窓――直線へ向かった西洋と曲線に憧れた日本
西洋と日本の窓を比べて見ました。すると、カタチのうえから大きな違いがあったことに気づかされました。というのは西洋の窓はアーチ窓、つまり曲線、それに対して日本の窓は直線――であったということです。曲線と格子といったところでしょうか。
もう少し詳しく見ていくと、元々、ギリシャ神殿は木造で建てられていました。ところが、使っていたレバノン杉は、一度伐採するとなかなか生えてこない。まあ、日本の秋田杉だって、近畿のヒノキだって、針葉樹というのは一度切ったら死滅する。そこが広葉樹と違うところ(広葉樹は切っても生命力豊かにまた生えてきます)。ということで(地中海地方は樹木が生長する夏に湿気が少なく雨が少ない。逆に冬は樹木が寒さに耐える時期ですが湿気が強く雨が降る――と、日本と逆ということもあります)、樹木が枯渇し、石造りに変わっていきました。この当時の窓は長方形。この木造から発想された直線の窓はローマ時代も続きましたが、そののちのロマネスク(ローマ風のという意味になります)の時代なると石造り、煉瓦造りからの発想から窓はアーチ形になります。このアーチ窓はコルビュジエやミース、バウハウスなどのモダン建築がはじまるまでつづけられました。以来、西洋建築は、曲線から直線と直角の時代に突入。コルビュジエも「直線と直角がもっとも美しい!」といっていたほどです。
わが国に西洋建築が入ってきたのは、幕末から。明治、大正を経て、昭和の戦前までを近代建築といいますが、明治・大正時代の憧れといえば曲線の窓。直線と直角しか見てこなかった(寺院の火頭窓(お寺では火を嫌うため、華という字を当てることが多いです)というのや茶室での円窓というイレギュラーなものはありましたが)われわれは西洋の曲線に西洋文明の香りをかぎ、限りない憧れをもちました。ところが、この頃には、西洋は曲線の世界から脱却、装飾建築から“裸の建築”(コルビュジエはサロンデボザール(日本の学士院会員に相当)から裸の建築と批判されていました)へ向かって旧来の大家と格闘していました。