あえて、説明なく始めたいと思う。
少年Aについて、「まったく理解できない。」
というのは、至極当然のことで、恐らくそういう人はそれを一生理解することはない。
もちろんそれは人として正しいことだと思う。
この場合、人間としてまっとうである証拠だ。
同時に。
「理解できない」ということは「とても幸運なこと。」であるとも思う。
もしあの事件を「理解できる。」と言ってしまったら、犯罪予備軍と言われるに違いない。
というのは、至極当然のことで、恐らくそういう人はそれを一生理解することはない。
もちろんそれは人として正しいことだと思う。
この場合、人間としてまっとうである証拠だ。
同時に。
「理解できない」ということは「とても幸運なこと。」であるとも思う。
もしあの事件を「理解できる。」と言ってしまったら、犯罪予備軍と言われるに違いない。
大体この手の事件を起こした加害者少年少女の事件前の印象と言えば。
比較的まじめであったり。
おとなしい子であったり。
事によっては優しかったり。
まぁ、そういったケースと相場が決まっている。
はたから見ても、とりわけ問題のある家庭には見えなかったりする。
事実そうなんだろうとおもいますよ。
比較的まじめであったり。
おとなしい子であったり。
事によっては優しかったり。
まぁ、そういったケースと相場が決まっている。
はたから見ても、とりわけ問題のある家庭には見えなかったりする。
事実そうなんだろうとおもいますよ。
それでも、そういった事件が起こるということは、普通の人には気づけないなんらかの病巣が、社会的に或いは家庭に存在するということの証明だと思うのです。
おそらくは、ちょっとした意思疎通のずれや説明不足。
本当にちょっとした差異や相違の積み重ねによるものだと思います。
それがたまたま運の悪い形で積み重なると、思いもよらぬ思考を生み出してしまうケースだったのではなかったか、と思います。
おそらくは、ちょっとした意思疎通のずれや説明不足。
本当にちょっとした差異や相違の積み重ねによるものだと思います。
それがたまたま運の悪い形で積み重なると、思いもよらぬ思考を生み出してしまうケースだったのではなかったか、と思います。
でもそれって気付きずらいうえに、当事者にとっていちいちかまっていられない話でもあって、極めて稀なケースとは言いながらも、運が悪ければ誰でもそうなりうるのだと。
幸運というのはそういう意味。
幸運というのはそういう意味。
だから、言葉ってやっぱり正確に使わないといけないと、改めて思ったりするんです。
読んだのは冒頭部分6~7ページくらいと、どこかの抜粋数行。
ネットに転がっていた部分だ。
その冒頭文は、「自己救済として書くしかなかった」という内容でくくられている。
そこがとても引っかかった。
冒頭部分をちょっと読んだだけで、こんなことを言うのもおこがましいというものだけれど。
ネットに転がっていた部分だ。
その冒頭文は、「自己救済として書くしかなかった」という内容でくくられている。
そこがとても引っかかった。
冒頭部分をちょっと読んだだけで、こんなことを言うのもおこがましいというものだけれど。
残念だが、この「おっさんA」は更生していない。
そういう直感を持った。
殺人という結論に至った経緯もまた「自己救済」の思考プロセスではなかったか?
少なくとも僕にはそう確信があった。
此処へきてまた同じプロセスでこの本を出版している。
彼は少年Aのままだ。
「何があっても人を殺してはいけない理由」についてもまるで子供の論理だ。
殺人という結論に至った経緯もまた「自己救済」の思考プロセスではなかったか?
少なくとも僕にはそう確信があった。
此処へきてまた同じプロセスでこの本を出版している。
彼は少年Aのままだ。
「何があっても人を殺してはいけない理由」についてもまるで子供の論理だ。
恐らく、この先読み進めることができれば。
そうせざるを得なくなってしまった理由。
そして現在の「おっさんA」になるまでの経緯が綴られているであろうことは想像できた。
それゆえ、サンプルケースとしては有用な情報を含んでいる可能性がある。
もしかすると、その情報は「それでも起こる事件」を回避する或いは減らせる可能性を含んでいる。
しかし。
そうせざるを得なくなってしまった理由。
そして現在の「おっさんA」になるまでの経緯が綴られているであろうことは想像できた。
それゆえ、サンプルケースとしては有用な情報を含んでいる可能性がある。
もしかすると、その情報は「それでも起こる事件」を回避する或いは減らせる可能性を含んでいる。
しかし。
こんな本買えんわな。
なにしろ、遺族の許可なく。
いや、許可を求めることすらもなく、「自己救済」として勝手に出した本である。
本そのものに罪があるかどうかはさておいても、出版社と著者の罪は非常に重く深刻だと思う。
図書館に収蔵してあるものを、と思っても。
税金を使っていると思うと、やはり手を出す気になれない。
なにしろ、遺族の許可なく。
いや、許可を求めることすらもなく、「自己救済」として勝手に出した本である。
本そのものに罪があるかどうかはさておいても、出版社と著者の罪は非常に重く深刻だと思う。
図書館に収蔵してあるものを、と思っても。
税金を使っていると思うと、やはり手を出す気になれない。
普通に良識ある人、少なくともそう思っている人達は、きっとこれを読むことはない。
儲ける気はあっても読ませる気はない、これはメディアとしての責任の放棄だと思う。