小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -3ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

昨日、コピーライターをしている友人から突然、A4判の大きな郵便物が届きました。中身は冊子でした。
封を切ると、就職から現在までの半世紀を振り返ったもので、
東京コピーライターズクラブの新人賞をはじめとして、朝日、毎日、読売、日経、日経BP、電通広告賞などを受賞した作品集でした。どれも、すてきなコピーです!
去年から癌に冒され、闘っている友人の最終ページには、
「これまで僕が半世紀近くにわたってコピーライターという仕事を継続できたのは、多くのクライアントや広告代理店、プロダクション、印刷・製版会社の皆様、
そして優秀なデザイナー、フォトグラファー、イラストレーターなどの
クリエイターの皆様との出会いがあったからこそです。
ここで改めて深い感謝と御礼を申し上げます。
そしてもう一人、
毎晩のんだくれて帰ってきても、子育てに協力できなくても、
収入が激減しても文句ひとつ言わずに
長年、陰で支えてくれた妻、純子さんにも、ゴメンね、そしてありがとう!」
辛いです!

患部が多岐にわたってしまっているため、手術も放射線治療も拒否している友人の70年間生きた証です。でも、まだまだ、元気です!! この歳で、女房一人にしちゃいけないよ!

今日、ふとこの一年間を振り返ってみたら、この一年を通して一度も、テレビもラジオも新聞にも雑誌にも登場しませんでした〜。事務所の記録を見ると、これはこの10年間を通して初めて〜! ぼくぁ、編集者であって、他媒体に出るのは本業ではないので生活に響くってことはないけど、本業にしている方たちにとっては死活問題の一年だったろうと振り返っています。
新型コロナもあって本業の仕事もかなり絞って夜間や休日に作業を進めなくて済むようにしてきましたが、さて来年はどのくらい仕事を入れたらいいんだろー。なんて話をしながら、初めての年末年始休みに入りました〜(事務所を開いて40年近く、実質的にはじめて休めます〜)

このところ、「では、今度一堂に会して……」と投げかけると、ていよく「大学側から対面の会合を控えるよう言われているため……」とやんわり拒否され、「Zoomでお願いできますか」と提案されることが続いています。
まあ、個人的にはオンライン授業のこともあるのでZoomに慣れていた方がいいんでしょうが、世の中、生身の触れ合いの中でではなく、パソコンモニターという虚構(?)の世界を通して触れ合い、創作するという時代に変わってきつつあるんですね~。
こんなことを含めて、今回の新型コロナは、大きなパラダイムシフトになるような気がします。でも、ついていけないかな~。

地球の磁気が逆転した痕跡が残るチバニアンを訪ねました~!

遊歩します! 

〝東京23区内最大の「妙見島」遊歩〟
 ――今、島は動かないようにしていますが、
   現代の〝ひょっこり ひょうたん島〟遊歩です!

開 催 日:11月14(土)
集合場所:東西線「葛西駅」中央改札口前
集合時間:午後2時
内  容:①妙見島のみ(山本周五郎『青べか物語』に描かれた妙見島です)。

 

*参加費無料、ご一緒に遊歩しましょう。

〝東京23区内最大の「妙見島」遊歩〟

 ――今、島は動かないようにしていますが、

   現代の〝ひょっこり ひょうたん島〟遊歩です!

 

開 催 日:10月10(土)

     *今回は、少々の雨天決行です。

集合場所:東西線「葛西駅」中央改札口前

集合時間:午後2時

内  容:①妙見島のみ(山本周五郎『青べか物語』に描かれた妙見島です)。

 

*参加費無料、ご一緒に遊歩しましょう。

依頼を受けるたびにお断りしてきていますが、本日はずっと、オンライン講義の方法、といった情報をネットで学んでいました。
でもね~、この歳して新しい知識と操作を覚えるなんて無理だし、現在、うちの事務所は一部屋だけなので、オンラインなんて無理だよ~!

*うちんちの近所で暮らし、わが家に入り浸っている娘一家の4月からの転勤話は、国内同様ニューヨークの研究所も在宅勤務ということで、とりあえず回避。バタバタした生活は落ち着きましたが、なんにしても、もともと一度は転勤しなければならないといわれていた話。海外に行った後、マンションをどう維持するか悩んでいるようですが、解決策、ありませんね~。

〝東京23区内最大の「妙見島」遊歩〟
開 催 日:9月12(土)
     *今回に限り雨天中止
集合場所:東西線「葛西駅」中央改札口前
集合時間:午後2時
内  容:①妙見島のみ。
*現状、街を歩きまわったり、その後一献傾けたりという、これまでどおりの遊歩ができる情況にないため、23区内で最大の島を訪ね、マリーナでお茶をして帰ってきたいと考えます。(マリーナのレストランが閉鎖していた際にはごめんなさい)

 

*参加費無料、ご一緒に遊歩しましょう。

 

 

路上上空一面を隙間なく金網が覆いつくす。陽の光を遮ぎられたその下ではチンチン電車がパンタグラフを伸ばしてノロノロ走り、その路面電車の行く手を塞ぐように都バスが横切る。
周囲は自動車で溢れ動かず、遙か先には画面を横断するように中空を高速道路がゆったりと走る。
これが、巨大なビルを重機でことごとく壊し続けたあとの「’64 東京オリンピック」(市川崑監督)の出だしのシーンでした。これを世界に向けて放映したということは、当時の日本は敗戦後、ほんの数年でモータリゼーション社会を構築したということ(ボクの友だちのうちでは毎朝、車の前で、クランク型の工具を使って長い時間を費やしてエンジンを掛けていた車でした。柴又にまで普及していたのですから、高級車じゃな買ったかも知れませんが、モータリゼーションの普及なんでしょう)。
 この混雑、混乱、混沌とした社会を含めて、その解決策の提示に至るまですべてが当時の日本人にとっての矜恃で、それらの姿を世界に向かってアジテーションしたかったんではないでしょうか、というのがボクが長年、抱いてきた疑問でした。(地元のビデオ屋さんに行って、’64当時の東京オリンピックのビデオを探してもらったこともありましが、店のお兄さんからそんなビデオはありませんと、却下されたこともありました)
ところが、今回映画を観ると、額縁として使っている日の出のシーンのあと、たしかにこのシーンを映し出しましたが、わが家にはビデオという機械がなく、テレビ画面を携帯で瞬間的に撮っただけ。ぼんやりして、なおかつ、BS代をお支払いください、という墨ベタに文字白抜きの窓が邪魔して、確認できませんでした。う~ん、今、取っ払えって話題の、日本橋の上の高速道路だと思うんだけどな~。
ちなみに、映画での東京オリンピックのテーマは、「平和」でした。