平成25年1月31日(木)  

 
寒くて布団から出られない『まる』
布団におしっこをする『シロ』(嫌がらせか、自己顕示か?)のせいで、掛け布団の上にシートが敷いてある。


                     *

 智子一人で、個々の湯飲みなどを洗っていると、心が落ち着いてきて、あたりをゆっくり眺められた。食器棚には、ヨーロッパ製のカップや皿が揃っていた。鍋も大小幾種類もあった。 ここで料理することも多いんだなと思わせられた。どんなにゆっくりしても、お茶のかたずけの時間は知れていて、次は、竹さんに何をするのか聞かなくてはならなかった。
「お手伝いはありませんか?」とパソコンに何か打ち込んでいる竹さんに話しかけた。
「私は今回間に合っているので、恵美先生の写真の整理をしていただこうかしら。そこの茶封筒の中に写真が入っているので、植物とそれ以外の物、植物と何か映っている物の三種類に分けて机に並べて下さる。恵美先生は今ちょっと出ているけれど、一時間くらいしたら戻るので、その後は彼女の指導に沿って、手伝って下さい」と机の上のかなり膨れた茶封筒を指した。写真の扱いに手袋をつけてねとも言われた。
 智子は、ハイと答えて、手袋が入っているという引出しから白い手袋を取り出して、茶封筒から写真を全部出した。智子は思わずはっとした。それは、植物園の火事で焼けたサボテンの様子を寫したものに違いなかった。サボテン自身は、青く見えたが、あたりの建物やいすなどが黒焦げであった。300枚近い量で、これは丁寧に見ていかないと、植物かそうでないかの区別も難しそうに思われえた。
 この仕事は、初めての植物関係物としては、充実したものになった。サボテンの種類の多さに驚いた。一枚の写真に、10種類くらいあり、これを覚えるのかと、目が回りそうであった。花をつけたサボテンも、半分は燃えたらしく、その姿は痛々しく見えた。植物以外の物は、少なかったが、まる焦げの樋や柱だけの写真もあって、その後それらの写真の方が問題にされていくのであった。初めから、この火事は、放火が疑われていて、それもサボテンコーナーが狙われたと、ここの研究室では
思っているらしかった。三分類が終わった頃、恵美先生が戻ってきた。
「写真を整理してくれたのね。助かるわ」と、すぐ智子の分類した写真を手にし始めた。
「こんなに育っていたのに、ほんとに残念だわ」と。黄色い花をつけたサボテンを見ながら言っている。
「特別な種類なのですか?」と、智子は聞いた。
「初めて花をつけたのよ。日本では、ここにしかない種類で、私が特に待っていたのに、根は助かったでしょうが、5年ごとにしか花をつけない種類なのよ。サボテンには、そんな特徴のある種類がいくつかあるわね。雨の少ないところの植物なので、花をつけるという生殖作用を少なくしているのでしょうね。その代り本体は長生きするわね」
「先生が撮られたのですか?」
「この公園の知り合いの研究者が撮ったのよ。いつか智子さんにも紹介するわ。生き残ったサボテンがどのくらいあるのか、まずこの写真で見当つけて、私は、明日ここを訪れるけれど、智子さんは、行っても仕事ができないでしょうから、この研究室で、出来るだけこれらの名前を覚えておいてね。参考書は、客室の本棚にあるし、今日、写真に写っている種類は書きだしましょう」
 五時からざっと4時間、恵美先生と智子は、写真のサボテンに取り組んだ。これで終わりと言われた時は、すでに9時になっていた。「初日から残業で悪かったわね。でもおかげで仕事がはかどったわ。明日は、私はいないけれど、この名のサボテンを図鑑で詳しく調べて書き出しておいてね。私も何でも知っているわけではないので、あとで参考にしたいからよろしく。気を付けて帰ってね。私は、もう少しここにいるからお先に帰っていいわよ」
 智子は、失礼しますと、ことわり、玄関を出た。午後9時帰宅は、スーパーでの残業でもしょっちゅうだったので、気にならなかったが、結局、火事のことや、そこで亡くなった人のことなどの雑談は一つもなかったことに気付いた。スーパーだったら、手を動かしながら、そちらの方で、かしましいだろうに、ここは、学究肌というか知識のレベルがずいぶん違うんだなと思い知らされた。

          

                                
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             平成25年1月29日(火) 

 
よく眠っている「シロ」

                     *

 綾小路先生が研究室を出て、10分もしない内に、今井恵美先生と竹内千加子さんが、出勤してきた。あわてて客室から出た智子は、二人に深々とお辞儀をして、「田所智子と申します。これからよろしくご指導のほどお願い申し上げます」とまるで手紙の一節のような言葉を口にした。二人そろっていたので、とにかく、自分が存在していることを早く知らせておきたかった。二人は、まあまあ落ち着いて話しましょうと、また智子を客室に案内して、「洋子ちゃん、ハーブティで、お茶にしましょう。田所さんに、こちらのスタッフのこと話す必要があるでしょう。路先生がお留守の内に大体のところ伝えておいた方がいいでしょう」と、今井先生と思える女性が堀越洋子に声をかけた。
「では、クッキーとハーブティで、早めのお茶時間にしましょう」
 そして客室で、各自の身の上話が始まった。智子のことは聞かれなかった。みんな承知しているようであった。智子は、この研究室で、田所という度、偽名でいいのだろうかと思っていたが、そのこともきっと伝わっていそうだと思えた。若い堀越洋子が一番に口火を切った。
「私は、鹿児島から上京しているのよ。田舎だから、東京とはまるで違って、たとえ国道の自動車道路であろうと、すぐ脇に草や木々が茂り、たまに狸も出て、そんな中に居て、植物に興味を持った大きな原因は、火山のせいよね、桜島の火山灰が、時々野菜に大きなダメージを与える一方、火山灰は栄養素でもあるのよ。そんなことから土壌に興味を持ち、専攻は植物なのだけれど、たまたま今の大学の奨学金を得られたからかもね。と、終わりの方は冗談めかして、重い話にしなかった。
次、竹さんどうぞと言われた、竹内千加子は、ここでは私が一番偉いのよと、のっけからふざけた。綾小路先生と同じ年頃らしいのだが、先生が50歳に見えないのだから、竹内さんを50歳に見えると思うのも変なことだった。竹さんふざけないで、話しなさいよ、と今井先生は、苛っとしていた。
 「確かに、竹さんのご機嫌を損ねたら、この研究所は続けられないわね。それは認めるわよ。今日は、ちゃんと田所さんに話して、今後のやり取りもあるでしょう」と、若い堀越洋子がとりなしていた。
「私が、ここのお金を管理していて、必要と思われる出費も管理しているの。他に、時間の使い方、礼儀作法、人を見分ける技などを伝授しています。この関係の事なら教えられるから聞いてね」と、竹内千加子の話は、謎めいていたが、みんなは、またいつもの誤魔化しをという顔をしていた。
「私のことは、竹さんでいいわよ。綾小路先生は、路先生、今井先生は、恵美先生、この彼女は、洋子ちゃんと呼ぶようになっているのよ。あなたは、智子さんかしら、ここでは、知らない人も訪ねてくるので、出来るだけフルネームは、使わずにいるのよ。あなたの本名は、みんな知っているのでご心配なく。智子さんでいいわね。それと、あなたは当分、お客さんの応対はしない方がいいわ。彼らをよく知ってから、お願いします。それまでは、この部屋の者に任せておいてね」と、終わり際に実に大切なことを話した。
 今井恵美先生は、特に何も言いださずお茶を飲んでいた。先生は自己紹介なさらないのですか、と洋子に促されて、今井恵美先生は、じっと智子の事を見据えた。なんだか怖いと智子は思わず下を向いた。
「これから、私の手伝いをしていただくのですものね。私は、伊豆の出で、そんなことからサボテンに興味を持って、サボテンから薬品を作る研究を続けているの。それについては徐々に分かってもらえるでしょう。あなたの守護霊は、その方面のエキスパートだったのよ。それであなたが私と組むことになったの。知らなかったでしょ。そのうちその力が出てくるでしょう、期待しているのよ」智子は、それを聞いて仰天した。サボテンって見たことあったかしら、と思うほど遠いものであった。しかし待てよ、確か最近サボテンとかかわったことがあるような。と、伊豆の植物園での火事を思い出した。伊豆出身の今井先生は、このサボテンと関わりがあるに違いないと思われた。
「あの、伊豆の植物園の火事が、先生の研究と関係しているのでしょうか」と、悪いと思いながら聞いた。
「あのサボテン公園には、貴重な種があってね、どのくらいの損傷なのか今は分からないけれど、私自身は関係してないけれど、係りの方とやり取りはあってね」とそこまで言って、また先生は黙ってしまった。
「ざっとしたことしかお話できてないけれど、徐々に慣れるでしょうから今日のお話はこの辺で、恵美先生、智子さんに何かやっていただくことあります?」と洋子が先を進めた。
「今日は、竹さんの手伝いをしてもらって、竹さん、書類の整理があるのでしょう」と、今井恵美は、どこかうつろで、今日は、仕事にならなさそうであった。
「私が、このお茶のかたずけをします。先ほど、昼食を作らせていただいたので、お台所のことは少し分かりましたから」と智子は、早くこの重苦しい空気から逃れたかった。それぞれが自分のパソコンに向かっていった。竹さんは、智子に助けてほしいとも言わなかったので、とりあえず、茶碗を片づけることから始めた。
      

              

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             平成25年1月28日(月) 


食器棚の上に置いてあるビールジョッキに顎を乗せて熟睡している
『タロウ』。 猫が来るまでは、この上にバランスよくいろいろ楽しいものが飾ってあったのだが、猫が次々落とすので、左の葡萄酒置き(横浜ダニエル製)とビールジョッキくらいしか置けない。それも壁に押し付けて、落とされないようにしている。
  
                     *

 6月20日、午前10時ちょうどに、智子は、青山の綾小路先生の研究所についた。勤め先というよりは、人の家を訪ねるような気がしたのは、チャイムを鳴らして、インターフォンと応対をしたからだ。綾小路マリ子先生の「どうぞお入りなさい」という声が流れてきたので、智子は扉を開け、玄関口にたった。植物の青臭さと消毒薬が混じった匂いを感じた。今にこれらが何かわかるのだろうと思いながら、靴を脱いで室内履きに履き替えた。田所と名が書かれた新しい布靴があったので、あれこれ質問せず、すぐそれを履いた。研究室の床は、板張りとコンクリートの部分でなっていたので、土足でも構わないようであったが、外の土の汚れなどを気にする仕事場なのだろうと思えた。入り口には、研究所の人たちが着る白い上着もあったが、智子がこれはどうしたものかと考えていると、
「そのままいらして」と先生の声が聞こえた。
「お早ようございます。これからよろしくお願いいたします」と智子は、常識通りの挨拶を済ませ、続いて、温泉旅行への時間をいただいたことを感謝しますといいながら、手土産を買ってくることを忘れていることに気付き、赤面した。先生はそれに気づかぬように
「酸ヶ湯温泉を選んだのはよかったわね。あの辺りは、役に立つ山草が豊富だし、温泉は疲れをとってくれる薬湯でしょう。私は、あそこの研究所にしばらくいたこともあるので、植物のお話がやりやすいわね。今日は、スタッフが揃うので、皆さんにご紹介しましょう。今、植物の世話をしている若い女性は、堀越洋子さん、私の大学の大学院を卒業後、この研究室で研究の続きをしているのよ。水やりの責任者で、これは簡単そうで、植物をよく知っていないとできない仕事よ。他に肥料を与えたり、剪定したりと、この部屋の植物を生かしてくれているということね。「堀越さん、ひと段落したら、ここにきてね」
「はい、もうすぐすみます」
「それからもうすぐ来るでしょうが、私と同じ研究者の今井恵美さん。彼女は、やはり大学の準教授も務めていて、今日は、朝の授業があって遅れているのよ。あと、経理担当の竹内千加子さん、この方も買い物で遅れているらしいわ。この研究室は、あなたを入れてこの5人が仲間ということ。全員女性で、気楽に過ごせると思うわ。出入りする人は、週一回とか、月一回とかで、決まった方が来るくらいで、出来るだけ人の往来を少なくして、ここの研究や存在をあまり知られないようにしているのよ。智子さんには、当面、資料を作る仕事を引き受けてもらいます。今井さんの研究の分野の担当になるので、彼女を信じてやってください。彼女は、今、たしか45歳だったと思います。あなたとあまり違わないけれど、ここでは、年齢は気にせず、結果が一番大事ですから、焦らなくてもいいけれど、集中して仕事に向かって下さい。植物というのは、無言の生物だけれど、人の気は、感じますから、真剣であればある程、植物の方から覚えてもらいたいという動きをします。彼らを人に向かうように扱ってみてください」
「初めまして、堀越洋子です。これから楽しく研究しましょう」と明るい声が聞こえた。水やりの終わった堀越が、傍にやってきていた。
「田所智子です。これからお世話になります。本当にどうぞよろしくお願いします」と、智子より、十歳は、若そうに見える堀越洋子に丁寧にお辞儀をした。
「先生、お昼にしましょうか。今井さんと竹内さんは午後になるようですし、サンドイッチですから、遅れても食べられるようにしておきます」
「そうね、田所さんと協力して、5人分をお願します」
「では、台所の方に行きましょう」と、堀越洋子は、智子の手を引っ張るようにして、台所に向かった。台所に入るなり、智子を驚かすほど大きな冷蔵庫に出合った。「それは、研究用の種などが保管されている特別仕様の冷蔵庫よ。鍵もかかっているから、先生方専門の冷蔵庫なの。私たちの食品用はこっちよ」それでも大きな冷蔵庫であった。
「ここにはいろいろな食べ物が入っていて、パーティでもすぐ開ける程よ。今日は、ツナ缶で、ポテトサラダを作り、パンにはさみましょう。他にサラダとコーヒー、田所さんは、何かアレルギーを持っている?」
台所は、ボタン色のホウロウでレイアウトされて、余計なものは、コップ一つ出てない様子に、ヨーロッパにでも来ているような錯覚を覚え、どぎまぎしていた智子は、質問されて、アレルギーってなんだっけ?と思った。
「何か食物アレルギーがあるなら避けないと命に係わるでしょう。それに植物といえども花粉症のひどい人は、ここの植物にでも負けることがあるのよ」
「ないと思います。今まで考えたこともないし、スーパーのお総菜で具合が悪くなったこともないし、父母も食物アレルギーはなかったと思います。花粉症も出てません」他に何を言えばいいのか分からず、ストレートに答えていた。堀越は、少し笑って、「智子さんって、すごく素直なのね。先生が気に入るはずだわ。素直な人って、学ぶのが早いのよ。今から植物を覚えるのって、普通の人では、耐えられないかもしれないけれど、田所さんは、人の3倍くらいの速さで覚えていくでしょうね」
 智子は、そう言ってくれる堀越洋子の話がよく理解できなかったが、馬鹿にされているのではなさそうだということは理解した。
 「食事は、接客ルームがあるので、そちらに運びましょう。コーヒー沸かしは、その部屋にセットされているので、ここでの仕事は終わったわ。右手の廊下の突き当たりがその部屋よ」
 智子と、洋子でポテトサンドイッチと野菜たっぷりのサラダを運んだ。
接客ルームは、10畳くらいの広さで、真ん中に食卓用のテーブルとそれに合った椅子が八脚セットされていた。片側の壁一面は、厚い洋書やテレビ、ビデオ機器、ガラス戸棚の中には、コーヒー用のカップがさまざまにあった。コーヒーマシーンが小机にセットされて、そのコーヒーは、いつでもだれでも飲めるようだった。
「この部屋は、お客さんとの打ち合わせにも使うけれど、お昼だけ、みんなで昼食を摂りながら休むことにしているのよ。万一、泊まることになったらこの部屋の唯一のソファで眠れるの。便利で楽しい部屋よ。あとの部屋は、研究室だから緊張するわね」
 綾小路先生も交えて、食事をしながら三人は、智子の紹介や、他のスタッフのことなど話しているうち一時間はあっという間に経ち、その間今井恵美も竹内千加子も現れなかった。
「今日私は、大学の方に行くので、あとは、洋子さんにお願いします」と綾小路先生はそう言って出て行った。突然、智子は、洋子と二人っきりになってしまった。二人で、昼食の食器を片づけると、洋子には仕事があったらしく、「田所さんは、今井先生が来るまで、そこらあたりを見ていてください。基本、どの植物にも触らない方がいいですよ。今井先生は、毒草が専門で、そういう植物が多いですから。よく学んでからは、田所さんの扱いになると思いますけれど。今は見るだけで、何なら、客室の洋書も面白いですよ。あの部屋には危ないものはありませんから」というと洋子は、広い研究室の片側にあるパソコンに向かった。智子は、彼女の邪魔をしたくなかったので、洋書を見ることにした。イギリスからの食物図鑑がずいぶんあった。「ポワゾン」(毒)と書かれた本を開いた。体の中のK-30の気配を感じた。     
       
                         
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