悪口 | 57才の希望と野望

57才の希望と野望

地方出身東京在住 
賃貸暮らし(50歳彼が家を準備!)
独身彼なし(49歳でできた!)
夢:本をだすこと
家族が 彼がほしい(彼はできた、51歳で入籍しました)
仕事がほしい(49歳で正社員になった!53歳首)
英語が話せるようになりたい!
人生あきらめません!

最近、古い人間になってきたためか、

更年期によるイライラか、

頭のなかを愚痴がかけめぐる。

 

どうしてもかかわらなくてはいけない状況下におちいった、

業者さんが私からしたら超いい加減で、

日本も、こうなったなとため息である。

 

人間関係でもそうだが、

悪口、グチがでるときとは、

それは、”自分の理想と違う”

ことから、ふつふつストレスがわき、

悪口となり口から出ていく。

 

極端なたとえで、言えば、

 

私は、服はきっちり、色をそろえて黒は黒、白は白と、

わけクローゼットにしまう人間であるとする。

しかし旦那は、ぐちゃぐちゃにいれる。

 

冷蔵庫の中は、高いものから低いものへとならべる、

なのに家族は適当にいれる。

 

極端にいうとだが、それにちかいような。

 

”なんどいったらわかるの!!!”も、

自分からしたら大きなことなのに、相手、家族には、

どうしてそこまでしなくてはいけないのか、理解できない。

 

”自分のこうあらねばならない世界”と家族の”これでいい”

で不協和音が発生する。

いや家族は、”これでいい”すら考えてないかもだが。

誰かがやってくれると、適当でいいと思えるもの。

 

グーグルマップを引くように海外にもっていけば、

日本では、言わずにいても、さっとやってくれることが、海外ではしてくれない。

言葉につくさないと、動いてくれないことが多い気がする。

 

アメリカにいったとき、割れた皿を、まあまあなお店が平気でディスプレーしていたことに、

感性というのか、繊細さの違いを感じた。

 

この前渋谷にいったが、丸い植栽のフチ、反対側に浮浪者が仮眠中。

反対側で、白人系外国人数人がパンを食べていた。

 

日本人は靴を脱ぐ文化なのか、上と下、汚れた場所、

汚れてない場所、が(若い人はしらないが)、

わりと他の国より自然と、

わける。

 

浮浪者の方がいても、同じ人間だろ!、そんな宗教上の理由で彼ら白人系の方が、

受難のなか昼食をすませていたのかもしれないが。

 

話しがそれた。

”自分の思い通りにならない”

自分の理想があり、それを相手が環境がことごとく裏切ってくる、

もしくは、その世界を踏みにじってくることにより、

ストレス→悪口となる。

 

悪口が多いということは、理想が高い、もしくは、完ぺき主義なのかもしれない。

あなたの、私の理想の世界が正解なのかは、判断が難しい。

 

ストレスがない、悪口がでない日々とは、

今いる世界が、理想とあってる環境かと思う。

 

日々悪口がとまらない、周りが敵だらけ、

の方は、

今いる世界、環境が、自分の理想と違う、

ということかと。

 

毎日キリキリしていたら、その環境が、やってもやっても、

もどる、変わらないとしたら、

そこは、あなたの理想の世界に自然にはならない。

 

対処としては、自分の理想とあう世界をさがし、そこを出る。

 

でられないとしたら、自分の理想ワールドを、さげていくしかない。

その過程で、悪口がさらに増えそうだが。

 

自分の理想ワールドを、さげることをよしとしないなら、

自分の中にわきあがる悪口ストレスにたえながら、

冷蔵庫のぐちゃぐちゃを、なおす。

クローゼットのなかを、色ごとにわけ直す。

自分の世界に自分で変え続け、もどって、また変え続ける。

 

世界で自分がたった一人、それをするとしても、

それを続ける。

 

悪口はためると、眉間にしわがより、笑が消え、

言葉がうちにうちにたまっていく。

並べ直す姿は、怖い人、狂気にみえるかも。

 

私昭和のおばちゃんからすると、

最近の世は、昔を基準にすると、ストレスだらけである。

昔のように、1を聞いて10をしてくれる社会ではなくなってきた。

 

いや、明治生まれも大正生まれも、同じだっただろう。

かくして年寄りは、グチがおおくなる、嫁の悪口、子供の悪口が、

通常の会話になっていく。

つまりは、時代に取り残されているということか。はぁ。

 

でも昭和のおばちゃんは、コンビニの前にはちょくで座れないし、

携帯触りながら人と会話はできない。

 

57歳になり、ややどんかんになったというか、

おおらかになった部分もある。

でもどうやっても、あわせられないことがある。

 

それは、人としての礼儀だったり、

人として、どうでしょうか、

の部分である。

 

残念ながら57歳になったら、若者のように、

自分の理想の世界をさがし旅たつわけにはいかない。

 

なので、じっと今の環境の中で、

わきあがる悪口、愚痴を、なだめるしかない。

自分を、にぶくしていくしかない。

年よりがボケるのは、案外防衛手段かもと思うほど。

 

ブログに、愚痴を私の理想の世界をパチパチうち、

少し気持ちをなだめる。

 

それでも、皿をあらっていると(つまりいやなことをしていると)

愚痴が悪口がわいてくる。

 

日常の皿洗いはしないわけにはいけないので、

かくして今日も、ブログをうち、午前中がおわり、

違ったストレスがたまる。