クラチェから帰ってきた夜のこと。いつもは即効眠りに落ちる私が、なかなか寝付けなかった。1時間、2時間…カンボジア語で羊を数えてみてもダメだった。(余計脳ミソ活性化。)
クラチェ行きを契機に、私は今後の活動の方針について、一つの決断をしようと思っていた。クラチェに行く前、何となくではあるが、それは配属先の信頼しているパートナーに伝えておいた。これまで、中央省庁という場を現場に色々もがいてみたが、その枠組みの中で私一人で出来ることに限界を感じ始めていたのだ。だから、これからは地方現場に出ていこうかと思う。そんなことを伝えた。それはある意味、彼らとは別行動をとることを意味していた。それが良いのか悪いのか、その迷いにケリを付けようと、クラチェに行くことにしたのだ。
寝付けない日の翌日、早めに配属先へ行った。また新しいインターンが来ていた。また一人、人員が減った。ぐるぐると頭を回転させて考えた。その翌日も。尊敬している先輩にもお会いして相談をした。自分の答えははっきりし始めてきた。その瞬間、私はもう次の行動に移っていた。「来週もクラチェに、一人で行こう。」何かがパカーンと弾けた瞬間だった。
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1月、カンボジアに来て、職場に配属されてすぐに、最終的な理想は彼らの業務執行能力を伸ばすことだと思った。中央省庁といっても給料は安く、彼らの仕事観は日本のそれとは違うだろうが、若く賢い彼らに、もっと創造的に仕事を楽しみ、政を担う頼もしい人材になってくれないだろうか。そんな大それた理想を掲げていた。ジャイカボランティアは、単なる金銭的・物的支援ではない。皆と同じ職場に机を用意してもらって、生活を共にしながら、国造りを一緒になって考える。一緒になって汗を流す。そういう形の支援である。だからこそ、私は彼らと一緒にやることに拘ってきたのだ。そのためには、私がやりたいことと、彼らがやりたいこととの、落としどころを見つけることがスタートだった。
また、中央省庁が現場であることから、自分自身が表舞台に立って清掃活動や啓発活動を実施するのではなく、地方政府や市民団体が自らの力でそうした活動を推進できるような制度や仕組みを作るお手伝いをすること、それが中央省庁におけるボランティアの本来の使命として認識していた。
そのためにまず、彼らがいまやっていることと、これからやろうとしていることを5か月かけて観察してきた。同じオフィスで時間を共にし、イベントに同行したり、実務を手伝ったり、内部書類をチェックしたり、提案書を出して構想を話し合ったり、廃棄物処理について調査したり。
反対に私がやりたいことは、実は具体的に決めて来なかった。私のやりたいことは、いつも周りが何を期待するかによって決まる。この5か月間で私のやりたいことはいくつも出てきた。それだけ、配属先が期待すること、また問題点も含めて、様々気づくことが出来た。
私がやりたいことをその中から絞り込み、彼らがやりたいことの落としどころが大体つかめてきたところで、私の活動の構想をドキュメントにしてパートナーに提案したのが、5月初旬のこと。一定の期間を決めて、一つのプロジェクト形式で提案した。それが学校現場における環境教育PJだ。
パートナーはその構想を理解してくれて、プロジェクトが実行できるように上司やダイレクターに話をあげてくれた。ダイレクターがゴーサインを出してくれるような企画にするため、それから1か月かけてプロジェクトの詳細を詰めた。私自身の能力不足&ライティング能力のせいで、かなり時間がかかってしまったが。
またもう一方で、配属先から恒久的な地域清掃の構想を提案してほしいと言われていたので、それにも最終的な提案を出した。カウンターパートはその構想を気に入ってくれて、同僚と詳細を詰めるようにと言ってくれた。構想そのものが実現するかどうか判断するため、私は多方面の先輩や専門家に相談した。
しかし6月初旬、これから…というところで、私は妙な閉塞感を感じていた。これまで、観察に努め、方向性を定め、構想を共有し、一緒に走り出して行こうというところまで来て、暗雲が立ち込めるのを感じたのだ。それは、彼らと職場を共にしてきたからこそ感じたことだと思う。
彼らは、観光省内でも2011年にできた非常に新しい組織である。上司もスタッフもとても若い。組織外からの突然の業務を受けることも多く、彼らは自分の組織の政策だけにコミットしているわけではない。そんなところに、日本人の若いボランティアがポンと来た。ボランティアが新しい構想をいくつも持ってきた。いいねと言ってはくれるが、いざそれに割く時間・人員・資金があるかというと、省内の複雑な力関係の中では、シビアな話になってくる。まして、私は彼らと齢も近い。カンボジアでは目上の人の発言が敬われる傾向にあり、私が何か騒いだところで、あまり効果はない。
だからこそ、最終的な提案書にして、実行可能性や費用対効果を十分判断したうえで、ダイレクターからのゴーサインを取り付けるところまで持っていく必要があったのだろう。そこに至るまで、ものすごく時間がかかってしまった。はじめから彼らと一緒にやろうとしたために、彼らの通常の政策立案~実行のプロセスに従う形になっていた。これが何を意味するかというと…いつまで経っても実行には至らないということなのである。それが、私の言う「暗雲」だった。なぜって、前述したような私の置かれた立場を鑑みてだ。
実のところ、私にだって、その構想が成功するかどうか、やってみないと分からない。一つ確実に、というか熱を持って伝えたいのは、一緒にプロジェクトに携わるスタッフには、これまでのクッキーカッターな方法ではなく、様々な手法を用いた啓発活動の仕方を学んでもらえるし、そもそも一つのプロジェクトをプロセス通りにやりきることで、仕事上の基本的な能力を向上してもらえるということ。それは私の本来の活動の核の部分であることは間違いない。しかし、配属先にとって重要なのは、そのプロジェクトによって、どれだけの効果が見込めるかという裏付けである。そうでないと、私が提案したプロジェクトに完全にスタッフをアサインすることはなかなか難しいのだ。
私は、今そんな状況にいる。
自分自身が作成した企画書を目の前に、ちょっと立ち止まって考えてみた。
あと5か月の任期で、何をどのようにすべきか。