運というもの | 58才の希望と野望

58才の希望と野望

地方出身東京在住 
賃貸暮らし(50歳彼が家を準備!)
独身彼なし(49歳でできた!)
夢:本をだすこと
家族が 彼がほしい(彼はできた、51歳で入籍しました)
仕事がほしい(49歳で正社員になった!53歳首)
英語が話せるようになりたい!
人生あきらめません!

48才になり思うことは、人生をきめるのは、結局運である、ということ。


そして、幸、不幸は、与えられた運とのつきあいかたが決める。


生まれた場所で人生に差がでる。

英語圏で育ち、親が教育熱心なら、20才前にバイリンガルになれる。

周りに数人いるので、確か。


そしてよい大学→よい就職先、つまりは華やかな世界に容易にいけてしまう。


地方出身→三流大→ほどほどの就職先、つまりは華やかでない地味な職場で働く、

大半の日本人は、20才半ばに、ここでない世界をめざし、

朝な夕なに、遊ぶ時間をけずり、英語にはげむ時間、

帰国子女達は仕事で英語をつかい、プライベートは恋人と家族とゆったりとすごすか、さらなる語学習得に時間を使う。


ほとんどの日本人は英語学習という、ある意味無駄な時間で、大切な人生をけずっている。

そして結局ものにできず、退職老後である。


運から英語にとんでしまったが、人生初期の運力の違いが顕著なのが英語である。

この国では、アドバンテージを与えられる大きなものである。


他、親。

めぐまれた親ならよいが、子どもを不幸にする親も多い。


48才になって思うのは、どうしようもない親とは、距離をおけである。

どうしよもない、友人、だんな、恋人とは、距離をおけである。


人生は有限である。

自分の力でどうしようもできないものをどうとかしようとしてはいけない。

変えられるのは自分だけである。


それは、運にもいえる。


結局運も、他人と同じ、

”なるようにしかならない”

のである。


たとえば、Aさんは、かっこいいイタリア車で

自分は、おんぼろの古着だとしても、

もらった古着のよいところを探さすことが、幸、不幸をきめる。


いやな結論だし、ものしり顔でいう人が多い言葉だが、

あたえられたものに、”感謝”する、ことが、やはり幸福への一歩である。


芸能人やら、自営の人は神棚を大切にしたり、運にまつわるあれこれをする人が多い。


私はずっと、”何かがほしい”、”運気をあげたい”

からやっているのかと思っていたが、

そうでなく、運が”あらぶらないよう”、しずめているとう感じではないかと、

最近は思う。


運とはどうしようもないものである、

暴力夫のようなものかもしれない。

よくなるより、おだやかでいてくださいとしずめているのである。


運にまつわるあれこれ、トイレ掃除をする人、

方位を守る人。


実は、運のいい一般人は、あれがほしい、もっとよくなれ~、彼がほしいーー、

と無邪気にトイレを掃除し、神棚をさくっとにわかでつくり、

「私、南が今年方位がいいって、今度沖縄にいこう!」なんて予定をたて、

「ぜんぜん運がかわんなーーーい、私、運が悪いんだぁ~」

なんてすねる。


実は本物の運達人は、運の恐ろしさをよーーくしる、運に本気で痛い目にあわされてきた人で、

”私は私の与えられた運に感謝し、精一杯毎日を生きます”

と、トイレ掃除をし、神棚に祈るっているのかもしれない。

運を、おもーーーく見て、運気が下がるようなこと、運があばれそうなことはしない。

徹底してしない、周りが笑おうがなにをしようが、運があらぶらないことならなんでもするのである。


運はこわーーいものと身をもってしっているからである。


運の、平穏に感謝する。


実は大半の人、日本という恵まれた国に生まれた人は、

平穏な運にいる。


となりのランボルギーニはみず、

自分の古着の暖かさを味わおう。


家の前の木にカラスがでっかい巣がつくったことも、

もうすぐカラス子がみれるのねと笑おう。

ふふふ


運とはどうしようもないもの。


松居和代がどんな気持ちで掃除をしているのかなんとなく分かった。

お財布を黄金の布きれで休ませているのか。他人が笑うことなどへである。

運があばれることにくられれば。


”私はしあわせよーー、松居棒でおそうじ! おそうじ!”

松居和代、たのしそうではないか。


どうしようもないものは、どうにもしない。

まずは受け入れる。

納得して受け入れる。

受け入れその中で楽しくやってみるのが一歩。



そしたら運が、急によくなるかも。

でも実は、すでにあった強運に、しらず気づいただけかもしれない。
















 


 


 



 











運は、くせのある上司だったり、ばか亭主だったり、愚妻であったり、

ふりむかない男、女のように、

自分がどうどかしようにも、永遠にどうにもできないもの。