これって、後世につくられた話じゃないの~ | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

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「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

昨日facebookのあるグループで土手をつくって焼くもんじゃ焼きの写真が掲載されていました。本所だそうです。そこで、本所って、土手をつくってもんじゃを焼くんですか~、と尋ねると、北千住や浅草はつくりませんが、本所や月島は土手をつくって焼きます、とのこと。
う~ん、たしかにそんな話を聞いたことがあります。
でもね~、これって都市伝説では、と最近思っています。
というのは、新佃(今は佃何丁目?)生まれで佃小学校を出た80歳ちょっと前の女性は、「月島にもんじゃ焼きやなんてありませんでしたよ」とのこと。これは60年以上昔の話?
ボクのオヤジ(90歳をこえてます)は本所生まれの本所育ち。そのオヤジは土手なんかつくっていませんでした。ボクの同級生(墨田区の立花。65歳)も土手はつくりません。
50年近くなるでしょうか、千住のもんじゃ焼き屋では土手をつくっていませんでした。
ところが、40年ぐらい前、虎ノ門にもんじゃ焼き屋ができて、土手をつくらず焼いて食べようとすると、「もんじゃの焼き方もしらないの!」「どんな風に焼こうといいじゃないか」と店の方と客との間のトラブルが繰りかえし発生(この話は各所で発生。そうしたトラブルに出くわすだけで嫌になってしまっいました)、その後楽しく食べられないもんじゃは、ボクの周辺では敬遠されるようになりました。
ということで、土手をつくってもんじゃを焼く、月島では土手をつくって焼く、という画期的な焼き方はこの40年前ころからの料理法で、ボクらにとっては後世の都市伝説じゃないの、というのがボクの考えです。(「深川飯」も同様。ここ30年ほどの単なる新商品開発)
ただし、40年ほど前に諍いになった焼き方に関するトラブルは今はないようで、ボクは楽しく美味しく食べています。今は食べ方でクレームを付けられることはありません。まぁ~、外ではちゃんと土手をつくって食べていますが~。