*新編日本古典文学全集
『源氏物語』を読み語りしています*
*過去の記事はテーマから遡れます。
*前のお話はこちら。
中将の位にある源氏の君は
まんまと後妻の部屋に滑り込みます
驚きに震える彼女は
声を立てることもできません
現代の感覚なら
わあわあ騒ぎ立てて
助けを呼んでもよさそうに思います
ですが後妻は咄嗟に抵抗を諦めている
それは恥の文化と名付けられた
日本人特有の他者感覚からで
人を呼んで多くの人に知られでもしたら
「自分が(女が)」恥を晒してしまう
という感覚です
なんで?男のほうが悪いのに?
と現代人なら考えますが
夫の上司が妻を所望したら
それにことを荒立てず
従わざるを得ないのが
社会、というものでした
また、そのようなスキがあったのも
女の不始末、という
感覚があったようです
有史以来
西暦も2千年頃までは
世の中というのはほんとうに
男にとってチョー過保護で
男にとって暮らしやすくできてたなあと
感心します
だからしょうもない男であっても
「男だからと」と
男であるだけで立ててもらえた
女はそんなしょうもない男よりも
弱くて劣った「ふり」をしてきた
だってそのほうが「かしこい」からです
しかし一見したたかにたくましく見える
そんな女たちの「かしこさ」は
なんとみすぼらしいものでしょう。
しかし生計を立てる手段を
限定されていた女たちは
生きていくために
弱くて阿呆なふりを
せざるをえなかった
それを理解しない
あるいはそんなジェンダーに
挑んでいく女は
異端、とされて
煙たがられた
女がオリジナルの知性を見せて
自我を発揮し
その可能性を追求すれば
物語の世界では
「悪女」とされ
主人公の敵役にされた
弘徽殿女御などはその代表例でしょう
だから彼女は
夫(桐壺帝)の最愛になれず
息子(朱雀帝)は萎縮したドヘタレに育ち
周囲は彼女の知性を恐れて親しまず
決して満ち足りたとは言い難い生涯を
作者によって歩まされた
作者、紫式部自身も
漢詩を読む姿を侍女に咎められ
「奥さまはそんなふうで
いらっしゃるから
お幸せでないのですよ。
どうして女が漢文なんか
読むのでございますか。
昔はお経を読むことだって
女は咎められていましたのに」
(おまへはかくおはすれば
御幸ひすくなきなり。
なんでうをんなか真名書は読む。
むかしは経読むをだに
人は制しき)
といわれています。
平安時代
女は仮名を使うけれど
真名(漢字)は男が使うもので
女が真名を書いたり読んだりすることは
はしたないこと、という
建前がありました
とはいえ
紫式部は彰子に漢詩を講じたりしているし
お経は漢字で書かれているから
全く漢字が読めない訳では
なかったのだと思いますが
女が漢字を読むと不幸になる
この考えは
私が教育を受けた平成期には
「理系の女の子は不幸になる」
との思想を数学の教師が教壇から流布していて
受け継がれていたんだな、と
苦々しく思った記憶があります
女の不幸には個別の事情があるにもかかわらず
しかしそれを個人の才覚のせいにされてしまう
女のほうが男よりも
うんとうんと
残酷で冷たくって根性が悪くて
ひねくれていて意地が悪くて
度胸がある、と私は思います
少なくともいままでに
本当に
男の庇護なしには生きていけない
言いたいことの半分も言えない
そんな女は見たことがないけれど
男ならば見たことがある
なのに、なのかだから、なのか
世間は
女の可能性というものを
見たくなかった
世間とは男であり
男の理屈に順応した
女で構築されたものを指します
私が弘徽殿女御に
親和感を覚え
気の毒に感じてしまうのは
こういうところからだと思います。
つづきます