに彼女の気配はなかったので、一応安心ではあったが、まったく行方が分からないのも無気味であった。地霊は、その土地で仕事をする者にとって、味方にも敵にもなり、適に回れば死を招く怖い存在なのだ。これから日本の土地にある植物に関わろうという智子のことを思うと、K-30は気が気ではなかった。
 智子は、朝8時ごろ目が覚めたが、頭がどんよりと重く、まだ疲れが抜けないのかと、憂鬱な気になった。智子は知らなかったが、霊が宿主から長い時間離れていると、肉体が疲れるのである。精神と肉体は、共に健康であって初めて、気分は快適となるのである。原因は、K-30が夜出歩いているせいで、智子は疲れたように感じていた。K-30は、そのことを承知していたが、智子が勤めに出る前に、彼女の環境をよくしておきたかったのだ。抜群の霊気を持つS-77でさえ宗像幸代の気配をつかむことはできなかった。
 20日からの通勤時が一番狙われやすいので、S-77からの忠告で、他にかつての漢方医、植物学者、占い師たちの霊に協力を頼み、智子を守るバリアを張る仲間を作った。智子自身が、植物や霊の世界の知識を会得するまでの臨時の処置である。何しろ、智子は、〈選ばれし者〉であったから。
       

                        
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            平成25年1月25日(金) 

 
(ごめんなさい)スタイルで眠っているタロウ。猫は、時々このスタイルで眠る。昼で眩しいからかと思う。先日テレビのバラエティ番組『珍百景』で、いつもこのスタイルで眠る猫が登場して、珍百景に登録されていた。

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 八甲田山の主峰・大岳は、海抜約1500メートルくらいであるが、北の山なので、高山植物が豊富なのだろう。酸ヶ湯温泉から歩いて八甲田山を目指す。途中で、地獄沼と名付けられた水温98度もある沼に出合い、硫黄の匂いと、もうもうと湯気が立ち込める場に行き当たり、それでも辺りには、植物は生えていた。また、暖かな湯気の出る場に腰掛があって、下半身を温める設備もあったが、観光客にほとんど出会わなかった。智子は、ゆっくりと山道を登って、時々植物の写真を撮った。6月は、花の咲きはじめで、どの花も満開とはならず、楚々として奥ゆかしい風情を見せていた。植物の宿題がなければ、こんなに丁寧には見ないなと思いながら、山頂を目指した。山頂近くには、かつて、陸軍の青森第5軍隊が、雪山訓練中に遭難した兵隊たちの名が記された碑が立っていた。『八甲田山雪中行軍遭難者』199名の名が、記されている。夏に見ると、実に穏やかな山で、遭難が嘘のように感じられるのである。雪や寒さの怖さは、夏では実感できなかっただけに、100年以上も経つ事故とはいえ、こんな低い場所でと彼らに同情の念を覚えた。その後、酸ヶ湯温泉でこの遭難事故の写真や説明書きを見て、さらにその遭難のすさまじさを知った。210名の行軍で、199名が亡くなる。その時の寒さは、記録に残るほどの低気温であったらしい。
 旅から戻ると、三日間の山行きで、体がぼろぼろに疲れていた。常日頃運動などしなかったせいもあって、足は痛み、腰廻りも筋肉が張っていた。温泉では回復しなかったみたいである。写真に撮った植物を図版頼りにまとめなくてはならないなとぼんやりしながら、新聞を見ていた。智子は、ニュースのほとんどを新聞から得ていた。勤めの時間が不規則で、テレビではうまくニュースの時間を捕まえられなかったせいでもある。
 気になる事故のニュースがあった。伊豆の植物公園の一角が焼けて、職員が一人なくなっていた。そこは主にサボテンを植えていたらしい。絶滅種の珍しい種もあって、その職員は、そのサボテンを助けようと煙にまかれたと書いてあった。本来なら、智子には縁遠い話であるはずなのに、気持ちがさわめいて、その記事を丁寧に何度も読み、切り抜いて保存することにした。亡くなったのは、山田太郎という何とも意味深長な名前であった。まるで偽名と言わんばかりだなと思った。なんとなく、この植物園とは、後に関わりを持ちそうだという気がしたのは、K-30の感覚なのだろう。彼女の知っている何かだろうと察しられたが、今は、そのことをしょいたくなかった。出社まで、あと4日あるかないかで、この旅の成果をまとめなくてはならないのだ。もたもたしていられなかった。写真は、100枚あった。それを、撮った順に、ノートに貼っていった。それから横浜で買った図鑑と照らし合わせながら、名前と、特徴を書いていった。30枚くらいは、名が分からなかった。たった100枚の写真の整理に6時間かかり、さすがに疲れたと思ったら、もう夕方であった。こういう仕事は、時間がかかることは、智子はよく分かっていた。振り返ってみると、いつも書類の整理をしてきたんだと思わせられた。秘書時代も、スーパーでも書類のまとめは、智子の担当であった。
  
  

              

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             平成25年1月24日(木) 

 
よっちゃんとまる・ストーブの前に居いる。よっちゃんは、二階にいるシロを気にしている。二階は、居間の上にある中二階なので、下の部屋から二階の窓が家の中で見える。

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 6月12日に、旅立った。3泊四日の旅である。酸ヶ湯温泉(スカユオンセン)は、今もまだ湯治場としての役割を持っているので、同じ場所に何日泊まっても怪しまれないことがいい。植物を観察しようというのだから、名所めぐりのように場所を変えない方が落ち着けると思われた。
 青森駅からは、JRバスで、直接酸ヶ湯温泉ヘ向かえる。約一時間後についた。正面玄関は、木造作りでそびえたつような高さに見えた。奥に広がるつくりらしく、全体像は分からない。バスから降りると、セントバーナード犬を連れた旅館の係りの人がバスから降りるお客を歓迎している。この犬は、冬の雪山遭難犬として有名だったなと智子さんは感激した。もともと智子さんは、動物好きだったのだが、家を出てからの環境が、ペットを飼うなどではなかったので、すぐセントバーナードの方に歩いて行った。他に大きな犬小屋にもう一匹寝ていた。係りのおじさんに、犬がいる訳を聞いた。やはり雪山遭難などでは活躍するという。この宿では、何年にもわたって、セントバーナード犬だけを飼っているとのことだった。お部屋に案内します、と宿の係りの女の人に促され、いかにも湯治場という古い廊下を歩いていく、たまに長逗留の湯治客用らしい部屋も見えた。長い部屋で、布団が何組も敷いてあって、廊下を挟んで、炊事場もあった。幾人かの人たちが、寝たり起きたりの思い思いの姿をしていた。
 案内された部屋は、一人にはもったいないような広さはあったが、観光客用の部屋なのだろう。窓から八甲田山が見えた。この日は、出かけるのは止めにして、早々と有名な温泉を堪能することにした。『ヒバ千人風呂』という大風呂が有名で、ヒバの木で作った大風呂に、千人は入れるという意味なのだが、風呂場に向かう途中の廊下に、写真ギャラリーが設置してあり、八甲田山近辺の自然の生物から千人風呂にギッシリ人が入った写真もあった。この風呂は、混浴であったが、智子さんは、気にせず、風呂に入ることにしていた。午後4時頃ということもあって、人があまりいなくて、千人風呂は、泳げそうであった。男の人と言っても、おじいさんばかりで、気楽にあれこれ変わった風呂を堪能した。湯滝と言って、湯が滝のように樋から流れる湯を肩に受けたりもした。若者は、智子くらいしかいなかった。夏休みにでもなれば、子供も来るのだろうなとは思えた。
 食事は、たっぷりあって、この後、二日間この調子で出てくるのかと、なんだか悪いような気もした。係りの仲居さんが、「御一人旅ですか?」とやはり聞いてきたので、八甲田山に、植物を見に来たのだと言った。そして、すこし相手をしてもらった。何しろ、名所旧跡を訪ねるのではないので、どこを歩くのが効果的か聞いておきたかったのだ。
「ここは、高山植物も有名で、東北大学高山植物実験所もあります。なんでも600種以上あるらしいですよ。最初の日なら、八甲田大岳コースを歩かれれば、良いかと思います。植物を観賞しながらですと、少し時間はかかるでしょうが、6時間で宿に戻れます。途中に、無人の休める温泉場もありますから、良いですよ」と50歳代くらいの仲居さんは、親切にこの辺りのあれこれを話してくれた。基本的には、標準語を使っているのだが、音色に東北弁独特のなまりがあって、青森に来ている実感がわいた。
        
      

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