終末のフール/伊坂幸太郎 | デジタル編集者は今日も夜更かし。

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出版社に在籍していながら、仕事はネット、携帯などデジタル企画のプロデュース。

もし雑誌をやっていたら記事にしたかもしれない様々なネタを、ジャンルにこだわらずコラム風に書いてみる。アナログ志向のデジタル編集者は、相も変わらずジタバタと24時間営業中!

終末のフール


さあ、がんばろう!
と決意した誰しもに共通するのは、
その目がすべて、未来を見つめていることだ。
しかし、もし、その未来に限りがあると分かったとき、
人はどれだけ“がんばる”ことができるだろう。
がんばることを自分に求めることができるのだろうか。


三年後、隕石の衝突により地球が滅びることが決まっている。
観測によりその未来が分かったのは数年前。発表当時には、政府機関が科学の粋を集めて対策を練るが、ことごとく徒労に終わる。
もうなすすべはない。人々はパニックに陥り、盗み略奪はもちろん、殺人や暴行など刹那的で利己的な犯罪が多発し、都市機能もダウンする。
この小説は、そのパニックも収まり、不幸な被害者や不埒な加害者がいなくなったあるマンションが舞台となる連作である。
三年後の滅亡は確定しているけれど、街は「凪」の状態。
残り三年。それでも日常の平静さを取り戻した人々は、何をするのか。そして、どう生きるのか。
テーマから想像できるようなSFではないし、ヒーローももちろん出てこない。著者の怜悧な死生観と小説技法が活きる、想像力が膨らむ素敵な小説である。


ちょうどこの本を読んでいる頃、自分の未来に限りがあると、ボクも気づいてしまった。
年齢的な問題、つまり余命の問題とは、本質的にはちょっと違う。


たとえば大好きなレゲエMC4人のグループ“湘南乃風 ”は、名曲『CLASSIC』(湘南乃風~Real Riders~)で、子どもたちと一緒に歌う。


♪やればできる
♪願いはかなう
♪明日はくる、必ず


力強い彼らのメッセージを一緒になって歌って(がなって)いるとき、ふと寂しくなり緊張している自分がいるのだ。この歌詞はボクにも当てはまるのだろうか。本当に願いはかなうのか。がんばって、やり続けることに意味があるのか…。


人は人生の途上で、未来が永劫ではないと、徐々にだが悟っていく。
子どもの頃。ちょうど今ごろ。夏休みが永遠に続くわけではないと、やり残した宿題におののいたことを思い出す。子どもたちに残された夏休みには、あと三日というリミットがある。
高校に入学してしばらくすれば、憧れていた高校球児が同世代で、いまさら野球を始めても望むべくもないスターであることに気づく。
そうやって、すべての可能性がいつまでも待ってくれるわけではない、という事を悟る。
職業という将来の夢を始めとするさまざまな人生設計も、ボクはもうとっくに選択済みだ。
どちらかと言えば、夢をかなえてきたけれど、このまま未来を見続けていいのか。
ボクに残されている可能性は、無限ではない。オトナになって、たくさんのことを順番に諦めてきて、たぶん、できることとできないことのバランスが、逆転しつつあるのだと今さらながらに気がついたのだ。
この夏、じつはそんなことを考え続けてきた。


ある意味での結論。


もしも、このままボクが夢を見続けるとすれば、それをかなえようとすれば、未来を次の世代に受け継いでいくことで、満足や喜びを感じることを目標にしなければならないのかもしれない。
彼らに限られた己の未来の可能性をつないでいくことが、本当はオトナの目標なんだろうな。
つまり、子や孫、次世代の幸せを祈ったり、期待をしたり。
それこそが自分自身の望みとならない限り、ココロ穏やかに過ごすことはできはしない。
本当は、諦めていなくちゃイケナイ年齢になっても、自分自身の夢を持ち続けることは、つまり、ガンバろうのモチベーションそのものが生きていくことに邪魔なんだ。分かってきたような気がするけど、夢は捨てられない。だから、しんどい。


小説のなかで、苦しいトレーニングを続けるボクサーとサポートするトレーナーが登場する。がんばり続ける。地球滅亡が三年後と知っているとき、ボクはどう生きるんだろう。


終末のフール/伊坂幸太郎