人は外見で判断する!
屋根を見せ、深い軒先をつくるわが国の建築物は、柱と梁で組んだ構造美を見せます。木目を見せた柱(西洋人はこの木目を嫌い、ペンキで塗りたくったりします)を現(あらわ)しにし、白い漆喰と鮮やかなコントラストを表現する真壁や虫籠窓、格子、出格子、肘掛け縁などファサードの表情が豊か。
その一方、西洋建築はなんとも無粋な世界。石や煉瓦を積んで囲った西洋の建築物は無機質。人の温かみが感じられません。しかし、人はどうしても外面で判断します。そのため、西洋では装飾によって覆われた装飾建築が長い間続いていました。
このため、あくまで外見重視。例えば、階段窓など、上り下りする利用者にとっては人の目線に沿って窓を設けて欲しいわけですが、見てくれからデザインを考えているため、高窓のような位置に配置されまったくソトの風景が見られなかったり、という建築物も多く見られます。これは日本ですと、明治から大正期までそのようなビルを見かけることができます。中央棟をちょっとせり出させて中心性を強調し、左右両翼をシンメトリーに窓を綺麗に並べる、なんてのがその手です。
これが、昭和に入っての東大安田講堂になると階段窓は目線に沿って配置され(階段上から窓を見ると上下では千鳥に配置されているように見えます)、かつソトから見ても綺麗に連なっている、という工夫がされています。これは、外見上だけでなく、内部からの眺望も考慮される時代になってきたということです。竣工は1923(昭和12)年。設計は後に東大総長となった内山祥三。
この4年前有楽町の駅前に誕生したのが日劇(日本劇場)。こちらは帝冠建築で知られた渡辺仁。
日劇が取り壊され、もう30年以上経ちますので覚えていらっしゃる方も少ないかも知れませんが、建物の上の方に円窓が綺麗に並べられていました。屋根裏部屋といった高さです。実はその階は踊り子さんたちの着替え室だったそうで、着替えた後、イス座ってフッと外を見る。するとそこからは有楽町の映画館越しに日比谷公園のドイツ式庭園や和の心字池が見えたり――。これらの風景を見るとはなく見つめながら出番までのひとときを過ごしたり、公演後風景とともに疲れを洗い落とす――日劇の円窓はまさに都会のオアシスになっていました。
採光と換気からはじまった窓は、ヨーロッパでは中世に板ガラスが開発され普及することによって、「眺望」という機能が生まれました。わが国では、それから300年ほど経て大正時代板ガラスが普及し、洋館でも「眺める」という概念が生まれてきました。もちろん、自然とともに過ごしてきたわが国の和館の場合、「見晴らし窓」とか「借景」という概念はずっと昔からあったんですが……。