2022春ベッキオバンビーノ春参加車輌47DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_ | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967

 

HONDA_S600_1964

 

VOLKSWAGEN_TYPEII_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958

 

シボレーシエラorシルバラード

 

FORD_THUNDERBIRD_1955

 

FORD_MODEL_T_1927

 

 

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

 

ベッキオバンビーノ2022年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

 

また、一夜明けた

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

 

(2022)

 

先回シリーズと同様

 

参加車両の1台ごとに撮影成功していた車両とゼッケン番号を照合して紹介する予定です。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

「自動車王国岡山」

 

と呼ばれるに相応しいイベントである

 

ベッキオバンビーノの模様を一人でも多くの<ひと>に知って頂くため、

 

地域住民の一人として、できることを実践していく所存です。

 

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 54 DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967 です。

 

 

日本語ウィキ記事があり、結構、詳細な紹介がなされています。

 

 

(出典:ウィキペディアダットサン・フェアレディ - Wikipedia

 

 

 

 

2代目 S310型系(1962年-1970年)

高速化を考慮して小径ホイール、低床フレームの採用で低重心化を図り、エンジンも連続高回転運転を考慮したものに変更された。

フェアレディ1500
SP310 / SPL310型

1961年10月 - 東京モーターショーに「ダットサン・フェアレディ1500」として展示。シャーシはダットサン・ブルーバード310系の流用で、前輪独立懸架となり、前後のサスペンション支持部の間にX型の補強メンバーが追加され一段と剛性が高められた。このメンバーはシルビアを含むS310型系の大きな特徴でもある。
1962年10月 - 輸出用のDATSUN 1500(SPL310)に加え、日本国内向けモデルのフェアレディ1500(SP310)発表。直列4気筒 G型エンジン(71馬力/5,000rpm)を搭載。
左向きの後部座席が備わる3人乗りであった。
1963年5月 - 「第1回日本グランプリ」国内スポーツカーB2クラス(1,300〜2,500cc)にて輸出仕様キャブレターを搭載するフェアレディ1500(田原源一郎がドライブ)が優勝を飾る。
1963年6月 - 日本GPでの活躍を受け、SUツインキャブを装着し出力が80馬力/5,600rpmへ向上。
1964年3月 - レーシングキット発売。
1964年8月 - マイナーチェンジで2シーターに変更。
1965年4月 - 後述する「フェアレディ1600」と入れ替わるかたちで販売終了。

 

 

フェアレディ1600
SP311 / SPL311型

1965年5月 - 「フェアレディ1600」(SP311型)発売。直列4気筒OHV1,595cc、R型エンジン(90馬力/6,000rpm)を搭載。1か月前に発売された「シルビア」とエンジン、ポルシェシンクロ(サーボタイプ)トランスミッション、シャシなどを同一とした。フロントブレーキがドラムブレーキ(ツーリーディング式)からディスクブレーキに変更され、ロードホイールは14インチ化された。
1966年3月 - 「第4回クラブマンレース」(日本グランプリの前哨戦的レース)に、特別製のB680X型エンジン(直列6気筒DOHC1,992cc、190馬力/7,600rpm)を搭載するフェアレディS(プロトタイプマシンの扱い)が参戦(ドライバーは田中健二郎)し、ポールポジションを獲得したがリタイア(優勝は同じく初参戦のトヨタ・RTX=後の1600GTのプロトタイプ)。またGT IIクラスでは、フェアレディ1600が優勝を飾る。
1966年5月 - 第3回日本グランプリ予選(雨)で、フェアレディS(ドライバーは北野元)は プリンス・R380やポルシェ・カレラ6等の本格レーシングカーに対し、2位に14秒73の大差を付けポールポジションを獲得したが決勝はリタイア。
1966年11月 - 「第2回富士ツーリスト・トロフィー・レース」GT-I〜Vクラスにて「フェアレディ1600」が総合6位、クラス優勝を飾る。
1967年11月 - ウインドシールドスクリーンを高くし、日本車初のコラプシブルステアリングシャフトの採用、ダッシュパッドやヘッドレストの追加、シートベルトの3点式化、ドアアウターハンドル、スイッチ、リアビューミラーなど突起物の形状の変更で北米の安全基準(Motor Vehicle Safty Standard)に準拠。1965年5月から1967年10月までのモデルは「ローウインドスクリーン」、1967年11月以降のものは「ハイウインドスクリーン」と呼ばれ、区別されている。

 


フェアレディ2000
SR311 / SRL311型

1967年3月 - 「フェアレディ1600」に追加されるかたちで「フェアレディ2000」(SR311型)発売。
ソレックスキャブレター2基を備えた新設計の直列4気筒SOHC1,982cc、U20型エンジン(145馬力/6,000rpm)と、ポルシェタイプシンクロを持った5速トランスミッションを搭載。発表された最高速度は205km/hであり、国産初の200km/hオーバーカーとなり、高性能車としても注目を浴びる。後に「フェアレディ」の完成形と賞賛されるモデルとなる。テレビコマーシャルは杉山登志らが制作し、数々の賞を受賞した。
1967年5月 - 「第4回日本グランプリ」GTクラスにてフェアレディ2000が1-2-3フィニッシュを飾る。
1967年11月 - 上記の「フェアレディ1600」同様、ウインドシールドスクリーンを高くし、日本車初のコラプシブルステアリングシャフトの採用、ダッシュパッドやヘッドレストの追加、シートベルトの3点化、ドアアウターハンドル、スイッチ、リアビューミラーなど突起物の形状の変更で北米の安全基準(Motor Vehicle Safty Standard)に準拠。1967年3月から同年10月までのモデルは「ローウインドスクリーン」、同年11月以降のものは「ハイウインドスクリーン」と呼ばれ、区別されている。
1968年1月 - 第37回モンテカルロ・ラリーに、カーナンバー66(ハンヌ・ミッコラ / Anssi Jarvi組)と、同じく70(Jorma Lusenius / Vihervaara組)の2台の「ローウインドスクリーン」タイプのワークスSRL311で初出場。カーバッジはDATSUN 2000。FR車は圧倒的に不利と言われるモンテカルロで、カーナンバー66のミッコラ/ヤルヴィ組が総合9位、グループ3クラス3位を獲得する。
1968年5月 - 「'68日本グランプリ」GTクラスにて「フェアレディ2000」が1-2-3フィニッシュを飾る。
1968年7月 - SP/SRともにソフトトップを持たないハードトップモデルを追加。
1968年8月 - 「第3回富士ツーリスト・トロフィー・レース」GTS-IIクラスにて「フェアレディ2000」が優勝を飾る。
1968年11月 - ステアリングギアボックス、マフラー、ワイパー、ライセンスプレートランプ、テールランプなどを変更。
1969年1月 - 第38回モンテカルロ・ラリーに出場。カーナンバー79(Raimo Kossila / Pertti Mannonen組)と、同44(Risto Virtapuro / Charles Lindholm組)の2台の「ハイウインドスクリーン」タイプのSRL311でエントリー。
1969年10月 - 「第6回日本グランプリ」GTクラスにて「フェアレディ2000」が優勝を飾る。
1969年 - 後継車種「フェアレディZ」が発表されるが、1970年4月まで継続生産(日産内部資料による)。
1970年 - 生産終了。2代目の国内販売台数は約6000台[3]。

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

 

長い冬が終わりを告げ

 

春一番の使者のごとく

 

全国から参集したヒストリックカーの祭典

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつ

 

楽しみながら記事を書き進めています。

 

ゼッケンナンバー

 

に従って、一台、一台、紹介をしています。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

前のシリーズ

2021春ベッキオバンビーノ参加車両01_No02MG_PA_RACER(1934) 2021-11-03 07:00:00

 

 

 

2022春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

 

DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967

 

HONDA_S600_1964

 

VOLKSWAGEN_TYPEII_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958

 

シボレー・シルバラード

 

FORD_THUNDERBIRD_1955

 

FORD_MODEL_T_1927

 

MORGAN_4/4_2010

 

CATERHAM_SEVEN_1973

 

ALFA_ROMEO_2000GTV_1973

 

MG-B_GHN5_1976

 

MG-B_1973

 

MASERATI_MEXICO_1969

 

DAIMLER_2.5L_V8_1966

 

LOTUS_ELAN_SR.3_FHC_1965

 

PORSCHE_356C_1965

 

PORSCHE_356C_SC95_1964

 

ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SS_1961

 

PORSCHE_356B_SUPER90_1963

 

PORSCHE_356B_SUPER90_1963

 

PORSCHE_356B_SUPER90_1962

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_SR.1_4.2_FHC_1966

 

JAGUAR_E-TYPE_ROADSTER_SR.1_1962

 

ALFA_ROMEO_GRAND_SPORT_ZAGATO_1967

 

2022春ベッキオバンビーノ春参加車輌23ALFA_ROMEO_GIULIA_SPRINT

 

ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SPIDER_1961

 

ROCHDALE_GT_1957

 

PORSCHE_356A_CONVERTIBLE_D_1959

 

PORSCHE_356_SPEEDSTER_1956

 

TRIUMPH_SPITFIRE_4_MK1_1963

 

TRIUMPH_TR2_1954

 

AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MKⅡ_1961

 

AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MK-1_1960

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1962

 

MG-A_1958

 

MG-A_1955

 

MG-A_1955

 

AUSTIN_HEALEY_1960

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_3000_MK1_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100_BN/1_1954

 

ARNORT_BRISTOL_1954

 

MG-TD_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET_A_1950

 

02ERMINI_GILCO_1100GP_1948

 

SIMCA8_SPORT_BARQUETTE1938

 

 

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

 

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954

 

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

 

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。