「これはあかん、これはあかんでー!」


というのが素直な感想。


ボクシングの亀田興毅がWBAライトフライ級のチャンピオンになったが、疑惑の判定と言われても仕方のない後味の悪さが残った。


彼は1ラウンドに相手のフックをモロにもらってダウンした。そして11ラウンドでもフラフラのダウン寸前まで追い込まれた。誰の目から見ても彼が勝ったようには見えなかったように思う。


判定はマスト採点方式で3人のジャッジが必ずラウンドごとにそれぞれ優劣をつけなければならず、他のラウンドでの挽回が勝ちにつながったようなことが言われている。



もしこれが本当なら、ボクシングってわかりづらいなあ、ということになる。


“プロ” ボクシングなわけなので、もう少しファンとか見ている側のことを考えたシステムにすべきで、残念ながらボクシング界の“成立してなさ加減” がでてしまったような気がする。


「過去にもあったなあ」と言われるのは、ボクシング界が全然進歩していないということではないかというような気さえする。



ボクシングの人気を本当に取り戻したいと思うなら、選手個人のキャラや強さだけに頼らず、ボクシングそのものの魅力が伝わるようにボクシング界のお偉いさんたちは頭を柔らかくして考えてほしい。


“無敗で世界チャンピオン!”


それは一番かっこいいかもしれないが、他にも人々を惹きつける価値観というものは存在する。


たとえ亀田興毅は負けていても、そこから這い上がって再び真のチャンピオンを目指すだろうし、そこに人々はまた感動し、応援すると思う。


人々が求めているのは、「リアルなもの」であって、作られたウソのものでは決してない。


彼がこれから成し遂げていくことを汚さないためにも、もしボクシング界に “フェア” というものからは、かけ離れた悪しき習慣があるのなら、本末転倒になる前に改めてもらいたい。



亀田興毅は、自分のため、親父や家族のため、ファンのために、ものすごいプレッシャーの中で精一杯のファイトをした。



旧態依然としたシステムのせいで、才能ある個人の輝きが失われてしまうのは言語道断だ。



おもしろくない勝負とは何か?


それは、途中から、最初から、勝負の行方がわかってしまうもの。ハラハラドキドキできないもの。



今シーズンのこれまでのF1のレースはこんなものばかりだった。アロンソの独走に少しミハエル・シューマッハが絡む程度でライコネンもHONDA勢もいまいち。

話題のオールジャパンのスーパーアグリもすぐに厳しい現実を突きつけられた。

佐藤琢磨が、F1のトップチームに、表彰台に、HONDAで挑んだ年とはえらい違いのつまらなさ。


そこには夢や希望や期待が存在しない。



しかし残り7戦を残して少しづつではあるがおもしろくなりそうな気配が漂ってきた。


フェラーリのミハエル・シューマッハが全盛時を思わせるような走りでアメリカGP、フランスGPと2連勝で調子は上向き。ブリヂストンタイヤの手応えもいいようだ。


そしてトップのアロンソのルノーは次のドイツGPから好調の要因のひとつだったマス・ダンパーシステム(ルノーが他の追随を許さないブレーキ時の衝撃を吸収する装置)が禁止されることになり強烈なダメージとなる。


またスーパーアグリが新車SF06を投入。タイム的には1週あたり約2秒も縮まることになり、ライバルのミッドランドとは互角以上に戦えるし、うまくやれば中盤あたりにいくことも可能か。


とはいうもののアロンソとミハエルとは17ポイントと差はあるし、SF06といっても車体開発やエンジンで協力を得ているHONDAがあれではどうなることか。



しかし今までよりは少し週末のドイツGPが楽しみにはなってきている。






ジャイアンツの低迷ぶりがものすごい。地上波のテレビ視聴率も数年前から低迷を続け、今では10%に満たない。


野球をやる子どもが少なくなった、野球をみんながあまり観なくなった、というが、考えてみればそれはあたりまえかもしれない。

「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた頃とでは、価値観は多様化したし、娯楽だって増えてるわけで、人気にあぐらをかいて努力をしてこなかったツケがここ最近のプロ野球の低迷につながっている。


そのことに気付いて行動を起こしている人たちは確実にいる。


日本では野球は比較的歴史のあるスポーツで、世界的にもワールドベースボールクラシックで優勝したように実力だってある。


しかし歴史があるが故に、様々な改革の流れを鈍くさせるような要因もはらんでいる。


残念ながらプロ野球界を牛耳っている人たちにはけっこうなお歳をめされた方が多い。野球だけ見ていれば、やっていれば良かった時代の人たちで、野球のおもしろさを信じて疑わないが、それを表現する術を持てない人たちかもしれない。


サッカーの中田英寿が「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」と言ったのがとても印象にある。



サッカーに世界最高峰のリーグがいくつかあるように、メジャーリーグかNPBと言われるようになるにはどうすれば良いかを考えてほしい。


ヨーロッパにおけるサッカーのように、プロ野球が人々の生活の中にあたりまえにあるように、日本の文化のひとつとなるように、プロ野球に携わる人たちは考えてほしい。



中田英寿の現役引退というニュースはその日の夕方に飛び込んできた。ただ、午後9時にHP上で正式発表されるとのことだった。その日の番組メニューはすべてひっくり返り、そのための準備に追われた。


200673日、午後9時、中田英寿が現役引退を発表した。


前回のコラムで、彼が流した涙は、彼自身をこれからどう変えていくのか、非常に興味があると書いた。

しかし、あの涙の理由はこんな思いもよらないところにあった。



私が社会に出ると同時に、彼はイタリアのセリエAに移籍した。それから彼の試合を見続けてきた。入社して4年目くらいから欧州サッカー番組で彼の試合の音編集を任されるようになった。毎週火曜日は会社に泊まりこんで、ひとりで構成を考え作業した。彼のあらゆる映像を見てきた。


彼の引退発表を受けて、振り返りのVTRを作っている時もなつかしい映像が出てきて感慨深くなった。

そして彼のプレーがもう見られなくなったことに大きな悲しみを感じた。


彼にはあいまいなものは通用しない。自分がプロであるが故に、周りにもそれを求める。


「僕の話、聞いていました?」


こんな質問を記者に浴びせることは日常茶飯事。


“甘え”や“あいまいさ”を良しとしない彼の姿勢は、お互いの立場を明確なものにし、責任の所在を明らかにする。


そして物事をフェアなものにする。


彼を見て、身が引き締まる思いを何度もした。


“個人”ってこういうことをいうのか、と考えさせられた。



フィールドは変わろうとも、これからも彼の生きていく様を追い続けたい、そう強く思った。

W杯の決勝トーナメントはおもしろいカードばかりで寝不足の毎日である。


今回の日本の敗退は、「サッカーってこういうこともあるよ、こういうものだよ。」ということを選手もサポーターも誰もがひとつ経験した、という事実を残したと思う。


日本のサッカー文化もまだ日は浅いので、こういうことを繰り返して、もっと成熟していくはずである。



敗退が決まったブラジル戦後、中田英寿がピッチ上に寝転がったまま泣いているように見えた。


彼はユースの頃から世界で戦い、日本が初めてW杯出場を決めたときでさえ、セリエAでゴールを決めたりローマを優勝させたときでさえ、日韓W杯の決勝トーナメント1回戦で敗退が決まったときでさえ、感情を面に出すことなくクールな振る舞いを見せてきた。


そんな彼を見続けてきた者たちからすれば、想像もつかないシーンだった。



勝ちへの希求心がとても強く、勝つためにはどうすれば一番良いかを合理的に考える。


彼は今大会で日本のリーダーのように言われることが多かったが、チームをまとめたり良い雰囲気を作って引っ張っていくタイプの選手ではなく、どちらかと言えばプレーでみんなを引っ張る、試合中のピッチ上のリーダーのような選手である気がする。


そんな彼がピッチ上のリーダーだけでなく、チームのリーダーにもなろうとしたのは、そうすることが勝つために一番合理的だと判断したからだと思う。


そして精一杯やった結果が世界との差を見せつけられての予選リーグ敗退だったわけで、ある意味で彼にとっての初めての敗北だったのではないかと思う。


「負けて強くなる」


というように、このことから、


中田英寿という人間がどう変わり、


NAKATAというサッカー選手がどう変わっていくのか、


非常に興味がある。


来週の月曜日からテニスのウィンブルドンが始まる。先週までのフレンチオープンから2週間で、またあの4大大会の興奮が味わえるのは贅沢な感じもする。


先週までは私も仕事でROLAND GARROS にいたが、印象に残っている試合がある。

シャラポアが1回戦でアメリカのワシントンと対戦した試合だ。シャラポアは足のケガもあり本来の力が出せず、ランキング100位近いワシントン相手に苦戦していた。そしてとうとうマッチポイントをとられるというところまできた。


コートを静寂が包み、ワシントンがサーブのモーションに入ろうとしたその瞬間・・・。


「なんと!コートに鳩が舞降りて来ました!!あれ?2羽??」


そのときの実況アナウンサーのコメントがこれ。コートに鳩が2羽降りて来て試合を少し中断し、また飛び立っていった。


そしてこの “少しの間” から流れが変わり、シャラポアは見事に逆転勝ちした。


勝利の瞬間を迎えた時の彼女の表情が印象的だった。それは今までに見たことのない安堵の表情で、少し空を見上げていた。


幸運の鳩に救われたシャラポアだったが、結局は4回戦で敗退してしまった。彼女にとっての本当の幸運は4回戦などではないはず。


ウィンブルドンでの活躍に期待したい。

日本代表は、クロアチア代表と引き分けたことにより、予選リーグ突破が難しくなった。この試合の視聴率が50%を超えたそうだが、あの試合中の胸を締め付けられるような緊張感といい、なぜW杯サッカーがここまで人を惹きつけるのか考えてみた。


まずサッカーは他のスポーツに比べて、競技人口が圧倒的に多い。全世界で盛んで、普段耳にしないような国名をサッカーの試合で覚えたりすることもある。その広がりの強みは、高価な道具をいろいろ揃えなくても、ボール(またはそれに代わるもの)ひとつあればプレーできるという手軽さにある。


そして全世界で盛んであることから、サッカーそのものや応援のスタイルに人種の特徴やお国柄が表れ、それがバラエティにとんでいることも大きな魅力のひとつと言える。


サッカーはまさにワールドスタンダードなスポーツでこれからの時代にマッチしている。


また特徴として、極端にロースコアのゲームである、ということが挙げられる。人はがけっぷちの緊張感にドキドキ、ハラハラするもので、なかなかゴールが入らないからこそ、ゴールそのもの、そのどれもが致命的であり、入りそうになる過程だけで人は興奮する。


そしてゴールが生まれるその瞬間、スルーパスが通るその瞬間に人はカタルシスをおぼえ、サッカーの虜になるのではないだろうか。



今大会終了後にはフランスのジダン選手が引退する。彼はサッカー選手でありながらまるでバレリーナのような芸術性あふれるプレーで多くの人々を魅了してきた。


ワールドスタンダードなスポーツにはワールドスタンダードな個人が存在する。


わずかな望みの日本代表もあきらめずに応援しつつ、他の国の代表や選手にも注目してみるのもおもしろいはずだ。

strong style

「STRONG STYLE」 とは、元々はプロレスのファイトスタイルで、正確な意味はわからないが、王道とか本物とか正々堂々というような意味に考えている。


この「STRONG STYLE」の精神は、世の中のあらゆるものにもあてはまるところがあり、またこの言葉の響きの良さから、私はあらゆる場面で多用している。


スポーツ映像の編集という仕事を通して見えるあらゆるスポーツのSTRONG STYLEな選手やシーンを紹介していきたいと考えている。