「人生、今からでも車線変更は可能だろうか。」と帯にある。
元銀行員。いまはタクシードライバー。
過去のプライド、現在の迷い、
過去への執着、未来への不安、
根拠のない自信、過剰な卑下。
2006年の、街のどこかに、たくさん転がっていそうな主人公の境遇とエピソード。
それでも、『明日の記憶』で読ませた作者の人を見つめる視線の優しさと鋭さが、最後まで飽きさせず、ボクはページをめくることになる。
同時に、章を進む毎に自らに問いかける緩やかな時間の流れと余裕が、文体にはある。
あの時、あの一言を言っていれば、
あるいは言わなければ、別の人生を歩んでいただろうか。
主人公の妄想に付き合ううちに、そんな事を考える時代がボクにもあったなぁ、と思い出す。懐かしむ。
すなわち、いまのボクには、そんなココロの隙は微塵もないのだ。
過去のすべてが今に繋がっていることをボクは知っているが、感謝こそすれ後悔はない。
なぜだろう。
同じ思い出に、かつて悔やんだことも、しっかりと覚えている。
ある時は、後悔。ある時は、感謝。
その違いは、たぶん、“今”という状況の差かもしれない。
飲み屋の隣の席から、電車のなかで隣のつり革から、
仕事の愚痴や上司の悪口が聞こえてくる。
時には、仕事の場でも、テレビのなかからも、
日々と人生のため息が聞こえる。
傍らで聞いている友の顔も、同じ悩みを抱えているのか、一様につまらなそうな顔で同調している。
いやなら、辞めればいいじゃないか。
もし、上司が間違っていれば、諫めればいいじゃないか。
自分の信じる道を、自分で選べばいいじゃないか。
人生のハンドルを握っているのは、タクシードライバーではなくて、自分自身なのだ。
境遇を呪ってはいるけれど、
そこに身を置きたいのは、じつはキミ自身なのじゃないだろうか?と問いたくなる。
「人生、今からでも車線変更は可能だろうか。」
いつでも、いつからでも、それは可能だ、と思う。
ただし、それは、
煙草好きが禁煙することに似ている。
禁煙に成功するのは、本当に煙草を止めたいときだけだ。
もし、失敗するとすれば、それは、本人がなんと言おうと、なんと思おうと、まだ煙草を吸いたいのだと思う。
ダイエットに失敗するのは、じつは、苦労して痩せるよりも、いま目の前にあるチョコレートを一粒食べたいのだ。腹筋を100回するより、そのままゴロゴロ昼寝をしたいのだ。
人は、強くはない。
ボクなんて恥ずかしいことに、いまだに煙草は止められない。
2年も前から、あと5キロ痩せる!と宣言し続けている大嘘つきだ。
それでも、人生は自分で選べる。車線変更だってできると信じている。
与えられた条件は人によって異なるだろう。
運だって、左右する。
でも、人生だよ。人生とは、生きることそのものだ。
もし、持って生まれた運が悪ければ、人以上の努力を必要とするだろう。
いま最悪なら、少し改善するだけでもとてつもない覚悟が必要だろう。
それでも、ボクは、車線変更を躊躇わない。
その事に気が付いてから、ボクは、道を選ぶことに不安がなくなった。
ゆったりと、自らの過去も振り返ったりしながら読んでみると勇気がわく、かもしれない。