芥川龍之介『羅生門』5つの素朴な疑問 | 映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 高等学校国語の定番教材、芥川龍之介『羅生門』。

 イメージ読書術(カットイメージ)で読んでいくと、活動写真もまだ十分普及していない時代に、非常に映像的な書き方がされていて、芥川龍之介の天才的なイメージ構成能力には感心させられます。

 とはいえ、長年授業をしていて、「あれ?」っと思うような疑問がいくつか残ります。

 

疑問1)死人を捨てるのに、なぜわざわざ二階へ上げるの?
  どうせさびれてるんだから、そのへんに捨てておけばいいじゃない?と思ったりします。

  第一、死人を背負ったり抱えたりして、はしごを上るのは大変です。 

  二人がかりでもきつい仕事だと思いますが、まして、引き取り手のない赤の他人なんですから。

 

疑問2)なんで「はしご」なの?
  ちなみに、二階(楼の上)に上る「はしご」というのも気になります。

  上で書いたように、はしごで死人を二階へ上げるのは至難の技です。

  しかしここで「はしご」とあるのは、「階段」のことだと、生徒たちにはいつも説明しています。

  広辞苑にも、「はしご(梯子)」の意味として「②階段、だんばしご、きざはし」があります。

  だいたい、門の上は今でこそ死人置き場だが、屋根裏のようなものではない。窓には欄干のついた立派な二階です。

  本来は、貴族が登り、眺望を楽しむためにあるのだと思います(もちろん、有事には固く門を閉ざし、2階から衛士が敵を迎え撃つためでもあります)。

 ならば、運動不足で分厚い着物を着た貴族でも上れる「階段」でなければいけません。

 実際、本文中にも「幅の広いはしご」と書かれています。ならば初めから、「階段」と書いてほしかったなあとおもいます。

 

疑問3)老婆はいつから2階にいるの?

 下人はあたりがうす暗くなり始めた申の刻下がり(4時過ぎ)から降り出した雨に降り込められて羅生門の下におり、かなり長い間そうしていて、いよいよ一晩明かす場所を求めて2階へ上がります。

 では、老婆はいつ2階へ上がったのでしょうか。

 そのとき、下人も老婆も、お互いの存在に気づかなかったのでしょうか。

 寒さを感じた下人は立ち上がり、寝る場所がないかとあたりを見回して、はしご(階段)に目をつけます。つまり、座っていた場所から階段はそう遠くないのです。

 また、老婆は「ずぶぬれだった」とも書いていないので、もしかしたら雨が降り出すよりも前から2階に潜んでいたのでしょうか。

 そうすると、目的の仕事をする時間はたっぷりあり、大量の髪の毛を収集しているはずです。

 しかし、その様子はありません。謎です。

 

疑問4)京都なら、関西弁でしょ!
 二人のことばづかいがとても気になります。

 とくに、老婆が自分の行為を弁明するくだりで、「この女の売る干し魚は、味がよいと言うて、太刀帯(たてわき)どもが、欠かさず菜料(さいりょう)に買っていたそうな」は、やはり、「買うていた」と言ってほしいです。

 

疑問5)雨はいつやんだの?

 結末で、盗人になる決心がついた下人は老婆の着物を奪い、はしごを駆け下りて、夜の闇へと消えていきます。

 あれ? 雨はいつやんだの?
 

 皆さんはどう思いますか?

 ご意見があれば、よろしくお願いします。

 

 

※カットイメージによる『羅生門』の授業実践をまとめたレポートを、拙著『映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単!イメージ読書術』の巻末読者プレゼントで差し上げています。

 

 そのレポートの冒頭部分は、HP「教育エジソン」国語授業のページで読むことができます。

 

 

 

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