お久しぶりです!
皆様お元気ですか?
2024年も終わりですがいかがお過ごしでしょうか。
突然ですが書きたい気持ちが湧き上がりキーボード乱れ打ちしています。
よろしければお付き合いくださいませ。
*閲覧注意
性加害についての話が出ますので、トラウマのある方や苦手な方はどうぞ距離を取ってください。
ちなみに羽生君にもあんまり関係ありませんのでそれでもよろしければ…
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星野源さんが、紅白歌合戦で披露する曲を当初予定していたものから変更することになりました。
「第75回NHK紅白歌合戦」出場楽曲変更についてhttps://t.co/aerQfZZ4yz
— 星野源 Gen Hoshino (@gen_senden) December 25, 2024
この件が最初にツイッターで炎上したとき、私は「…そうかあ。」となりました。
それはなぜか、
それは…私はどーしてもキャンセルカルチャーというものが好きになれないからです。
批判の内容自体には賛同することも多いのだけど、集団リンチにしか見えないような様相を呈することも多いのでそれが恐ろしいのですね。
でも今回の件はキャンセルカルチャーではない、と言っている人たちが沢山いました。
毎日新聞が「星野源さんが曲目変更”キャンセルカルチャーの背景は”」という記事(web記事のみなのかわからないけど…)を星野さんが曲を変更すると声明を出した翌日に出していて「毎日新聞わかってないのに軽々しくそういう言葉を使うな」などと批判されているのを見ました。
(まあこれは私の見ている情報が、アルゴリズムによって偏っているからそうなっているということも大いにあるとは思うのですが。)
その後その記事を読んでみたいと思って探したのですが削除されていました。
消されてるじゃん。毎日新聞消したのかい!とまたびっくりしました。
一線を越えるような個人への集中攻撃やキャンセルカルチャーに関して私は疑問に思う、というようなことを北京五輪の前にブログに一度書いたこともありました。(昔の記事は思うところがあってしまってあるので今は表に出してないのですが…)
その時はオバマアメリカ元大統領と歌手のビリー・アイリッシュの、キャンセルカルチャーに疑義、批判的な姿勢を取り上げて書きました。
この記事にちょうどその2人の発言が載っていたので引用させてもらって…。
https://www.theheadline.jp/articles/473
オバマ元大統領は「もし私が、誰かを『正しく物事を行わなかった』や『誤った動詞を使った』とツイートしたりハッシュタグをつけて非難すれば、良い気分になれるだろう」と述べ、こうした発言や振る舞いによって、自分がいかに政治的に目覚めた(Woke)人間であり、正しい立場であるかがアピールされる状況を批判した。
その上で「純粋な論理によって、一切の妥協を許さず、自らは常に政治的に正しいという立場は一刻も早く捨て去るべきであり、現実の世界が乱雑であいまいであることを認識すべき」だと述べた。最後に、オバマ元大統領はSNSによって誰かを批判することは「アクティビズムではなく、変化をもたらさない」と締めくくった。
(中略)
例えば2001年生まれでZ世代の一人である歌手ビリー・アイリッシュは、以下のように述べる。
キャンセルカルチャーはクレイジーで、インターネットはただの荒らしの集まりだ。問題は、その多くが本当に楽しいということで、それこそが問題だ。だから誰も止めることができないのだろう。
このインタビュー後、ビリー・アイリッシュ自身がキャンセルカルチャーに巻き込まれた。13-14歳の頃のアイリッシュがアジア系のアクセントを模倣して、中国人への蔑称を口にしたとされる動画が公開されたことで、謝罪に追い込まれたのだ。この動画は編集されたものであり、批判は不適切であるという指摘も見られたが、彼女自身は「当時の私の無知さや年齢は、人を傷つけてしまった事実の言い訳にならない」と述べている。
いずれにしてもキャンセルカルチャーについては、政治的立場や世代を超えて一定の危機感が共有されているのだ。
(引用終わり)
キャンセルカルチャーっていう言葉自体あまり馴染のない方もいらっしゃるかもしれないので一応概要を置いておきますと…
キャンセルカルチャーとは、社会的に好ましくない発言や行動をしたとして個人や組織をSNSなどで糾弾し、不買運動を起こしたり、ボイコットしたりすることで、社会から排除しようとする動きのこと。
具体的にはメディアやSNSを通しての猛批判、テレビ番組やCMへの出演停止、番組の放映中止、解雇・解任、出演作品を観ない、著作を読まない、製品を買わないといった、支持や支援を取りやめる(キャンセルする)行為や呼びかけを指す。
政治家や芸能人、インフルエンサーなどの著名人、また企業や組織、団体なども対象となることがあり、人種差別的な発言や行動、同性愛者に対する偏見、そのほか何らかの不正が明るみに出たときなどに起こることが多い。
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↑より詳しい事例などはリンク先の記事を読んでいただければと思います。
冒頭で言ったように、問題視され批判される内容に関して私は往々にして同意していることが多いのです。
でもうーんとなるのは、私刑や制裁を目的とするところなんですね。
ただこの記事にもあるように、重要な問題を提起して社会が変わっていくために必要な対話を数多く生み出してきたこともまた事実です。
今回の件がキャンセルカルチャーではないという方たちの意見としては星野さん自体をキャンセルしようとしたわけではない、ということだったのでしょうか。
でももし星野さんが曲を変更しなかったら、また炎上して抗議が起こって結果的に星野さんは「性加害を容認した人物」として”キャンセル”されることになったのでは?と私は思います。そしてそれは今後の彼のキャリアにも影響を及ぼすことになる。
実際の加害行為には一切関係のない彼が、そんなに長期的に十字架を背負わされる必要があるのだろうか、というのは議論に値することではと私は思いました。
↑何でもかんでもBBIのラインで話す絵子
色々言われても変えないというのもありかもしれない。
でもリスクも大きくて難しい選択だ…と思っていました。
私がまず一番最初に思ったこと、そして曲が変更されることが決まった今でも思っていることは
アーティストや作品に直接的な問題がないのに、別の文脈が絡んだ結果、当該アーティストの表現の機会が制限されるっていうのはアーティストにとってアンフェアでは?ということです。
他にも
・正当な批判のレベルを越えて彼への人格否定や誹謗中傷ともとれる内容が散見されるけどそれはおかしいよね?
・なんか、この炎上におかしくない?と疑問を呈したら、もう人でなしみたいな雰囲気が形成されつつあるような?それは怖い
・「本当に批判されるべきは誰か」「この問題の根本原因は何か」ということは考えられているのだろうか
などと悶々と色んなことを考えていました。
私の過去の発言を色々読んでくださっていたり、今もツイッターをフォローしてくださっている方にはよくおわかりと思いますが、私は女性の権利やマイノリティの権利に関しては敏感な方だと思うし(←もちろん擁護、という立場において、です)、弱い立場の人にできる限りつきたいと思うタチだし、性加害についてもスケート界での様々な事例を取り上げてブログに載せてきたので、そのスタンスは明確にしてきたつもりです。
(私は加害ーというほどまでのことはされたことはないです。が、具体的には気持ち悪すぎてここには書けないけど、若い頃に電車の中で痴漢されるよりもっと最悪な経験をしたことがあります。だからというわけでもないですが、本当に苦しい被害者の方たちの気持ちはほんの少しですがわかります。)
それでも、星野源さん曲変える必要あるのかな?と思っていました。
批判している人たちの意見も私にはわかりました。
↑この記事は途中までしか読めないけれどこの方のおっしゃっていることは本当に真っ当だし、そうだな、と素直に同意しました。
「紅白歌合戦という国民的な番組でこの曲が流されていたら、性被害を告発した方々が、取り返しのつかない二次被害を受ける可能性がある。ほかの性被害者たちも、『社会は性加害を大した問題ではないと思っているんだ』と絶望する可能性があると思いました。星野さんとNHKが曲の変更を早急に決断してくれたことは、エンタメ業界、日本社会全体にとって、とても良かったと受け止めています」
「できれば発信したくなかった。この曲に救われた人たちがたくさんいることを知っていたし、大きな反発があることも予想していましたから。ただ、映画界に長年身を置き、様々な性加害問題を見聞きしてきた私としては、おかしいと言わなければならない責任を感じていました。誰かが言わなければ、まるで問題がなかったかのように扱われてしまう。それが何より怖かったのです」
性加害問題を様々見聞きしてきたという業界の人の言葉は重いです。しかもこの方は男性だし、とても発言に勇気がいったと思うし、こういう風に発言してくれる人がいて社会は変わっていけるのだと思わされます。
でも、それでも…
日本における性犯罪がまかり通っている現状を変えるには、星野さん自身が直接性犯罪に関与したわけではない中で、彼の大切な作品を披露する機会を疑問視することよりも、直接的な問題を批判することを優先させるべきなのではないだろうかーとどうしても思ってしまうというかー
例:エロ漫画広告規制(ほんとにいい加減にして?辞書ひいてエロ漫画出てくるのやりきれない。)
・直接的な加害やハラスメント発言や言動をした人物への適切な批判。
・DVや性犯罪被害者を守るための、直接的、現実的な支援の充実など。
そして私がもう一つ感じたことはー加害者とされる園子温監督という人のことを私はよく知らなかったのだけどー
星野さんが当該楽曲を披露することによって、被害者の方が二次被害を受ける可能性があるという視点でした。
わかるんです。その通りなのかもしれない。
でも、それは被害者の方たちからの直接の訴えではなく第三者からの声なわけで、加害者や加害そのものを連想させるから二次加害になるということを第三者が定義づけることができるのか?とも思うし、その線をどこで引くのか?というのはとても難しい問題じゃないのかなと思ったということでした。
でも、言っていることも内容もわかる!わかるんだけど…
というすごく複雑な気持ちになりました。
そしてー
星野さんと所属事務所の対応は早かったー
曲目変更の旨公式アカウントから声明が出されたわけですが、その声明を読んで、私は動悸がしてしまいました。
そして知らない間に涙が浮かんでました。
とても真摯に明瞭に、誰が読んでも、違う解釈の余地がない文章で「あらゆる性加害を容認しない」と書かれていました。
当たり前のことなんだけど、そんなの当然なんだけど、でもその当たり前のことを全然権力者も加害者側も、被害者が声を上げても言わないわけで…
だから私は泣いてしまいました。
連日報じられる、権力や、力の差を元に弱い立場におかれている女性(だけでは必ずしもないけれども、ーそれこそ星野さんたちが言っている”あらゆる”に包摂される全ての人たちー)を虐げたとされるニュース、そしてその事実に向き合おうとしない加害者たち、もしくはそれを擁護するかのような一部の力の強い人々の言動や姿勢に、私は本当に傷つき、もうほとんど発狂間近になっていたのだ、とこの声明を読んで初めて気が付きました。
私の中には今でもー
アーティストや作品に直接的な問題がないのに、別の文脈が絡んだ結果、当該アーティストの表現の機会が制限されるっていうのはアーティストにとってアンフェアでは?
という気持ちは残っていてその疑問は払拭できていないのです。
目を覆いたくなるような性加害のニュースやその社会的悪影響について、指を差されるのも、責任を取らされるのも、矢面に立って発言するのも、星野さん以外の「加害」をしてきた人たちであるべきだろう、という気持ちは変わらないのです。
だけど、星野さんがこのようなスタンスをとってはっきりと明言してくれたことは、とてもとても大きな影響があったと思いますしこれからもその余波はやまないだろうと思いました。そして彼の姿勢に未来への一縷の希望を見出したり、勇気づけられた方も沢山いたのではないかと思います。(私もそうです。)
なのでものすごく複雑な心境になりました。
何をどう考えたらいいのかよくわからない、というか。
私の思想や思考は一貫性がないな?整合性も取れていないぞ、と思いました。
私達は不正や不正義、理不尽には声をあげるべきだし、批判すべきだし私はそれが社会人としての責務だとも思っています。
でもそれだったらキャンセルカルチャーを批判できないのでは、と言われると「そうだよな」となってしまう。
それでいつものように一人でまたうんうん考えていたのですがーー多分
私は”ー個人をキャンセルし、名誉や立場を剥奪することを目的とする”みたいな内容に拒否感があるのだろうと思います。
例えば批判の内容や目的が相手を「罰する」ことにある場合です。
(今回の星野さんのことはまあそういう面から言うと「これはキャンセルカルチャーじゃない」という人たちの意見もわかる気がします。)
でも往々にして、SNSで炎上してボイコット的な方向に物事が動いていくようなとき…批判内容には賛同できても、批判の「方法」や「目的」が本来あるべき姿を逸脱していると感じられてしまうのです。だからいつも違和感があるのです。
(説明が難しいのですが、言語化できているでしょうか。意味伝わりますか。)
最初から私はそういう考えだったわけではなくて、2016年からツイッターをやっていて、様々な(羽生ファンダム内においても、またはまったく別の社会的問題に関してでも)炎上案件を見てきて少しずつそういう風に思うようになっていったのだと思います。
私が違和感を覚えるキャンセルカルチャー的な批判の仕方と、適切だと感じる批判の仕方?みたいなものをAIに表にしてもらいました。

いつもこんな風にきれいに分かれるなんて無理だし思っていないけれど、「排除」や「追放」「懲罰」みたいなものが目的となる批判みたいなものは危険が伴うものだ、と私はすごく思うのですよね…。
はあ〜むずい。うまく書けない。
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そして最後にもう一つ。
期せずして今回私は星野さんのツイッター上でのファンダムの様子を少し覗くことになりました。
本当に色んな意見がありましたが、すごく星野さんはファンの方たちに敬愛されているんだなあと思いました。
その中で他のファンの人達に批判されるとわかっていても「自分は彼が性加害を容認するアーティストだと思われることは耐えられないし、彼自身の今後のためにも声明を出して欲しい」「曲を変更すべきだ」という観点からしっかり意見を言ったファンの方たちのツイートを読ませてもらいました。
私は「変える必要はないのでは」と思っていた立場だったけれど、私自身が誰かを応援している一ファンであるという立場から見ると、そういうツイートをすることがどれ程勇気のいることだったのかよくわかるし(本当に心からわかる笑)尊敬に値するなと思いました。
実際そういうツイートをした人たちは、やはり他のファンの方たちからアンチ呼ばわりされたり、同じファンからひどい言葉を投げつけられたと言っている方もいました。とてもしんどかっただろうなと思います。
羽生ファンのコミュニティ内で、もしそんな状況になったらーと仮定してみました。
彼が「この子」と呼んで大切にし、ファンも心から愛しているプログラムの一つについて、羽生君自身にもそのプログラムにも全く非がないにもかかわらず、「後付けで別の文脈が加わったこと」によって、公の華やかな場で披露するのはふさわしくない、変更すべきだという意見が持ち上がり、SNS上で拡散されたとします。
その際、たとえ他のファンからどれほど批判されようとも、「声明を出してほしい」「弱者に寄り添う姿勢を見せてほしい」「プログラムを変更すべきだ」という声が、ファンの中から上がることがあるだろうかーと私は思いました。
さらに、そうした声が実際に上がった場合、それが他のファンから批判されることを十分承知の上で発せられたものであっても、「アンチ」や「そんなことを言うなんてファンじゃない」などと言ってその声を封殺せず、「それも彼を大切に思い、尊敬しているがゆえの意見なのだ」とファンダムとして受け止めることができるだろうかーとも思いました。
そうであるといいな、とすごく思います。
私は誰も不快にしたくないし、傷つけたりしたくないと思いながら毎回ブログを書いているけれど、自分の意見を表明する限りそれは不可能です。
そして私にとっては嫌われても叱られても、自分の意見を言わないのならば表明する意味はないので、そうしているということなんですが、それをお仕事としている方たちの矜持や如何に…と、しみじみと、本当にしみじみと思いを馳せて、虚空を見つめてため息をつく12月28日でした。
はあ〜〜〜〜〜←ためいき
てゆーか私の駄文、読んでくださってる方たちに意味分かる内容になっているのかな…←自分ではもうなんかちょっとわからない。
色んなポイントに関して読んでくださる方には賛否両論あることはわかっていますので、こんな考えの人もいるんだなと読んでいただけると幸いです。
私の認識が間違っていることも大いにあると思いますので、おかしなことを言っていたら教えてくださるとありがたいです。
2025年も性加害に関してのニュースやそれにまつわる人々の対応や反応などがその都度話題になったりすると思いますが、被害に合う人が一人でも減ること、そして被害にあった方が助けを求めたら、それが受け入れられ、適切な対応や支援を受けられる環境があしますように、と心から願ってやみません。
紅白歌合戦は楽しみに見ようと思っています!
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ここまで読んでくださりありがとうございました。
皆様どうぞ良い年末年始をお過ごしくださいね。
来年はいつかエコーズに関して書けたら嬉しいです←まだとても無理…
絵子でした



