「横丁・小径学会」本郷菊坂遊歩(1) | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

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「横丁・小径学会」本郷菊坂遊歩を行いました
10月27日(土)、「横丁・小径学会」本郷菊坂遊歩を行いました。今回も参加者は8名。

スタートは本郷三丁目交差点の「かねやす」から。「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」と川柳にまで詠まれたかねやす。江戸城からこの本郷のかねやすまでが防災上の理由から瓦葺きが奨励された地域です。
このかねやすから東大前を通るのが旧中山道。現在の本郷通りで、これが表通り。現在の道幅を測ったところ、実測で14mありました。この本郷通りに面しているのが東京大学。まずは、赤門。りっぱな薬医門です。
東大は、かつて“帝大”と呼ばれた学校。さまざまな学校を吸収した組織でしたが、戦争を繰り返す中で優秀な官僚の育成を痛感させられた政府は大学制度の構築を図ります。それが帝大制度で、京都や福岡など主要な都市に帝大を新設し、全国規模で優秀な官僚の育成を図りました。これにより単独であった本郷の帝大は“帝大”から“東京帝大”へと名称変更。さらに、戦後、占領軍(アメリカ)から日本の教育制度は「封建制そのものだ!」と批判され、現在のような誰でもが大学に行ける民主的な教育制度(単線型教育制度)に移行しています。
*封建的というのは戦前の教育制度は「複線型教育制度」といって、小学校(小学校→高等小学校)で終わる子どものコースと、高校、大学へと進む(小学校→中学校[女子は女学校]→高校[女子大は高校に相当]→大学)子どものコースが小学校卒業の時点で分けられていたからです。欧州ではまだこうした制度が残っています。
この官僚育成制度が、東大本郷キャンパスのマンホールに残存。マンホールの蓋には「帝大下水」とか「東京帝大暗渠」、さらに「東京大学」――と記されているのを探索しました。
この後、「落第横丁」へと進むつもりが、東大構内はワンダーランド。見るもの聞くもの何もかもが興味津々。ということで、長い長い寄り道の探訪になってしまいました。