最近、古い人間になってきたためか、
更年期によるイライラか、
頭のなかを愚痴がかけめぐる。
どうしてもかかわらなくてはいけない状況下におちいった、
業者さんが私からしたら超いい加減で、
日本も、こうなったなとため息である。
人間関係でもそうだが、
悪口、グチがでるときとは、
それは、”自分の理想と違う”
ことから、ふつふつストレスがわき、
悪口となり口から出ていく。
極端なたとえで、言えば、
私は、服はきっちり、色をそろえて黒は黒、白は白と、
わけクローゼットにしまう人間であるとする。
しかし旦那は、ぐちゃぐちゃにいれる。
冷蔵庫の中は、高いものから低いものへとならべる、
なのに家族は適当にいれる。
極端にいうとだが、それにちかいような。
”なんどいったらわかるの!!!”も、
自分からしたら大きなことなのに、相手、家族には、
どうしてそこまでしなくてはいけないのか、理解できない。
”自分のこうあらねばならない世界”と家族の”これでいい”
で不協和音が発生する。
いや家族は、”これでいい”すら考えてないかもだが。
誰かがやってくれると、適当でいいと思えるもの。
グーグルマップを引くように海外にもっていけば、
日本では、言わずにいても、さっとやってくれることが、海外ではしてくれない。
言葉につくさないと、動いてくれないことが多い気がする。
アメリカにいったとき、割れた皿を、まあまあなお店が平気でディスプレーしていたことに、
感性というのか、繊細さの違いを感じた。
この前渋谷にいったが、丸い植栽のフチ、反対側に浮浪者が仮眠中。
反対側で、白人系外国人数人がパンを食べていた。
日本人は靴を脱ぐ文化なのか、上と下、汚れた場所、
汚れてない場所、が(若い人はしらないが)、
わりと他の国より自然と、
わける。
浮浪者の方がいても、同じ人間だろ!、そんな宗教上の理由で彼ら白人系の方が、
受難のなか昼食をすませていたのかもしれないが。
話しがそれた。
”自分の思い通りにならない”
自分の理想があり、それを相手が環境がことごとく裏切ってくる、
もしくは、その世界を踏みにじってくることにより、
ストレス→悪口となる。
悪口が多いということは、理想が高い、もしくは、完ぺき主義なのかもしれない。
あなたの、私の理想の世界が正解なのかは、判断が難しい。
ストレスがない、悪口がでない日々とは、
今いる世界が、理想とあってる環境かと思う。
日々悪口がとまらない、周りが敵だらけ、
の方は、
今いる世界、環境が、自分の理想と違う、
ということかと。
毎日キリキリしていたら、その環境が、やってもやっても、
もどる、変わらないとしたら、
そこは、あなたの理想の世界に自然にはならない。
対処としては、自分の理想とあう世界をさがし、そこを出る。
でられないとしたら、自分の理想ワールドを、さげていくしかない。
その過程で、悪口がさらに増えそうだが。
自分の理想ワールドを、さげることをよしとしないなら、
自分の中にわきあがる悪口ストレスにたえながら、
冷蔵庫のぐちゃぐちゃを、なおす。
クローゼットのなかを、色ごとにわけ直す。
自分の世界に自分で変え続け、もどって、また変え続ける。
世界で自分がたった一人、それをするとしても、
それを続ける。
悪口はためると、眉間にしわがより、笑が消え、
言葉がうちにうちにたまっていく。
並べ直す姿は、怖い人、狂気にみえるかも。
私昭和のおばちゃんからすると、
最近の世は、昔を基準にすると、ストレスだらけである。
昔のように、1を聞いて10をしてくれる社会ではなくなってきた。
いや、明治生まれも大正生まれも、同じだっただろう。
かくして年寄りは、グチがおおくなる、嫁の悪口、子供の悪口が、
通常の会話になっていく。
つまりは、時代に取り残されているということか。はぁ。
でも昭和のおばちゃんは、コンビニの前にはちょくで座れないし、
携帯触りながら人と会話はできない。
57歳になり、ややどんかんになったというか、
おおらかになった部分もある。
でもどうやっても、あわせられないことがある。
それは、人としての礼儀だったり、
人として、どうでしょうか、
の部分である。
残念ながら57歳になったら、若者のように、
自分の理想の世界をさがし旅たつわけにはいかない。
なので、じっと今の環境の中で、
わきあがる悪口、愚痴を、なだめるしかない。
自分を、にぶくしていくしかない。
年よりがボケるのは、案外防衛手段かもと思うほど。
ブログに、愚痴を私の理想の世界をパチパチうち、
少し気持ちをなだめる。
それでも、皿をあらっていると(つまりいやなことをしていると)
愚痴が悪口がわいてくる。
日常の皿洗いはしないわけにはいけないので、
かくして今日も、ブログをうち、午前中がおわり、
違ったストレスがたまる。