縄のれんをかき分け、カウンターの隅のスツールに腰をおろしながら、オヤジさん、いつものっ、と声を掛ける居心地の良さ。オトナの特権。
少しだけ憧れるけど、ボクにはいわゆる馴染みの店、というのがほとんどない。
求めているのは居心地の良さよりも、新しい発見、新鮮な刺激。
毎日のように新しい店ができる。新しい味やサービスが提案される。
せっかくなら、東京で起こるすべての出来事を体験したい。
世間のすべてを知っているわけではないのに、定住の場所を決めたくないのだ。
100%の満足を得るための飽くなき欲望…。
しかし正直に言えば、ちょっとお疲れ気味な今日この頃。そろそろ馴染みの店が欲しいかも。
宮部みゆきさんの時代小説を久しぶりに読んでみると、いやはやなんとも心地よい。
それはまるで、馴染みの店のいつもの席に腰を落ち着けたような居心地の良さに似る。
個性が際だつ主人公や脇役の絶妙の布陣。物語性を重視しながらもそこここにちりばめられたミステリーの布石。時代考証に沿った小粋なセリフと流れるような文章。安心して読み進めることができるのである。
さすがに安定したベストセラー作家の力量。
新しい才能が次から次へと登場する小説の世界。新鮮な表現や、新時代の言葉、想像もしなかったようなテーマ。新人も、新刊も、見逃すわけにはいかない。話題の小説には目を通したくなる。そのなかから、肌に合うお気に入りの作家に出会うのは、読書の大きな楽しみのひとつだ。
でもアタリもあればハズレもあるのは、お店探しも小説も同じだ。話題にはなっているけれどウムムな小説ばかりが続くと、居心地の良い馴染みの小説、安心できる小説に帰りたくなる。
宮部みゆきの小説は、時代物もSFも現代小説も、ボクにとってはハズレなしの佳作ばかりだ。
ほんの数ページを読むウチに、行間から声が掛かる。
やあ、久しぶり。どこで浮気してたのさ?
ちょいとあちこち覗いてたんだけどね、宮部さん、元気だった? プハーッ、やっぱりイイねぇ、落ち着くねぇ。ここの煮込みはやっぱ最高だよ、みたいな…。
だから逆に、彼女の作品の場合、新刊が出たからといってすぐに飛びつく事もない。疲れたときに購入して読む。どれを選んでも、いつ読んでも、身も心も委ねながらの安心読書が保証されているからだ。
そんなワケで、発表から5年、文庫化されて1年が経つ『ぼんくら』を、ボクの心の都合でいま読んだ。もちろん、改めて感想を書くほどのこともない。だって、当然のことながら面白いんだもん。
■ぼんくら(上・下)/宮部みゆき■