ハノイからの帰国後一週間が経ちました。(そろそろレポート書けよ~^^)
さて、ハノイへの行く計画は、ある理由から日本へ来てしまったタン君を助ける様に依頼されたハノイの友がいます。その方はフンさん(女性)当時ハノイのクロネコヤマトに勤めていました。タン君が日本女性から求婚されて結婚し、ハノイで住んでいました。
しかし、奥さんのホームシックや悩みから日本へ帰る事に、彼は別れる訳にも行かず一緒に日本へ来ました。彼はハノイの大学で日本語学科卒、でも日本語は完 璧ではなく何とか会話出来る程度、運送会社の準社員扱い、通関業務等を担当、7年程前解雇されそうな状況に、でフンさんが私に仕事探しを依頼したのです。
フンさんと話していても状況が把握できず、直接タン君と話を・・・・ま何とか通じる日本語では仕事も厳しい、彼らは当時鹿児島に住んでいて不況時では仕事 はない、東京へ出てくる気があるのか問えば、奥さんは故郷を離れたくない、そうこうしている間にベトナム人仲間から名古屋にて仕事あるらしく彼は単身で名 古屋へ来ました。
そして、祭日挟んだ連休時に東京の友達を訪ねて来た時に会ったのが初めてでした。彼は真面目で優しいハノイ人、1年ほど経った時に夫婦間で軋みがおき、も し離婚されたら彼は日本に住めない、方法としては日本語マスターして就職する事が最善策、その前に「日本語能力試験」の2級取得が必要、現実的に離婚とな り彼の猶予は半年、そこで日本語の専門学校か会社への就職すれば滞在許可がでる、しかし一般企業は無理、専門学校も費用が高い、悩んでいたら日本在住のベ トナム人から日本とベトナムの人材交流機関配下の組合で人が欲しいとの事、早速彼は東京で面接し、組合へ入れた。
東京に居た友達(FPT:ソフト開発会社)のアパートへ潜り込み、何とか安定した生活が始まった。その時より、私と飲みに行く事が多くなりました。後は日 本語能力試験の2級合格へ向けて邁進し、1年後合格しました。日本とベトナムとも国家的交流から人材交流(日本での技術研修者受け入れ)も増え続け、彼は ベトナムからの受け入れ者を向かい入れ、基本的な教育と日本語を教え日本の全国の組合加入の企業へ派遣・案内・引率したり、トラブルが発生すると出向いて 解決、個人の悩みを聞いて上げる幅広い仕事もこなしていました。
4年前、彼の努力を見込まれハノイへ組合の出先を出すと言う事でハノイへ帰国できた訳です。今彼は事務所兼住まい(3LDK:7万円)の高層マンションに 住んでいて優雅な生活環境、主に日本の組合加入会社の役員がハノイへ視察に来る際の案内役(接待かな?)をも行い、ハノイ現地の企業とも繋がりを持ってい ます。
私個人は、何れ独立した企業経営を期待するのですが・・・・・
ま前提は以上の事をご理解頂き彼の誘いもありハノイへ行く事になった訳です。
彼も忙しいので仕事に影響しない様、平日は現地観光を取り入れられる旅行会社の個人ツアーを選択しました。また 家内も同行なので、安全・安心の為にも飛行機はJAL、宿泊ホテルも日本語が通じる日航ホテルを指定しました。
9月3日(木)18時25分日本航空成田発にてHANOIへ出発しました。
飛行機では飲み放題、しかし量は控えました~~^^。
22時15分着、ハノイ空港着いたら現地の案内役迎えに来てくれていました。
荷物受け取りには時間が遅いので他のレーンには人は少ない、また早い時間にチェックインしたもので、荷物が出てこない~~(--)
その足でハノイ市内へ向かいました。ハノイの時差は2時間、日本では深夜0時過ぎていましたね~~空港も新しくできて綺麗です、以下の橋も空港も「大成建設」が行ったそうですね~~当日は雨が降っており、右は市内のネオンです。
無事に日航ホテルに到着、深夜のため誰も見当たりませんね。
宿泊ホテルのお部屋です。ま綺麗ですし広い部屋で満足しました。
翌日はオプショナルツアーにてハロン湾観光、朝ホテルを7時45分出発と言われました。何時間寝れるのか??早く寝よ~~6時起きだ~~
次項に乞うご期待~~!!
さて、ハノイへの行く計画は、ある理由から日本へ来てしまったタン君を助ける様に依頼されたハノイの友がいます。その方はフンさん(女性)当時ハノイのクロネコヤマトに勤めていました。タン君が日本女性から求婚されて結婚し、ハノイで住んでいました。
しかし、奥さんのホームシックや悩みから日本へ帰る事に、彼は別れる訳にも行かず一緒に日本へ来ました。彼はハノイの大学で日本語学科卒、でも日本語は完 璧ではなく何とか会話出来る程度、運送会社の準社員扱い、通関業務等を担当、7年程前解雇されそうな状況に、でフンさんが私に仕事探しを依頼したのです。
フンさんと話していても状況が把握できず、直接タン君と話を・・・・ま何とか通じる日本語では仕事も厳しい、彼らは当時鹿児島に住んでいて不況時では仕事 はない、東京へ出てくる気があるのか問えば、奥さんは故郷を離れたくない、そうこうしている間にベトナム人仲間から名古屋にて仕事あるらしく彼は単身で名 古屋へ来ました。
そして、祭日挟んだ連休時に東京の友達を訪ねて来た時に会ったのが初めてでした。彼は真面目で優しいハノイ人、1年ほど経った時に夫婦間で軋みがおき、も し離婚されたら彼は日本に住めない、方法としては日本語マスターして就職する事が最善策、その前に「日本語能力試験」の2級取得が必要、現実的に離婚とな り彼の猶予は半年、そこで日本語の専門学校か会社への就職すれば滞在許可がでる、しかし一般企業は無理、専門学校も費用が高い、悩んでいたら日本在住のベ トナム人から日本とベトナムの人材交流機関配下の組合で人が欲しいとの事、早速彼は東京で面接し、組合へ入れた。
東京に居た友達(FPT:ソフト開発会社)のアパートへ潜り込み、何とか安定した生活が始まった。その時より、私と飲みに行く事が多くなりました。後は日 本語能力試験の2級合格へ向けて邁進し、1年後合格しました。日本とベトナムとも国家的交流から人材交流(日本での技術研修者受け入れ)も増え続け、彼は ベトナムからの受け入れ者を向かい入れ、基本的な教育と日本語を教え日本の全国の組合加入の企業へ派遣・案内・引率したり、トラブルが発生すると出向いて 解決、個人の悩みを聞いて上げる幅広い仕事もこなしていました。
4年前、彼の努力を見込まれハノイへ組合の出先を出すと言う事でハノイへ帰国できた訳です。今彼は事務所兼住まい(3LDK:7万円)の高層マンションに 住んでいて優雅な生活環境、主に日本の組合加入会社の役員がハノイへ視察に来る際の案内役(接待かな?)をも行い、ハノイ現地の企業とも繋がりを持ってい ます。
私個人は、何れ独立した企業経営を期待するのですが・・・・・
ま前提は以上の事をご理解頂き彼の誘いもありハノイへ行く事になった訳です。
彼も忙しいので仕事に影響しない様、平日は現地観光を取り入れられる旅行会社の個人ツアーを選択しました。また 家内も同行なので、安全・安心の為にも飛行機はJAL、宿泊ホテルも日本語が通じる日航ホテルを指定しました。
9月3日(木)18時25分日本航空成田発にてHANOIへ出発しました。
飛行機では飲み放題、しかし量は控えました~~^^。
22時15分着、ハノイ空港着いたら現地の案内役迎えに来てくれていました。
荷物受け取りには時間が遅いので他のレーンには人は少ない、また早い時間にチェックインしたもので、荷物が出てこない~~(--)
その足でハノイ市内へ向かいました。ハノイの時差は2時間、日本では深夜0時過ぎていましたね~~空港も新しくできて綺麗です、以下の橋も空港も「大成建設」が行ったそうですね~~当日は雨が降っており、右は市内のネオンです。
無事に日航ホテルに到着、深夜のため誰も見当たりませんね。

次項に乞うご期待~~!!