江戸時代の古文書ではない。
神戸にいた高校時代に、仲間と創った『放浪癖(ほうろうへき)』という同人誌の創刊号。
当時、ガリ版刷りの同人誌が流行っていて、ボクの通う高校でもロック系の『君の友だち』や哲学する『視考言人』などかなり本格的な同人誌が次々と発刊した。
『放浪癖(ほうろうへき)』は、一応“旅"などをメインテーマにしているけれど、同人誌というよりは、いろんな記事を集めたエンタメ雑誌のような内容。他誌のような確固たるポリシーはなかった。
高校生当時、ボクは雑誌の編集なんぞにそれほどの興味はなく、まして将来、職業として編集者を選ぶことになるなんて考えてもいなかった。とりあえず、遊びの延長で何かやってみたかったという安易な動機だった。
『放浪癖』は他の同人誌と異なり、なんとすべて手書きの雑誌で、つまりこの創刊号はこの世に一冊しか発行されず、つまり現在もボクの手元にしか残っていない。
表紙は、創刊直後に亡くなられた書道教師・准田雲享先生の遺作。A4の紙に、数号分を書いていただいた。原稿は、同人各自が原稿用紙や白紙に万年筆や鉛筆で書いたモノをそのまま使用し、目次やタイトル、編集後記などをボクが書いて編集、挿入し、ホッチキスで綴じて装本している。
一冊しかないので、当然、その一冊を回し読みをする。
手書きにしたのは、ガリ版を作るのが面倒だったから、というのが最大の理由だったのだが、そこからじつはこの『放浪癖』最大の特徴が生まれてくることになる。
本文30ページ前後の編集後記の後ろに、ボクは読者名簿(読んだ人名簿)と、感想を自由に書ける白紙を数ページ付けた。
当初は、当然友人の間を手渡しされていた『放浪癖』は、すぐに学年の壁を越える。自分で言うのもなんだが、結構、面白かったのだ。
そして、時々同人の手元に戻ってくるのだが、そのたびに名簿の名前と、感想の書き込みが増えている。楽しみに感想を読むと、これがとても面白いのだ。
すぐに白紙のページが足りなくなり、どこかの誰かが、また数ページを足して綴じてくれる。つまり、戻ってくると、総ページ数が増えているのだ。
そうこうしているうちに、我らが『放浪癖』は、同窓生の兄弟姉妹や友人の手を経て、市内の他校を旅するようになる。『放浪癖』が放浪を始めるのだ。一ヶ月戻ってこないこともしばしば。そのたびに、もはや感想とは言えない、新しい記事、企画、コンテンツが増えている。ページは最初の『放浪癖』の倍にもなり、何倍にも読みでがあって、面白くなっている。知らない高校の会ったこともない人の名が名簿に書かれていたりする。
インターネットはもちろん、パソコンもなかった時代。
これってブログに似ている、と、ふと思う。
それ以上に、この現象をマーケティング的に分析してみると、
・手書きの雑誌&白紙の読者記入欄を設けたこと
→これは、ブログのようなCMS(コンテンツ・マネージメント・システム)である。
・ここに読者の書き込みがあって、さらに面白い雑誌に育っていく
→これは、まさしくCGM(Consumer Generated Media)、つまり消費者制作メディアなのだ。
・手書きゆえに、人から人へと手渡しをして広がる、
→なんと、これはまさにソーシャル・ネットワーク・システム=SNSではないか!
高校2年の終わりに創刊をして、3年の5月に第二号を出している。第三号の原稿を集めている間に、受験勉強が忙しくなって『放浪癖』は終わった。
3年生の5月の文化祭の時には、仲間と教室を使って同名の喫茶店を開いた。何人もの友だちが手伝ってくれて、ボクたちの知らない間に読者になってくれていた他校の女のコが花束を持ってきてくれたりもした。
昨日、母校の同窓会があった。卒業と同時に神戸から東京に引っ越して、それ以来没交渉だった同窓生から連絡があったのが一月半前 。その後たびたび、当時のことを懐かしく思い出した。そういえば、と探して引っ張り出した『放浪癖』。多くの人の手を経て、ボロボロになって、どこかの誰かがそのたびに修復してくれて、最後にはボクの手元に戻ってきてくれた。
何となく、今の仕事の原点であるような気もする。
何となく過ごしてしまった高校時代、と思っていたけど、やっぱり人生の大切な時期なんだな。。
今回の同窓会には都合がつかず出席できなかったけれど、次のチャンスには『放浪癖』持参で参加しよう。