ず~っと変わらない――夕べ40年ぶりに友人Mと示威行動に行ってきました | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

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ず~っと変わらない

ボクと友人Mとは同じ大学の同じ学部、しかも同じ学科で同じクラス――なんですが、知りあうきっかけは、大学に入った年のたしか6月頃。6.15だったかも知れません。明治公園で大きな集会とそこを出発点としたデモが企画されていた日でした。と同時にその日は、青い帽子を被ったグループと、白い帽子を被ったグループの党派闘争の日でもありました。青い帽子を被った連中は、運び込まれたコーラを飲み干し佐々木小次郎のように先に公園内に陣取っていました。そこに白い帽子の連中が入り込むや一斉にコーラの瓶をき割って……。まったく、馬鹿そのもの。党派闘争でも何でもない! ろくでもない連中のでいりで、このあと、党派が違う者が一緒に集まって、ということが消滅し、各派とも衰退の一歩を辿る、という最後の集会でもありました。

そんな集会場の中で、声を掛けたのはどちらだったか、ボクとM。話をすると、同じ大学、しかも同じ学部。さらに同じ学年だといいます。でも、集会場に集まっている、というからには、学科が違う(集会に出るというのは政治学科でしょう?)と思い、訪ねるとなんと同じ学科。当時は、まだ学校に入ったばかりで、ボク自身も自分が何年何組なのかよく分かっていました(というかけこう分かっていたはずです)。で、クラスを聞くと、いやはやなんともクラスまで一緒じゃないですか。この数千人で埋まった明治公園の中で、まったく同じ境遇の者がいて、しかも知り合うなって軌跡です(まあ、学校は4月から始まっているので、授業に出ていればそれまでに会っていても不思議ではなかったかも知れませんが)。そのあと、それぞれの別々にデモ行進に向かったので、再会したのは、学館(学生会館)内でしたが、それから40数年。二人だけで、今度は反核の示威行動。いや~、ともに歳をとりました。と同時に、周囲の方々、みなお歳を召した方ばかり。この示威行動の場合、党派闘争にあけくれた明治公園ではなく、善良な市民の声を訴える声なき声やベ平連の経験者のように節度をもった品のいい方々のようにお見受けしましたが、みんなボクより年上。40年経っても、ボクらは一番の年下でした。

ず~っと変わらない、というのも淋しいな~。