第63皿目 願いごとより、先に「おめでとう」 | 頑張れオンボロ食堂奮闘記 ― ロクとクゥーのまかない哲学 ―

頑張れオンボロ食堂奮闘記 ― ロクとクゥーのまかない哲学 ―

町はずれの少し古びたレトロカフェ食堂。木の温もりと柔らかい光に包まれ、落ち着いた大人向けの空間です。読書やひとり時間も楽しめ、厨房ではゆるい日常が流れています。

夕方。

暖簾が風に揺れ、少しだけ涼しい空気が店へ入り込む。

「いらっしゃい。」

ロクが顔を上げる。

「今日は七夕ですね。」

常連さんは席に腰を下ろし、少し照れくさそうに笑った。

「実は今日、誕生日なんです。」

クゥーは目を丸くした。

「えっ! おめでとうございます!」

「じゃあ今日は、願い事もし放題ですね!」

常連さんは首をかしげる。

「どういうこと?」

「だって七夕でしょ? 誕生日でしょ? 一年分まとめてお願いできそうじゃないですか!」

一瞬の静寂。

やがて常連さんは吹き出した。

「そんな制度があったら、毎年お願いしてるよ。」

クゥーは本気で不思議そうな顔をする。

「違うんですか?」

「でもね、七夕生まれって、毎年ちょっと損なんだよ。」

「損?」

「みんな短冊や星の話ばかりで、誕生日はつい後回しになるんだ。」

クゥーは少し考えてから、ぱっと顔を上げた。

「じゃあ今日は、七夕より先にお誕生日をお祝いしましょう!」

常連さんは少し驚いたあと、ふっと笑った。

「それ、いいな。」

クゥーはロクを見る。

ロクは何も言わず、小さくうなずくと鍋にそうめんを入れた。

ほどなくして運ばれてきたのは、よく冷えたそうめん。

透き通るつゆに、青ねぎ、みょうが、しょうが。

氷が小さく音を立てる。

その横には、揚げたての天ぷら。

海老、かぼちゃ、大葉、なす。

熱い油から引き上げられた衣は、カラリと音を立てそうな淡い黄金色。

大根おろしを添えた天つゆにくぐらせると、だしの香りがふわりと立ちのぼる。

「いただきます。」

そうめんをひとすすり。

ひんやりとしたのど越しに、思わず肩の力が抜ける。

続いて海老天をひと口。

軽やかな衣が心地よくほどけ、噛むたびに海老の甘みが広がった。

ロクは静かに口を開く。

「一番おいしい瞬間は、待ってくれないからな。」

クゥーは湯のみを持って席へ向かった。

「改めて、お誕生日おめでとうございます!」

湯のみを置きながら、照れくさそうに笑う。

「来年も、お待ちしてます!」

常連さんは少し目を丸くしてから、やさしく笑った。

「うん。また来るよ。」

食事を終え、勘定を済ませた常連さんは、暖簾をくぐる前にロクへ軽く頭を下げた。

ロクはいつものように、

「ありがとうございました。」

とだけ返した。

店を出た常連さんは、夜空を見上げて笑った。

願い事はしなかった。

今日はもう、

ちゃんと一つ叶っていたから。


今日の注意書き

※そうめんは、伸びる前が食べごろです。
 「あとで」は、案外すぐやってきます。

※天ぷらは揚げたてが一番。
 「おめでとう」も、思ったその日が一番です。

※七夕生まれの人を見かけたら、
 星より先に「おめでとう」をどうぞ。