世界を揺るがせた米国大統領とゼレンスキー大統領の会談の翌日、スマホの画面越しに義母は泣いていた。

「アメリカ国民であることを、こんなに複雑に感じたのは初めてだ。」

そう語る彼女の表情には苦悩がにじんでいた。
 

新たな政権が発足して以来、漠然とした不安が私の中に広がっていた。

旦那さんの大切な家族はアメリカにいるけれど、私は日本に暮らしていて、日々の生活に直接影響があるわけでもない。

それでも、小さな不安が胸の奥にくすぶり続け、次第に焦燥感へと変わっていった。

 

その焦燥感は、私をニュースへと駆り立てた。

毎日CNNやBBCの動画を見続け、ポッドキャストを欠かさず聞くようになった。

ニュースを見聞きしては、憂い、嘆き、旦那さんに「これはどう思う?」「こんなことが起きているらしい」と問いかけまくった。

彼は

「スマホから少し離れなよ。あと自分がどんな情報を消費するのかよく考えたほうがいい。」と言っていた。

そんなもっともな助言を聞き流して、私は寝る直前までスマホを手放せなかった。

どうしても胸騒ぎが収まらなかったからだった。

 

その理由についても考えてみた。

アメリカにいる家族や友人、そして世界のさまざまな場所で苦しんでいる人々を案じる気持ちはもちろんあった。

でも、それ以上に私の心を締めつけていたのは――

「効率」や「合理性」を最優先し、それにそぐわないものは切り捨てるような価値観が、次第に社会の「正解」として広がっていくのではないか、という不安だった。

 

そして、そうした考え方が日本にも波及し、社会全体の空気を変えてしまうのではないかという恐れだった。

どうして日本も「もっと無駄を省いて効率化しよう」と(それが必要な時と場所や状況があることはもちろん私も理解しているけれど)極端に振り切ってしまうことがないと考えられるだろう。 

そうしたとき、切り捨てられるのは決まって声の小さな人々であることは歴史が証明している。

その不安や恐怖から、絶望に打ちひしがれ、嘆き悲しむ人々の慟哭に、どうしても耳を傾けずにはいられなかったんだと思う。

 

 

そして私は半年前位から体調が悪かった。

原因不明だった。

調子に大きな波があって具合が悪い日は起きていることができない程だった。

内科に受診して、色々調べたりもしていたけれどよく原因がわからなくて、友達に婦人科受診を勧められ、ホルモン療法を始めて、今はかなり改善した。

 

今年は息子が受験で、そのサポートもなかなかに神経がすり減るものだった。
旦那さんは日本の高校受験システムがもちろんわからないので、「内申点」とか「単願」「併願」とかそういう説明からした。(難しかった)

旦那さんは、「13~15歳の子どもたちにプレッシャーかけすぎでは?僕は中学生の時はほんとにただただ遊んでたよ?」

と言っていた。(アメリカは高校入試はない。一部の裕福だったり特別な事情で私立高に行く子ども以外は地域の公立高校にそのまま進学するらしい)
息子の志望校は12月の半ばの最終面談まで決まらず、ずっと胃がきりきりしていた。

勉強に対するモチベーションがあがらず苦しんでいた時期もあって、「勉強しなくていいの?」という言葉が喉から勝手に飛び出してきそうになるのを堪えるに苦労した。

 

旦那さんは日本語学習のために日本のドラマを見たり漫画を読んだりしているけれど、今までで面白かったものの一つがネトフリで見たドラマ「ドラゴン桜」だったという。

あまりにもアメリカと違う受験競争の様相に衝撃を受け、同時にその内容は響いたという。

気に入ったのでその後漫画も買い求めていた。

 

「ドラゴン桜にこういうことが書いてあった。」と言って彼はある晩私にそれを見せてきた。

 

 



社会にはルールがある
その上で生きていかなきゃならない
そのルールってやつは全て頭の良い奴が創ってる
つまりそのルールは全て 頭の良い奴に都合のいいように創られているってこと
逆に都合の悪い所はわからないように上手く隠してある
だが、ルールに従う者の中でも 賢い奴はそのルールを上手く利用する
例えば、税金、年金、保険、医療制度に給与システム
頭の良い奴がわざと分かり難くしてろくに調べもしない頭の悪い奴らから多く搾取する仕組みにしている
つまり 頭を使わず、面倒臭がってばかりいる奴らは一生騙されて高い金払わされ続ける
賢い奴は、騙されずに 得して勝つ
バカは騙されて 損して負け続ける
これが、今の世の中の仕組みだ

 

旦那さんはこれを息子を激励するためのヒントとして見せたのかもしれないけれど、当時確定申告の準備に追われていた私にはこのメッセージが自分事として突き刺さった。

それはもう、ぶっすぶすのぐっさぐさに刺さった。

クリティカルヒットで瀕死である。

 

個人事業をもう10年以上やって毎年確定申告をしているのに、全く今でも意味がよくわかっていない私は「頭の悪いやつから多く搾取する仕組み」にばちん!と組み込まれているのだなあとしみじみと、本当にしみじみと感じざるを得なかった。(※:毎年税金と社会保険料を払うのが大変。納付書が送られてくるたびに「払い切れるのだろうか」という恐怖に襲われる。そしてその翌年度の支払額ために何日も何日も確定申告用に時間を費やしていると本当に切なく、虚しくなるものなのです。)

 

そんな風に、体調もいまいち思わしくなく、漠然とした不安やストレスを抱えて過ごしていたある日、羽生君の出演した米津玄師さんのMVを見た。
そのあと二人の対談も見た。

ネトフリでアニメ「メダリスト」も今配信されている分は全部見た。

米津さん自身が主題歌を逆オファーしたということで既に大きな話題になっていて、そのタイトルがずばりBOW AND ARROWー弓と矢ということで私も関心があった。

 

MVからは力をもらった。

そして「メダリスト」を見ることに決めた。

羽生君と米津さんの対談を見る前に、アニメは全部見たけれど、見終わった感想は「米津さんはこの物語をどんな角度から”素晴らしい漫画”だと絶賛しているのだろう。」ということだった。
 

アニメ「メダリスト」は、圧倒的な作画クオリティはもちろんのこと、個性豊かで魅力的なキャラクターたちが織りなす、陽のエネルギーに満ちた作品だった。

フィギュアスケートの演技描写は躍動感にあふれ、選手が銀盤を蹴って空中へ舞い上がる瞬間には爽快感が、指先まで神経が行き届いた着氷シーンでは、思わず息をのむような達成感があった。

もちろん、挫折し、悩み、涙する場面も多い。それでも、主人公のいのりちゃんだけでなく、ライバル選手たちもまた、それぞれに成長し、強くなり、コーチとともに壁を乗り越えていく。

とにかく、「陽」だった。


でもLemonで、あのくらーい感じのMVでピンヒールを履いて「あの日の苦しみさえ、あの日の悲しみさえ」と歌っていた米津さんが(私の中の米津さんのイメージが大分古くて申し訳ない)こんなにきらっきらの世界のアニメのテーマ曲を自ら志願して書きたいって思う理由はなんなんだろう、とどうしても私は不思議に思ったのだった。

 

それが羽生君との対談を見て、その一部はわかったような気がした。

米津さんは、
マンガを読んで「選手のことを圧倒的に肯定しなければならない」という使命感で曲を作った、

対面する選手に対して「あなたはあなたでいるだけで素晴らしい」と肯定できなければ、作品にふさわしくならない、

応援する側にも責任がある。「いや、関係ねぇし」と言っていた自分は、もう立場が違う、

圧倒的に肯定する――その覚悟を決めた、
「BOW AND ARROW」は(ラストの)「手を離す」という場面から生まれたタイトル。庇護する者、押す者
というようなことを言っていた。
 

話を聞いていたら、アニメの中で感情豊かに躍動していたキャラクターたちの笑顔や、涙で歪む表情が次々に浮かんできた。
そして、「そうか。そういうところなのか。」という感覚が迫り、気がつけば涙がこぼれていた。

米津さんがこの作品から獲得し、曲として表現するときの核心となったもの――それは「圧倒的な肯定」への強い覚悟と責任感なのだろう。

 

単に楽曲を提供するのではなく、精神性を深く掘り下げ、選手を全力で肯定することこそが応援であり、その責任を自ら負う。

彼はそれをテーマとして描く自覚があったと言っている。

そして、それは単にアニメの主題歌に関する覚悟にとどまらず、音楽家・米津玄師としての信念――次世代や後進に対しても、そういう姿勢を貫く覚悟がどうやらあるということらしい?と伝わってきた。

「自分も大人になり、そういう立場にいる」というようなことを語る彼の言葉を聞くたびに、日本の音楽シーンを牽引し続ける存在である彼が、こうした視座を持っていることに胸が熱くなり、思わず拝みたいような気持ちになった。

 

タイトルの「BOW AND ARROW(弓と矢)」には、コーチと選手の関係が見事に表現されている。

弓(コーチ)が矢(選手)を支え、力を蓄え、方向を定めて送り出す。

この師弟関係を比喩として曲のタイトルにしたことについて、発表当時ネットが騒然としたという話を読んだが、それも当然だろうと思う。

文字にして読むと、「読んで字のごとく」のように思えるが、これを自ら引き出し、言葉として結晶化できる人はそうはいない。

「解釈の化け物」と評されるのも納得だった。

 

曲は「手を離す」という場面をラストに据えている。

米津さんは「タイトルはこの部分から生まれた」と語っていた。

選手たちは、どんな自分であっても圧倒的に肯定し、導いてくれる庇護のもと(弓)から放たれる。
そして最終的には手を離れ、矢は自らの力で飛んでいかなければならない。

この「手を離す」という行為は、庇護からの解放であり、選手が自らの力で進む瞬間を象徴している。

 

また、アニメの二人の主人公――弓となるコーチの名前が何かを統率し、導くという意味の“つかさどる”「司(つかさ)」、矢となる教え子の少女が自らの意思や力を信じることを象徴する意味の祈る=「いのり」という名前であることを思うと、すべてが運命的に感じられ、胸が高鳴った。むおおお←悶絶の描写

弓道において、弓は矢を放つまでの過程を整え、最適な状態へと導く役目を果たすのだし、矢は放たれた後、自分の力で飛んでいかなければならないけれど、それこそまさに自発的行為である「いのり」なのだから。

とか、考えて!対談を見て米津さんのお話を聞いて一人でむちゃくちゃ感動した。

 

 

そしてここまでくると、「信じて送り出すことこそが、本当の応援」 なのだと実感する。

米津さんはこの曲を通して、選手に対してだけでなく、すべての人々に向けた強いメッセージを込めているんだとわかる。

「こりゃーすごい応援歌だ」と、深く嘆息するしかなかった。

そして、その応援歌を受けて、自らの全身全霊で応えた羽生君が、氷上で“メダリストたる演技”を見せてくれたこと――それは、肉体的にも精神的にもなんだか不安定で、すっきりしない日々を送っていた私にとってまさしく僥倖だった。

 

思えば羽生君は、自分にはどこまでも厳しい人だけど、ファンや、さらには社会全体へ向けたメッセージは、いつも慈愛と優しさに満ちていた。

「自分を褒めてあげて」「優しくしてあげて」「甘やかしてあげて」

そんな言葉をかける羽生君には、自らが器となり、媒体となり、他者を満たし、希望の一縷となる覚悟と使命感がいつもあった。

 

そして!この度!満を持して(?)行動に一貫する哲学を、「スケートが僕の言語」と語る羽生君は、ミュージックビデオという新たな舞台でより鮮明に開花させていた!!

いつも話している言葉たちがスケートになって、銀盤をまばゆい閃光のように瞬速で切り裂いて飛翔し、きらめいていた。

羽生君のこの仕事に懸ける気持ちがびしびし伝わってきて、その日その時をいつだって全力で出し切っている姿に胸が熱くなった。

 

対談では二人の共通点についても語られていた。

MVを見て、そして対談を見て私が個人的に勝手に感じた二人の共通点は、「俯瞰して背負う覚悟と責任がある」という点だった。

そして、そういう二人が魂を共鳴させて一つの作品を共に創ったことが、本当に素晴らしいことだなと、ありがたいことだなあ、と思った。(陳腐な感想)

 

 

 

「行け きっとこの時を感じるために 生まれてきたんだ」のこのシーン。
勝手に解釈するならば、このMVにおける弓は米津さんで「行け」と押している。矢である羽生君が「この時を感じるために生まれてきた」と絶対の肯定と信頼の上に弓に送り出されてそう咆哮している。痺れるんですよね〜その矢にはしびれ薬塗ってありますか。

 

 

 

*****

 

米津さんの弓矢の比喩表現に感銘を受けすぎた私は、その後も色々考えずにはいられなかった。

例えばこんな風にー

 

 

庇護する弓を「社会」とするならば、庇護される矢である私たちは、思うままに飛んでいけるか?

肯定されていると感じられているだろうか?

否、「努力が足りない」と私はずーーっと社会に言われ続けているような気がしていた。

だから、「自分は覚悟を持って圧倒的に肯定する」と言う米津さんの姿勢が私にはとても眩しく映った。

そしてその米津さんの意を汲んで自身最高難度のSP構成で応えた羽生君の思いが美しいと思った。

なんか何回も同じこと言ってるような気がするけれど、影響力のあるアーティスト達が、こういう視点を持って表現活動をしているということに、私は本当に、心から救いを感じるのです。

だから、ありがとうございます。

 

 

そして自分に立ち返ったときに、私自身が構築できる弓矢の関係性として、高校受験を終え、中学を卒業して新たな門出に立ち、今、まさに「手を離」そうとしている息子と自分が浮かんだ。

私は、どこまでもしなり、たとえきしんでも、その矢が思うままに飛んでいけるように、支え、力を蓄えられる弓でありたい。

父親である私の夫の身長をとうに越して、低い声でボソボソと話すようになった思春期の息子の、そういう弓に、私はなりたい、

そんな、最後は何故か宮沢賢治調になってしまうような気持ちで、私の胸は今、満たされている。

 

 

 

 

ほんと、こういうことです。

力を、ありがとうございます!

 

 

 

********

 

読んでくださり、ありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィギュアスケートランキング
フィギュアスケートランキング