2016夏スクⅠ期ドイツ語文学 | 随心所欲的日記

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旅と文学の話

夏スクⅠ期ドイツ語文学にいた恋する文学おじさんのお話。

 

 実はこのクラス、午前にドイツ語文学、午後にドイツ文学史をとる文学少女、少年が多かった。またまったく関係のないひともいたが、授業の「若きヴェルテルの悩み」は、もっとも読んだと手の上がった作品であった。

「みなさん、たくさん読んでますね。なんで、この作品、読むひと、多いんだろう?」

 ハーイと、わたしは手を上げた。

「有名だから、みんなが若いときに一度は読む本。たしか、あたしたちの頃には、若きウェーテルの悩みって書いてあったわ」

 頷きあうクラスメートたち。

「それは…有名って、それがもう有名じゃないんですよ」

 と、先生、この頃の学生はゲーテを読まないと語った後、「若きヴェルタルの悩み」に感想をいいたい人はと尋ねた。

 後ろの座席から、黄色いポロシャツの男性が、虎の咆哮のように声を上げた。

「わたしが、語ります。ヴェルテルは、わたしが…」

 

 この文学おじさんは、昨日、テストについての説明のときに、

「先生、ぼくは論理的になんて語ることはできません。ヴェルテルを論理的に語るなんて。それよりぼくは、この作品にラブレターを書いたのです。ぼくの情熱を思いのたけを書いてかまいませんか」

「いいでしょう、情熱でも」

 そのやりとりを、わたしは思い出した。

 

 いてもたってもいられないというふうに、黄色いポロシャツ男性は、わさわざ立ち上がった。

「おお、シャルロッテ、かつてこれほど蠱惑的な美しい、清らかなヒロインがいたでしょうか。シャルロッテに恋するあまり死んでしまうヴェルテル、僕はこんなにゆすぶられた作品はありませんでした。

 みなさん、僕はノートに何枚も、シャルロッテ、シャルロッテと書き付けて、書くたびに震えたのです」

 

 一瞬、教室はしずまって、その後、どっと笑いが渦巻いた。反論が何人もあがった。彼女達の意見は、シャルロッテは人妻であり、ヴェルテルに気のあるそぶりをしてけしからん、すみやかに交際を断るべしというものであった。わたしはすぐ、シャルロッテを擁護した。

 

「シャルロッテは気のあるそぶりをしたのではありません。夫がいたって、それはそれ、ヴェルテルといるときはかれに本気で恋をしたのです。恋とは、一瞬の通じ合う、ビビッとくる感じなんです。有名な嵐の場面、二人で詩人の名前をクロップシュットとささやいた瞬間、心が重なったのです」

 けれども、わたしの擁護もむなしく、クラスの大半は健全な人妻であるため、シャルロッテは貞淑にすべし、という意見が相次いだ。

 くだんの文学おじさんは、手も上げずに立ち上がり、クラスを見回すと、うるんだ声で叫んだ。

「わかりました、みなさんが、いかにこの作品をわかっていないか、シャルロッテがわかっていないかを。僕は知りました。この作品は年寄りにはわからない。シャルロッテの無垢が、わからないのはみなさんがトシをとっているからです」

 黄色い服の男性は下腹をつきだしたまま、わたしをも睨んでおり、わたしは味方したのに、もはや敵も味方も区別のつかない状況であった。かれの眼には、うっすらと涙さえにじんでいた。シャルロッテ…。

  2016年夏スク 1期午前、ドイツ語文学、香田先生のクラスより。