WBAライトフライ級タイトルマッチの亀田興毅VSランダエタ戦を観た。

テレビ中継開始から試合が始まるまでの長さや入場のパフォーマンスはさておき、試合が始まる直前にはこの試合に対するちょっとした期待感はあった。前回の疑惑じみた判定から世界チャンピオンになり様々なバッシングを受けてきた亀田がプレッシャーを撥ね返して見返すのか、ランダエタが完勝してボクシングのモラルを再び問うのか・・・。


序盤から亀田は本来のケンカスタイルではなく足を使ったボクシングを展開し、アウトボクシングで慎重にペースをつかんでいった。途中からノーフェイントの左ストレートがランダエタの顔面をとらえ始めるがダウンを奪うほどではなかった。終盤のボディへの連打も得点は稼ぎそうだったが明らかにダウンを奪えるようなものには見えなかった。そして亀田は12ラウンド戦った末に大差の判定勝ちを収めた。

ボクシング関係者には絶賛された内容だったが、「亀田とKOはセット」と理解しているファンには少し不満も残った。



しかしこの亀田興毅に関してはボクシング以外の部分が垣間見えるのがおもしろい。試合途中のバッティングによる注意に抗議する姿には若さと必死さが見える。二十歳の若者がボクシングを生業としながら真剣に必死に生きている姿が見て取れる。

マスコミの前ではあんな態度をとっているが、それがパフォーマンスであることは明白なわけで、それを気に食わないというのは大人気ない気がする。本当は繊細な心の持主だろう。勝利者インタビューでなんとか平静を装いながらも目を潤ませ、この4ヶ月間の親父への感謝の気持ちを述べ始めると大泣きし始めてしまったことからもそれはわかる。


いじめや自殺やその他の暗いニュースや問題が起きているこの世の中で、単純にこの親子の愛情には胸が熱くなるものがある。リスクを取れずリターンも得られない大人が多い中で、二十歳の若者がある程度のリスクを取りながら、もがき、必死に生きようとしている姿はなんとなく清々しくもあり、ある種のフェアさを感じる。

イングランドの実況は “魔法” という表現をしていたが、あれは “芸術” だと思う。



UEFAチャンピオンズリーグでセルティックの中村俊輔がまたもFKから、今度は決勝ゴールを決めた。相手はしかもプレミアリーグで首位快走中のマンチェスターユナイテッド。


ホームということで、360度、満員のセルティックサポーターが大合唱をする中で、中村はスタメンとして入場してきた。いつも思うのだが、サッカーに目の肥えた何万という人間が息を呑み、大声をあげ、見守る中で、自分のパフォーマンスを披露する直前の興奮とはどんなものなのだろうか。


全くもって想像がつかない。



前半、中村は相手のC・ロナウドのマークにつき、攻撃にはほとんど参加出来ていなかった。マンチェスターはチグハグな攻撃を繰り返し、セルティックはほとんどチャンスを作れなかった。


後半もなかなか流れは変わらず、セルティックのほとんど唯一のチャンスがあのFKだったように思う。それだけにサポーターの喜びの爆発ぶりは凄まじかった。終始、彼らは感情を露にして自分の愛してやまないチームを応援し、いいプレーには拍手を送っていた。


終了間際にセルティックはPKを与えたが、ここもサポーターが相手にプレッシャーのかかる空気を創り出し、ゴールキーパーのスーパーセーブを導いたような気がした。


特にプレミアリーグのサポーターが創り出す、ヨーロッパのスタジアムでのみ感じられる、フットボールの歴史やチャンピオンズリーグの歴史の重みを感じられる、その空気感はとても気持ちが良い。それは他に類を見ないもので、何か特別に成熟したものを感じる。


そんな中で生まれた、中村俊輔の左足から放たれたゴール。


先月、直島の地中美術館でジェームズ・タレルの作品に出会った瞬間の、電気が走るような衝撃と似たようなゴールだった。

東京国際女子マラソンを観た。

雨と気温10度という過酷な気象条件の中、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子と2001年世界選手権銀メダリストの土佐礼子のデッドヒート。


高橋尚子は34歳。現在までさんざん走ってきた。

“勝負だから負けたくない” というような自分の中だけの理由では、もう走れなくなった。

最近は “生きるってなんだろう?”というようなことを考えながら走るらしい。自分を全力で支えてくれるチームQのみんなや自分を応援してくれる人たちのことを考えながら走るらしい。



高橋は土佐の後ろについて前に出るタイミングをうかがっていた。高橋が手袋を脱ぎ捨て、帽子を脱ぎ捨てたのを見てスパートをかけるのではないかと思った。あの金メダルを取ったシドニー五輪の、サングラスを投げ捨てたシーンのように。


31キロ過ぎ、土佐がロングスパートをかけた。しかしどちらかと言えば高橋がズルズルと後退していくようにも見えた。高橋の走りに元気がなくなっていった。


こんな瞬間 “人生ってなんだろう?”というようなことを考えながら走る人間は、どんなことを感じて、どんなことを考えるのだろう。


高橋は結局、尾崎朱美にも抜かれて2時間31分台での3位でフィニッシュした。原因は左ふくらはぎの故障だった。

限界だという声が多く聞かれるが、引退は否定した。



アスリートの体力とか身体能力という意味での年齢的ピークを過ぎた選手が、それをどのように補いながらトップアスリートであり続けようとするのか。


それは経験に裏打ちされる工夫された練習なのか、勝負時の駆け引きなのか、人間としての深みなのか。いづれにしてもそのどれもが重要な要素となるし、その競技に対する違った切り口でのアプローチが必要になる。


マラソンという、体力的要素が大いに勝敗を分けるスポーツにおいて、高橋尚子のマラソンに対するこれからのアプローチに密かに注目したいと思う。

野球のアジアシリーズ決勝戦、日本ハムファイターズ vs ラ ニューベア-ズ(台湾)を観戦に東京ドームへ行った。普段なら取材許可を取って観るのだが、今回は少しでも野球界を応援するという意味から自分でチケットを買った。


ベア-ズ側の3塁側内野指定席だったため台湾人と思われる人たちがたくさんいた。彼らは、時には立ち上がり、真剣に自国のチームを応援していた。

「暴力熊打線」と書かれたボードを持っている人がいて笑えた。(暴力はあかんやろ)


試合は日本ハムが1対0という最小得点でアジア一に輝いた。ダルビッシュ投手のスライダーにラニュー打線がついていけてない様子から、日本と台湾の野球にはまだまだ差があるような気がした。しかし日本ハムも1点をとるのがやっと。いずれにしても投手戦の締まったいい試合だった。


日本一よりも上のはずのアジア一だったが、翌日の新聞の一面はいずれも他のニュースに奪われていた。


まずはアジア一の価値を高めるために、開催場所を日本以外にもすべきだし、ホーム&ビジターで試合をすべきかと思う。


まだまだ認知度や価値が低いこのシリーズだが、将来的にはMLBのチャンピオンと世界一のチームを決める大会への足がかりになってほしい。


WBCとプロチーム世界一決定戦が整理されてサッカーのように行われるようになれば、野球は今よりもずっとヨーロッパや世界中からも愛されるスポーツになり得るだろうし、日本から誇りをもって世界へ発信できる文化になり得ると思う。


11人制のサッカーの試合を週に1,2回のペースでやっている。

そこへ日テレベレーザの小林弥生選手が知人といっしょに応援に来てくれた。なでしこJAPANでオリンピックに出場し、男子顔負けのスーパーゴールを叩き込んだ彼女だったが、実際に会ってみると笑顔が印象的な小柄な女の子という感じだった。


「小林弥生の笑顔日記」 は、こちらに→  http://ameblo.jp/yayoi-8/


現在の彼女は、あのスーパーゴール以降二度までのケガを経験し、リハビリの真っ最中だった。一度目のケガが治った時、我慢してきたものを吐き出すかのように切れ切れの動きを見せる自分に驚いたという。体が調子良く動きすぎる分、その負担にヒザが悲鳴をあげ、二度目のケガにつながってしまったらしい。

そんな彼女のリハビリももう少しかかるようだ。



スポーツに魅せられる瞬間というのは、パフォーマンスそのものに感動する場合もあれば、その選手の人間的な成長を垣間見れたという場合にもある。


テニスのアンドレ・アガシが引退する時にいろいろな人の感想を聞いたが、異端児だった彼がグラフと結婚したことで紳士的な大人のプレーヤーに変貌していった過程に魅せられているファンもいた。

トリノオリンピックで4回転に失敗し15位に終わったフィギュアスケートの安藤美姫が見せた今回のグランプリシリーズ優勝にも人間としての成長が垣間見られる。


「女子のサッカーはあまり知られていないから、オリンピックで少し自分のことを知ってもらえたけど、自分がもっともっと頑張っていろいろな人に見てもらいたいし、知ってもらいたい。」


まだ葛藤の真っ只中。


しかし、これをしっかりと乗り越えて、またあの笑顔が弾けるようなプレーを見せたとき、彼女は今までよりも人を惹きつけるプレーをする選手になるだろう。





オシム、オシムって、ちょっと騒ぎすぎのような気がしている。


ジーコ監督よりはやろうとしているサッカーがわかるのでそこに注目が集まり、どのような選手が起用されるのか、ということのようだが、Jリーグのオールスターみたいなチームでは所詮しれていると思ってしまう。いつだったか、家で日本代表戦を観ていたが途中からソファで寝てしまっていた。


いくら戦術とか連係が重要なスポーツといっても、ヨーロッパのリーグとJリーグではレベルの差がありすぎる。結局はCLでも活躍している中村俊輔や稲本や松井大輔らの欧州組が入らなければ何も見えてはこない気がしてしまう。オシム監督もそれは充分わかっていて、騒いでいるのは周りなのだが・・・。


先週末のスペインリーグのレアルマドリー対バルセロナ戦にワクワクさせられるのは、才能ある個人の集まりがどのような戦術でどのような連係を見せるのかというところに魅せられるからだと思う。



“黄金の中盤” には夢があった。今の代表にはワクワクするものがない。そろそろ欧州組が召集される試合が観たいと思うし、騒ぐのはそれからでも充分だ。

F1suzuka


先週はF1日本GPの中継と国際映像配信のために鈴鹿にいた。


今シーズンのF1はこのコラムにも書いたが、序盤は全くもってつまらなかった。しかし今回の日本GPを迎える頃には、ルノーのアロンソとフェラーリのミハエル・シューマッハが年間チャンピオンを争うドライバーズポイントで116で並び、ミハエルは今季限りでの引退を表明し、なおかつ20年続いた鈴鹿での日本GPが最後かもしれないということもあり、異様な盛り上がりを見せた。週末前から観客は16万人を超えたらしい。


F1のファンは視聴率とかでは計れない固定的でコアなファンが存在することを改めて感じた。



結果はアロンソが優勝し、ミハエルはリタイアに終わった。ミハエルは予選から調子は良く、決勝も2番手スタートからトップにたち、そのまま優勝すると思った。鈴鹿のラストランでも彼は有終の美を飾ると思っていた。


しかし彼はトップを快走しながら白煙をあげて止まってしまった。あわててそのスローVTRを出しながら、何かが終わってしまったという感覚に襲われた。


F1のひとつの時代の変遷を迎えた瞬間だった。



彼は車を降りた後、年間チャンピオンを争っている最中で、最後の鈴鹿で、最後は勝てずに引退するという現実を突きつけられたレースで、止まった原因がエンジントラブルであったにもかかわらず、今まで見たこともないくらい穏やかな表情でピットの中のスタッフひとりひとりに握手をした。


“いままでたくさんの勝利をすることが出来た。それはスタッフを含めたみんなのおかげだ。ありがとう。”


これがF1史上、誰よりも勝ち続けた彼の言葉。F1の数々の記録を天文学的な数字に塗り替えた彼の言葉。



彼が引退を表明したイタリアGP以降、数々の誹謗や中傷が噴出した。今までのレースでのアンフェアな振る舞いに対してのことらしい。

“彼は壊れたチャンピオンだ”



彼のそうした行動は、選ばれた人間しかいないF1の世界の中であっても突出した何かがあったからだと思う。それは、勝利にFOCUSしすぎるくらいする、とういうことに他ならない。


そのくらいでないと、F1の歴史上の誰よりもあんなにも勝ち続けることなど出来ないと思う。


誰よりもプロすぎただけで、彼は偉大なチャンピオンであり、人格者だと思う。

テレビの世界には視聴率というのがあって、一応それが高いことが良しとされている。


ただこれからのモノ創りに必要な要素は、その瞬間だけの数字ではないらしい。例えばゴールデンタイムの時代劇で20%の視聴率を取るよりも、深夜のコアなお笑い番組で何度も見たいと思わせるような本物志向のものを創ることで、それがDVDになって売れたりコントのキャラがグッズになったりして、それで制作費などをペイできたりするらしい。


ダウンタウンの「ガキの使い~」のDVDや「人志松本のすべらない話」なんかは典型的な例で、本当におもしろいもの、いいものを目指すこと、目先の利益だけにとらわれないことで大きなリターンが得られていくということのようだ。



この考え方はスポーツ界にもこれから多いに必要なことで、選手を酷使しすぎる日程や、目先の経済的理由が優先された人工芝や、雨天中止はないが雰囲気のないドーム球場など、今一度考え直したほうが良いと思われることはたくさんある気がする。


特にプロ野球のお偉いさん方、未だにジャイアンツとか言っている人たち、もっと本物志向のワールドスタンダードな考え方で物事を考えてはどうだろうか。

ロジャー・フェデラー

テニスの全米オープンで3週間ほどニューヨークにいた。


日本ではあまり大きな扱いをされないテニスだが、そこには静と動からなるカタルシスがある。


男女ともにスターはいるし、今回はアンドレ・アガシというLEGENDの引退やシャラポアの優勝、完璧なまでのロジャー・フェデラーの強さなど話題も事欠かなかった。


これを知らない日本の多くのスポーツファンは、正直もったいないことをしていると思う。



必要なのは “きっかけ” だと思うが、この間のチャンピオンズリーグでの中村俊輔のゴールのような “日本人初!” 的なものか?

試合には負けても “日本人初!”



たまたま仕事でテニスを知った自分は運が良かったと思う。

イタリアの権威ある新聞 ガゼッタ デロ スポルト などが伝えていたが、テニスのシャラポアの発言で波紋が広がっているらしい。

それはアメリカの大会後の記者会見での、「お金のためにテニスをやっている」 というもの。


この発言に批判的な意見としては、スーパースターによる子どもたちへの影響というものがあるらしいが、私の意見としては、ある意味での真実を実直に話していて、変に偽善ぶった違和感がなくて良い気がする。


テニスは彼女において “仕事” なわけで、自分で生活するために必要なことである。


“すべて” と言っているかはともかく、努力をしてテニスのスーパープレーヤーになればお金持ちになれる、という現実はあるわけで、子どもにもそれはわかっているのではないかと思う。


親や既成メディアの流す情報がすべてだった時代とは異なり、インターネットで様々な情報が自分たちで手に入れられるわけで、大人がウソをついていたり何かを隠そうとしているのは子どもにもわかってしまう時代である。


それならばフェアにテニスやスポーツを一生懸命やるメリットのひとつとして、大きくお金が稼げるかもしれない、と言うことはかまわないと思う。


大切なのは、そうなるには相当の努力が必要なことや、そのことと同等以上の価値観も同時に示すこと、真のスポーツマンたちがどのように考え、大きく稼いだお金をどのように使っているのかを示す必要もあると思う。


真実をフェアに並べて、それぞれのメリットをうまく伝えること、解説することのほうが大切なのではないかと思う。