きに露の玉を散らした、袖そでの長い着物を着ていたものである。
一八 相撲
相撲すもうもまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家うちの裏の向こうは年寄りの峯岸みねぎしの家だったものである。僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山ひたちやまや梅ヶ谷の全盛を極きわめた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾さかほこでもどこか錦絵にしきえの相撲に近い、男ぶりの人に優すぐれた相撲はことごとく僕の贔屓ひいきだった。しかし相撲というものは何か僕にはばくぜんとした反感に近いものを与えやすかった。それは僕が人並みよりも体からだが弱かったためかもしれない。また平生見かける相撲が――髪を藁束わらたばねにした褌ふんどしかつぎが相撲膏すもうこうを貼はっていたためかもしれない。
一九 宇治紫山
僕の一家は宇治紫山うじしざんという人に一中節いっちゅうぶしを習っていた。この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上しんしょうをすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。
この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌みそを買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家うちへ帰ってくると、「それでもまあ褌ふんどしだけ新しくってよかった」と言ったそうである。