5月の連休に読もうと思った本(ほとんど読み返し。ただし、わが家には一冊も書籍がないので、もう一度買い求めたり、図書館で借りたりしました)がやっと読み終わりました。
都市の中枢性と異化の排除、そしてまち歩き(の視点)を中心に読みました。
[コミュニティ論]
B.ウェルマン「コミュニティ問題――イースト・ヨーク住民の親密なネットワーク」『リーディングス ネットワーク論』(勁草書房 1979)――ネットワーク展開によるコミュニティ解放論
[哲学]
荒俣 宏『江戸の幽明』(朝日新書 2014)――周縁へのまなざし。一昨年の暮れに出されたそうですが、周縁への視点がなんとも嬉しい! あえて、哲学に入れています。
R.バルト『表徴の帝国』(新潮社 1974)――中心をもたない、意味から解放された自由。
ベルクソン――読書会同様、ドゥルーズ経由。
G.ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(法政大学出版局 1974)
『シネマⅠ――運動イメージ』(法政大学出版局 2008)『シネマⅡ――時間イメージ』(法政大学出版局 2006)――読書会で読んだんですが、もう一度。
A.フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング――映画とポストモダン』(松伯社 2008)――移動性+仮想性をもつ視線。W.ベンヤミン――A.フリードバーグという流れ。惜しい人を亡くしました! ボクにとって、同時代の星だったのに!
H.ルフェーブル『都市への権利』(筑摩叢書 1969)――もいちど、ルフェーブル。これは、D.ハーヴェイを読み直すため。
D.ハーヴェイ『反乱する都市』(作品社 2013)――都市の権利、さらに〝都市コモンズ〟を取り戻そう! 気持ちがいい! いまだ、室内で〝物化〟とか〝物象化〟なんて哲学しているより、歩こう!
[テクノロジー]
C.アレグザンダー『パタン・ランゲージ――環境設計の手引き』(鹿島出版会 1984)――都市はツリー構造ではない! というのはケビン・リンチだけど、『都市のイメージ』が手に入らず、もいちどアレグザンダー! 神田駿河台を自動車が入らない大学解放区に! 火炎瓶ではなく、都市コモンズとして神田カルチェラタンを! なんて、パタン・ランゲージを読んでいると次から次へと都市開発への提案が生まれてくる!
高階秀爾「都心文化の構築」『日仏都市会議2003 文化資源とガバナンス』(鹿島出版会 2004)――ルーブルと上野の山は同じボリューム。ルーブルに倣い、上野の山に地下都市を!
[カルスタ]
吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂 1987)――上野、浅草、新宿、渋谷を考察したカルスタ(カルチュラル・スタディーズ)。読書会のため。街の純化、異化の排除に陥らないための必読の書(そこまで、読み込めれば)
吉見俊哉『博覧会の政治学』(中公新書 1992)――モノを陳列する博覧会と人をテーマにしたオリンピック。
今村仁司『群衆――モンスターの誕生』(ちくま新書 1996)――組織内の考えを純化させていくと、他を排除するファシズム・スターリニズムになる。最近、この本の感想をお聞きしたため。
まあ、テレビやラジオで呼ばれたり、新聞、雑誌から取材を受ける際、いきなり「過去を保存する能力が衰退しているんだよ」とか「時間を空間化する必要があるんだよ」なんていったら拒否反応を受けるだけなので、いかに微塵にもださないか、なんですが……。