「改革」と「勝利」。ふたつの使命を負った落合はまず、意識改革に着手した。2・1紅白戦、6勤1休キャンプ、そして開幕投手・川崎憲次郎……。懐疑の目で見られながらも、徐々に選手たちの心に変革を起こしていった。球界の常識を覆(くつがえ)していった。ただ、その改革を本当に成功させるためには結果が必要だった。では、いかにして勝つか。この点で、落合は就任当初からまったく迷いがなかった。
「オレは今でもホームランさえ狙わなければ4割打てたと思うよ。ボールに負けないようにと思うから、余分な力が入ってずれるんだ。でもな、打者ってのはどれだけ打っても4割までなんだ。でも、守りなら10割が可能なんだ」
投手を中心とした守りの野球――これは落合が野球人生を通じて到達した「勝利の鉄則」だった。打撃を極めた三冠王が監督になった。豪快に打ち勝つ野球を見たいと思うのがファン心理だろう。だが、落合は打撃を極めたがゆえに、その限界を知っていた。そして、何よりも確率(数字)を重視した。
落合は「数学者」でもある。とにかく数字に強い。現役時代、首位打者を争っている最中は日々、自分の打率、ライバルの打率を計算しながら何カ月も先を見越して、タイトル獲得の戦略を立てていたという。
「月にこれだけ打てば、こうなるだろう。だったら、きょう何本も打ったから、明日は打てなくても大丈夫だなって。そう考えれば余裕ができるんだ。今の選手は数字に弱いな。オレなんか究極のことを考えていたよ。たとえば開幕の最初の1打席、ヒット打って、あとは全部四球を選べば、打率10割だろ? 首位打者だろ? そう考えなければ、数字なんて残せやしないよ」
打者は日々、上下動する打率を意識しない傾向が強いが、落合は真っ向から数字と向き合う。グラウンド外でもそうだ。オフに税理士が自宅に集まって報告をした際、落合は明細書をひと目見て指摘した。「これ、二重で振り込まれているぞ」。税理士が慌てて調べたら、その通りだったという。4割より、10割。数学者・落合が勝つための手段として「守り」を選択したのは当然だった。
守りの野球の中心は絶対的に投手だった。落合は沖縄でのキャンプ。そのほとんどの時間をブルペンで過ごした。グラウンドに出なくても、ブルペンにいかないことはない。それほど投手を重視した。
「野球は投手がボールを投げないと始まらない。誤解されているけど、野球で攻めることができるのは投手だけなんだ。打者はいつも受け身なんだよ」
キャンプ地のブルペンを倍の広さに改造した。他球団からトレードの申し込みが舞い込んでも、投手に対するものは、ほとんどすべて断った。毎年、チームには必ず計算できる先発投手が12人はいた。通常、ローテーション投手は6人だが、落合とヘッドコーチの森繁和はその倍の人数を揃えていた。落合竜が、近年、ずっと投手王国と呼ばれていたのは必然だった。
そして、落合は投手をバックアップする守備陣にも一切、妥協しなかった。守ることへの執念。その最たるものは、2009年、当時、6年連続ゴールデングラブ賞受賞中だった荒木雅博と井端弘和の二遊間コンビの入れ替えを明言したことだろう(実際に断行されたのは2010年から)。おそらく、このコンバートを正解だと思っていたのは球界で落合だけではないだろうか。それほど周囲からは批判を受けた。特に、肩に不安のある荒木を遊撃で起用することにチーム内からも異論が出た。コーチ陣が撤回を求めて直談判したこともあった。ただ、落合は頑として耳を貸さなかった。
「オレの評価と周りの評価は違うんだ。他のだれでもない。オレができるって言っているんだから、できるんだ!」
一般的に守備力はボールを捕った後、いかに処理するかで判断される傾向がある。捕球から送球までを華麗にさばけば「名手」と言われることも少なくない。だが、落合はむしろ、その前の段階を重視する。キャンプでもシーズン中でも、落合は同じ場所から選手の動きをじっと見ている。この「定点観測」によって選手の綻(ほころ)びを見つけるのだ。同じ場所に飛んだ打球にどの選手が追いつけて、どの選手が追いつけないか。また、昔は追いつけた打球に、今は追いつけているのか。落合の目には、一目瞭然だった。
アラ・イバのコンバートに次いで衝撃度があったのは2006年の「立浪外し」だ。その年のシーズン中盤、主力打者で、精神的支柱でもあったミスター・ドラゴンズ立浪和義をスタメンから外した。立浪が2失策した試合、途中でベンチに下げた。そして、翌日にはスタメン表に名前を書かなかった。理由は明確だった。
「三遊間を打球が抜けていくんだよ。その範囲が年々、広がってきた。オレが座っているところからは、それがよく見えるんだ」
試合中、一塁側ベンチの左端に座っている落合の正面には三遊間が見える。そこへ打球が飛ぶ。立浪の横を抜けていく。その範囲が年々、拡大していくのを見て、落合は断を下したのだ。立浪を外すことは、チーム内に影響を与えるだけでなく、地元メディアや、評論家などに批判される恐れもあった。だが、落合野球には「聖域」など存在しなかった。いくら打てても、守れなければ試合には使わなかった。1本のヒットを打つことより、1本のヒットを防ぐことを重んじた。レギュラーには「打者」である前に「野手」であることを要求した。それこそ「10割」を追求する落合野球だった。
8年間で、優勝4度、Aクラスから外れたことは1度もなかった。通算勝率5割6分2厘。確率論から、守りの野球を選択した落合の判断は正しかった。改革と勝利。落合は今、自分に課せられたこのふたつの使命を果たしたと自負している。