父の日に、携帯でeカードを送った。
いいオトナが、父親にカードを贈るなんてちょっとヘン?
しかも添えたメッセージは、
母の日に比べて、どうにも分が悪いけれど、
尊敬と感謝の気持ちを贈ります。
躊躇なく書いて、躊躇なく送った。
最近携帯メールを自在に使いこなす父からは、即座に絵文字てんこ盛りの返事が来た。
メッセージに対しては、「半可通!?」と書いてある。半可通? 利いた風なことを言うな、ということか。素直に受け取れないところが、父と母の決定的な差。かわいくない。
幼いころ、夜も更けてから帰ってくる父親をスゴイと思っていた。まだ闇を恐れていたホントに小さな小さなころの話。外にコツコツと革靴の音が聞こえてくると、なぜか父だと分かった。駅からの道程は暗い夜道で、その闇を走り出しもせず、堂々とした足音を響かせてゆったりと帰ってこられる父をそれだけで尊敬していたのだ。
小学生のころ、父がトイレに入って小便をするときの音をスゴイと思っていた。ボクがおしっこをすると、チョビチョビという音しかしないのに、父の小便はジョボジョボジョボとぶっとい音がした。それだけで偉いと思っていた。
スキーを担いで出かけていく父を格好いいと思っていた。ジャンプもできるの?と聞くと、できるさ!と当然のように応えた。スゲーと思った。
ね?昔から、ボクはあなたを観察し、尊敬していたのだ。そして、その延長線上にいまの父がいる。
オトナになる過程で息子にとっての父の存在はライバルとなり、超えるべき最初のハードルとなる。諍いがあったり、確執が残ったり、会話が途絶えたり、それは男が男になるためには避けられない旅立ちへのシミュレーションだったりもする。
そういった時期をそれなりに通り過ぎ、自分の記憶のなかにあるかつての父の年齢を初めて超えたとき、息子として父親とどう向き合うのか。そんな事を考える時期が男にはやって来る。照れくさいけれど、それからも長い付き合いが続くのだ。息子に息子ができても、つまり孫ができても父親は父親なのだ。
重松清の『流星ワゴン』は、38歳の主人公が、38歳当時の父親と出逢うファンタジーで、帯には、「僕らは、友達になれるだろうか?」とある。
事故で亡くなった若き父親と小学生の息子が駆る旧式のHONDAオデッセイに、主人公と若き日の父親が乗り合わせる。オデッセイは時空を超えて、二組の父子の過去や現実を訪れる。若き親子はオデッセイの事故で亡くなっているし(つまり幽霊)、やりきれない現実から逃避して死も覚悟した主人公と、現実世界では死期が迫っているその父親という不思議な組み合わせの四人は、“人生のやり直し"の可能性を求めて旅を続ける。
泣かせどころ満載で、素直になればなるほど、心を裸にすればするほど、泣く。
死者と生者が語り合ったり、現在と過去を行き来したり、それって小説として狡くないか?と昨今のファンタジーに多い手法に少々の疑問も持つのだが、まあ、それも素直になれば許してもイイか…。ホントはオトナの男に読んで欲しいけれど、つまり男のための小説のような気がするのだけれど、この方法しかなかったのかな、とやはり少しだけ残念。
2年前の父の誕生日に、両親の結婚当時の写真をデザインしてプリントしたTシャツを作ってプレゼントした。もちろん、二人ともいまのボクよりも遙かに若い。
母はきれいだし、父もなかなかスマートでお似合いのカップルだったようだ。
誕生日当日には無理矢理着せて写真を撮ったが、その後、着ているのを見たことがない。
この二人が出会って、恋をしたから、いまのボクがいる。ね、ちゃんと、感謝だってしているんだ。
■流星ワゴン/重松清■