2022年公開の映画 『ハケンアニメ』は、辻村深月の原作。
監督;吉野耕平
脚本;政池洋佑
出演;吉岡里帆 中村倫也 柄本佑 尾野真千子
今回も小説を手元において、まずは映画を観ていく。
アニメ制作の超大手「トウケイ動画」の採用面接で「王子千晴監督を超えるアニメをつくるためです」と、志望の動機を述べた齋藤瞳(吉岡里帆)。
7年目にしてテレビアニメシリーズの監督を任されるが、9年ぶりにアニメを撮る王子監督(中村倫也)と同期放送アニメの「覇権」を賭けて対決することとなる。
アニメに関心のない少女時代を送った彼女は、成人してから王子監督のアニメに魅せられ、以来、一途にアニメ愛を育ててきたのだ。
なりふりかまわず作品づくりに没頭したい彼女を、プロデューサーの行城(柄本佑)は、雑誌のインタビューやフィギア制作など、周辺ビジネスの現場に引っ張り回す。
齋藤監督らがつくるアニメは『サウンドバック 奏の石』。
地方都市を舞台に、少年少女がロボットに変身する石を手に入れ、故郷を救うために戦う物語。
対する王子監督のアニメ 『リデルライト』は、魔法少女ものだ。
しかし、王子監督は、製作の途中で突如、行方をくらます。
プロデューサーの有科香屋子(尾野真千子)は、内心やきもきしつつ、会社上層部には「必ず戻る」と断言し、信じて待ち続ける。
タイトルの「ハケン」は、「派遣」アニメーターのことかと思ったら、「覇権」を取るという意味だった。
映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を開く。
原作は、辻村深月『ハケンアニメ!』 2017 マガジンハウス文庫
本編560ページと、かなりのボリュームだ。
第一章「王子と猛獣使い」は、自由奔放な王子千晴監督と、彼を信じてその力を発揮させていく女房役ということばがふさわしいプロデューサー有科香屋子の物語。
第二章「女王様と風見鶏」は、齋藤瞳監督と、アニメづくりをビジネスとして成り立たせることに長けた凄腕プロデューサー行城の物語。
冷徹と見える彼が、実は齋藤監督の最大の理解者であり、応援団なのだ。
第三章「軍隊アリと公務員」は、地方都市選永市にある下請けの作画会社「ファインガーデン」のアニメーター、波澤和奈が主人公である。
ファインガーデンでは、『サウンドバック』と『リデルライト』、両方の原画を請け負っている。
会社の内外で、和奈は “神” 原画の書き手との評判が高い。
実は選永市は『サウンドバック』の舞台のモデルであり、地元の活性化のため「聖地巡礼」企画を進める選永市の職員宗森の相談役を、和奈は会社から指示される。
ひたすらアニメの世界に没頭する和奈には、宗森は対極にいる “リア充”そのものに見える。
しかし、彼との関わりが、やがて彼女を大きく変えていく――。
和奈は地味な役だが、実は第三章がページ数も多く、物語のクライマックスになってくる。
そこで齋藤監督、王子監督のアニメづくりの物語がつながる。
最後は選永市の祭りで『サウンドバック』の原画が彩る舟を和奈が制作し、声優美女たちと齋藤監督、和奈の浴衣姿と、絢爛豪華な「画になる」場面が展開する。
そして、宗森と互いの思いがつながり、和奈の「リア充」は最高潮に達する。
齋藤瞳監督といい、アニメーターの波澤和奈といい、人間関係のリアルを避け、自分の世界に閉じこもりがちな人物が、人々との出会いによって少しずつ成長し、リアルの世界の喜びを見つけていく――。
その展開は好ましく、読んでいてけっこう共感できた。
おそらくは齋藤監督や波澤和奈に似たところのある人々が、辻村深月の人気を支えるコアな読者なのだろう。
原作を満足して読み終え、映画の続きを観た。
小説でイメージして、実写で観るのを楽しみにしていた終盤の「祭りのシーン」は映画にはなく、それぞれの監督が最終話をどう考えどう締めくくるかという展開が、クライマックスになる。
とくに齋藤瞳監督が自分のこだわりを貫くことで、スタッフの意気が上がって最終話の仕上げに向けて総力を尽くす。
個人の成長に焦点を当てた原作とは違い、アニメ制作現場のチームワークが感動を呼ぶ物語になっている。
また映画ならではと思ったのは、作中アニメ『サウンドバック』と『リデルライト』を、リアルに映像化したことである。
映画の最終段階で、それぞれのアニメの最終話の一部が流れる。
私は、それら(とくに齋藤瞳監督の『サウンドバック 奏の石』)を観ながら背筋がぞくぞくし、胸にこみあげてくるものがあった。
部分映像でしかない作中アニメであっても、制作チームが声優陣も含め、真剣勝負で作ったことがわかる。
さて、この作品は何と言っても、「観てから読む」がおススメだ。
映画は小説よりもコンパクトなストーリーにまとまっているが、齋藤瞳監督の人間的成長を軸として、アニメ制作に情熱を燃やす人々の群像劇として楽しめる。
また、映画でみごとに創造されたアニメ2作品を一部にせよ、実際に観ることができる。
そのイメージを心において小説を読めば、アニメづくりのたいへんさもすばらしさもより実感できると思う。
そして、小説では、登場人物それぞれの内面の葛藤と成長を読み味わいながら、まさに画になるクライマックス場面の感動を味わうことができるのだ。
私が「画になる」と思った選永市の祭りのシーンは、それを実写で撮るとなると、ロケや大道具・小道具、エキストラを含めたキャストの動員など、予算も手間も膨大なものになるだろう。
そこを作家の筆ひとつで描き、読者の心に鮮やかな映像を観せてくれる。
小説というジャンルのすごさを、またひとつ実感できる作品と言える。