【最終回】令和2(2020)年11月再び備前エリアを訪問し風景撮影7備前市歴史民俗資料館を訪問3 | エコノミライ研究所のブログ

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エコノミライ研究所と隣接する個人・団体・法人紹介

 

並びに名勝・史跡紹介

 

をさせて戴いています。

 

 

今回から令和2(2020)年11月に

 

またまた備前市内を訪問したときの模様をレポートしています。

 

(備前市体育館前の急速充電機前から見えた紅葉)

 

(備前ゆかりの文学者諸氏)

 

(備前市歴史民俗資料館)

 

(片上鉄道0kmポスト)

 

(国指定史跡 伊部北大窯跡)

 

(JR伊部駅前エリア俯瞰)

 

(忌部神社)

 

(備前焼の長い歴史を実感する天保窯)

 

 

 

(伊部駅前)
 

旧片上鉄道の片上駅跡周辺の散策をした後

 

次に訪問したのは

 

備前市東片上エリアにあるところの

 

備前市歴史民俗資料館でした。

 

 

「備前市歴史民俗資料館(びぜんし れきしみんぞくしりょうかん)は、岡山県備前市東片上にある博物館。

施設
1階
企画展示室
セラミックス室
2階
文芸室
民俗室


主な展示品
備前焼、耐火レンガ
文学
正宗白鳥、正宗敦夫、柴田錬三郎、藤原審爾
儒学
熊沢蕃山
生活民具・農具・漁具
閑谷学校
三石城
片上鉄道
鶴山丸山古墳
お歯黒
第二次大戦資料


利用情報
開館時間:午前9時~午後4時30分
休館日:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始(12/29~1/3)
入館料:無料


交通アクセス
JR赤穂線備前片上駅より徒歩5分。」

 

(出典:ウィキペディア備前市歴史民俗資料館 - Wikipedia

 

先々回は、資料館の外観・内観の概要、そして、備前エリア最大の特産物である備前焼に関する展示のみをお伝えしました。

 

先回は、展示内容のうち備前ゆかりの文学者について紹介しました。

 

最終回の今回は

 

展示内容のうち、地域の風習に関する展示物について紹介します。

 

 

備前エリア各所で実施されていた、お祭りなど、催しの様子をパネル展示している前に置いてあるのは

 

「木製」の郵便ポストのようです。

 

「戦時中の郵便ポスト(木製)」ですから

 

 

先の大戦時、鉄を供出する義務が生じた時期

 

例の丸い郵便ポストに代わって設置された、ということを、今更ながら知るに至りました。

 

 

「ポストの設置数は郵便制度が始まった1871年(明治4年)には62カ所、1875年6月末時点の約500本から太平洋戦争後の一時期を除き年々増加傾向であり、2006年4月末時点では約191,400本となっている。2003年度日本郵政公社発足時は約18万6000本、2021年度末で約17万6000本あった。」

戦時中は金属供出のためポストの数が減少したが、金属製ポストの代わりにコンクリート製、サチナイト(マグネシアセメント)製の郵便ポストが造られた。」

 

(出典:ウィキペディア郵便ポスト - Wikipedia

 

これもまた、戦争遺構のひとつ、と謂えましょう。

 

 

海に面している備前エリア

 

農業も盛んな備前エリア

 

農機具

 

漁具

 

機織機

 

ごくありふれた民家の一室

 

 

今、目に見えている「モノ」の一つひとつが

 

昭和年間まで、あるいは一部は平成年間まで利用されていました。

 

 

令和年間に入った2019年以降

 

これらのアイテムが使われている、とは到底、思えませんけれども

 

 

例えば、コメの殻を剝くための精米機である

 

唐箕(とうみ)

 

人力から機械式へと変革する途中の形態

 

構造体の殆どが木製であることに、改めて驚きました。

 

保存状態も、可成り、良好です。

 

 

 

 

 

古くは古墳時代まで遡る

 

中国地方の鉄作り

 

穀物生産性を飛躍的に向上させた鉄文化

 

このような農機具に象徴されています。

 

 

<ひと>の営みを支えるアイテムの形状・内容は日々、変わって行きますけれども

 

<いま>を生きる自分が、これらのアイテムに支えられてきたことの有り難さを、再認識しました。

 

 

これにて

 

備前市歴史民俗資料館の訪問を終了

 

時刻は早、夕方となっていました。

 

このとき運転していたのは

 

ゴッチ本部長から貸してもらっていた

 

日産自動車のe-NV200「えこの弐」号。

 

帰宅するまでの電池残量が若干、不足していたので

 

 

備前市久々井エリアにあるところの

 

 

 

備前市総合運動公園前の急速充電設備で充電を実施しました。

 

 

備前市内には複数個所にEV用急速充電設備の存在がありますから助かります。

 

 

今回も、佳い散策を実施することができました。

 

 

 

以上

 

令和2(2020)年11月に

 

日産自動車の電気自動車e-NV200のドライブで訪問した

 

備前市市街地を散策したときの模様をレポート致しました。

 

 

次回から、また別の「ネタ」にて、ご機嫌伺います。

 

次回からも、どうぞお楽しみに!

 

 

・・・・・先回までのおさらい・・・・・

 

今回訪問した手段も電気自動車でした。

 

日産自動車がスペイン工場で生産した

 

e-NV200「えこの弐」号を運転して遣って来ました。

 

 

令和2(2020)年2月頃から猛威を振り始めた

 

COVID-19の影響が、夏には収束するかな、という淡い期待は見事に裏切られ

 

第2派、第3派と感染拡大が続く最中

 

家の者の用事で送迎のため、再び、備前市内を訪問する機会に恵まれた次第です。

 

 

 

備前焼伝統産業会館を訪問することもできました。

 

備前焼伝統産業会館は

 

JR赤穂線の伊部(いんべ)駅の駅舎でもあり

 

協同組合岡山県備前焼陶友会様が入居している建物でもあります。

 

 

この場所に降り立ったのは午前11時頃

 

駅前エリアを散策しながら

 

昼食を摂ることができる場所も探します。

 

 

伊部駅周辺エリア、散策開始

 

国道2号線を渡って北へ向かった記憶のみ、あるだけでして

 

ここが何処なのか、は分かりません。

 

凄いことに

 

備前焼と思われる大きな坪(つぼ)か、いわゆる土管(どかん)を塀(へい)の構造物としています。

 

 

更に歩きますと、もっと凄い場所がありました。

 

思わず、腰を下ろして撮ってしまいました。

 

道の基礎の一部として、先ほどの陶器が一列に並べられています。

 

これこそが

 

備前焼の本場らしい路地の表情だなぁ

 

と感心していました。

 

 

そして腰を上げて再び歩き出し

 

見上げたところがコチラ

 

何を謂いたいのか、四の五を申すまでもないでしょう。

 

焼き物の町、備前市のイメージといえば

 

登り窯の煙突です。

 

これらの煙突の一本一本が

 

この地域の経済的富(とみ)を支え続けてきたのだと思います。

 

 

真冬ほど寒くはないですが

 

曇り空の下、鮮やかな色で撮影することが難しかった日でした。

 

 

ですが、時折、直射日光が差し込みますと

 

メリハリあるコントラストの画(え)を納めることができました。

 

 

伊部駅から歩いて15分ほど進んだ先に

 

何やら、歴史的価値のあるような場所に遣って来たようです。

 

 

その名も

 

備前市指定文化財

 

天保窯

 

といいます。

 

 

昭和年間後期まで、この窯が150年ほどの間、現役として活用されていたことに驚きます。

 

 

なるほど

 

雨風にさらされないよう、保護屋根が設置されたものの

 

乾燥のため風化の進行により崩落しかかっていたところ

 

岡山県郷土文化財団の助成により

 

崩壊の進行を留めるべく樹脂で保護しているとのこと。

 

この写真でいいますと

 

恐らく

 

濃いグレーの部分が樹脂により塗布された部分なのだと思います。

 

 

天保窯を別の角度から拝見しますと

 

窯室の原型が残って居る部分もあるようで

 

今後、ますます、この地域では重要性の増す文化財になるものと確信しました。

 

晩秋の雰囲気が漂う一枚

柿の木に実が生(な)っています。

 

甘いのか、それとも、渋いのかは、分かりませんけれども。

 

 

足元にはドングリが転がっていました。

落ちて間もないドングリの実でありましょう。

 

運が良ければ、根を張り、葉が生えるほど、成長することができますけれども

 

 

木自らが生み出す影、木陰。

 

その恩恵を受けるように

 

木の幹に取り囲むように自生する苔(こけ)の存在です。


木の幹に苔が生えているのは、この辺りの水分量が豊富な証拠です。

 

大地の水分量が豊富であることは、

 

陶器制作が盛んな備前エリアで取れる土が良質である証拠でもありましょう。

 

「備前市文化財・・・」

 

と記された石柱と共に

 

忌部(いんべ)神社

 

という、古くからの神社の近くまで来ることができました。

 

どうやら

 

備前焼を無事に焼き上げることができるよう

 

神様をお招きして祀られている社(やしろ)のようです。

 

どうやら2

 

室町時代には、既に、この地で陶器作りがなされていたとのこと。

 

驚きました。

 

忌部神社の南側へ進みますと

 

更に上り階段が見えてきました。

 

備前市伊部エリアを散策しておりまして

 

JR赤穂線伊部駅前から備前焼の登り窯があろう集落を通りながら

 

天保窯を見学し、更に小高い山へと続く道がありましたので歩いてみますと

 

忌部(いんべ)神社に辿り着き、更に南東方向へ伸びる階段の存在がありましたから

 

のぼってみますと

 

備前市伊部エリアの街並みを一望することができました。

 

山の手前に見える

 

四角い建物が数棟並んで見えているところが

 

備前焼ミュージアムや

 

備前信用金庫本店

 

伊部駅が入居する備前焼伝統産業会館

 

が見えます。

 

 

もう一度、レンズを一番引いたポジションで東方面を撮影しますと

 

伊部エリアが盆地の中にあることがよく判ります。

 

再び忌部神社まで戻りまして

 

早速

 

国指定史跡

 

備前陶器窯跡

 

伊部北大窯跡

 

の目の前に居ることを示す説明版と遭遇

この場所が

 

旧くは室町時代から始まる焼き物の「まち」であることを証明する史跡の存在に驚きました。

 

旧西国街道に戻ってきました

 

自動車であれば、狭くてすれ違いにも苦労する道路なのですが

 

徒歩であれば、自分のペースでゆっくりと

 

街道沿いに立ち並ぶ建物をはじめ、様々な「かお」と出会えました。

 

 

歩くこと約1時間

 

丁度お昼時となりましたので

 

本日のランチ「備前カレー」

 

器が備前焼で揃えられていて、見た目も非常に好印象。

 

店主さんが

 

「何種類ものキノコを入れているから

 

免疫力もアップしますよ」

 

と教えてくれた、とても美味しいカレーでした。

 

 

JR赤穂線の伊部駅から車で移動し

 

片上エリアまで遣って来ました。

 

この場所は

 

平成3(1991)年7月をもって廃線となった

 

片上鉄道の片上駅のロータリーが存在した場所です。

 

 

廃線となって、早、30年余り。

 

柵原鉱山が地域経済に及ぼした影響を、改めて、思い知らされます。

 

片上鉄道の沿革

 

 肩身鉄道は、岡山県備前市片上駅を起点に、旧久米郡柵原町柵原駅に至る33.8kmの営業路線を有志、柳原鉱山で算出する硫化鉄鉱の輸送力強化と、東備地域の交通の近代化のため、藤田組(現在のDOWAホールディングス㈱)を中心に、大正8年(1919)年11月に片上鉄道株式会社として創設されました。

 対象12年(1923)年1月の片上~和気間の開業以降、順次北伸し、昭和6年(1931)年2月の柵原駅開設により全線開通に至りました。この間、片上港の荷役施設整備も並行して進められ、硫化鉄鉱の海陸一貫輸送体制が確立されました。

 戦後日本の復興や高度経済成長を支え、鉱石の輸送はもとより地域の重要な足として、大正、昭和、平成にわたり「かたてつ」の愛称で親しまれ、地域間交流に大きな貢献がありました。

 しかしながら柵原鉱山の減産や、モータリゼーションの普及による経営環境の悪化は避けられず、度重なる合理化による経営努力も及ばず、開業以来68年間の営業実績として、旅客数延べ7,650万人、貨物量延べ3,080万トン、延べ全車両走行距離16,600万km(地球4,150周)を残し、平成3年(1991)6月30日に鉄道営業としての役割を終えました。

設置者:備前市

設置年月日:平成28年(2016)6月30日

 

0キロポストや枕木だけでも、よく保存できたものだ、と感心しました。

 

「片上鉄道(かたかみてつどう)は、かつて岡山県備前市の片上駅から久米郡柵原町(現美咲町)の柵原駅までを結んでいた同和鉱業(現:DOWAホールディングス)の鉄道路線である。1991年6月30日まで営業を行っていた。

概要
柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を吉井川の川舟(高瀬舟)に代わって片上港まで輸送する目的で建設され、1923年1月に片上 - 和気間が開業した。次いで8月に和気 - 備前矢田 - 井ノ口(貨)間が開業。1931年2月、井ノ口 - 柵原間が開業し(井ノ口駅は廃止)全線開通した。柵原鉱山からの鉱石輸送のほかに沿線住民の足として旅客営業も行われていた。尾小屋鉄道や三岐鉄道とともに、陸運統制令の枠外として他社への事業統合を免れ、青梅鉄道や群馬鉄山専用線などと違い国鉄買収の対象にもならなかった。

鉱石輸送が主体であったため交換駅の有効長は長く、しかもPC枕木を使用するなど地方鉄道としては高い規格の線路を有していた。一方で、その高規格の線路の上を戦前生まれの旧型気動車が闊歩する姿はユニークでもあった。

(中略)」

 

(出典:ウィキペディア同和鉱業片上鉄道 - Wikipedia

 

 

南の方角へ向かって撮影した様子です。

 

ロータリーの向こう側に片上駅が存在していたのでしょう。

 

現存していれば、築100年超となる駅舎であったでしょうから、惜しいことをなされました。

 

 

「片上駅(かたかみえき)は、かつて岡山県備前市西片上にあった同和鉱業片上鉄道の駅。同鉄道の廃線とともに廃駅となった。

概要
同和鉱業片上鉄道の起点として存在した駅。片上鉄道はもともと、柵原駅近くにある硫化鉄鉱山、柵原鉱山から産出される鉱石を、瀬戸内海に面した片上港へ輸送するために敷設された。そのため貨物駅の色合いが濃く、広い構内の駅には車庫や貨物ヤードが多く存在したものの、旅客ホームはその端に1本あるだけであった。

歴史
1923年(大正12年)1月1日:開業。
当時の所在地表示は岡山県和気郡片上町西片上であった。
1951年(昭和26年)4月1日:備前町(第1次)成立に伴い、所在地表示が岡山県和気郡備前町西片上になる。
1955年(昭和30年)3月31日:備前町(第2次)成立に伴い、所在地表示が岡山県和気郡備前町西片上になる。
1971年(昭和46年)4月1日:備前市(第1次)成立に伴い、所在地表示が岡山県備前市西片上になる。
1991年(平成3年)7月1日:鉄道路線廃止に伴い廃駅となる。

駅構造
片面1面1線のホームと車庫・貨物ヤードを有していた。」

 

(出典:ウィキペディア片上駅 - Wikipedia

 

 

「概要
現況    廃止
起終点    起点:片上駅
終点:柵原駅
駅数    17駅
運営
開業    1923年1月1日
廃止    1991年7月1日
所有者    片上鉄道→藤田興業→同和鉱業
路線諸元
路線総延長    33.8 km (21.0 mi)
軌間    1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径    240 m (790 ft)
電化    全線非電化
最急勾配    28.6 ‰」

 

(出典:ウィキペディア同和鉱業片上鉄道 - Wikipedia

 

 

片上駅を起点としまして

 

清水(しみず)

 

中山(なかやま)

 

和気(わけ)

 

本和気(ほんわけ)

 

益原(ます「ば」ら)

 

天瀬(あませ)駅

 

河本(こうもと)

 

備前矢田(びぜんやた)

 

苦木(にがき)

 

杖谷(つえたに)

 

備前塩田(びぜんしおた)

 

備前福田(びぜんふくだ)

 

周匝(すさい)

 

美作飯岡(みまさかいいおか)

 

吉ヶ原(きちがはら)

 

柵原(やなはら)

 

にて終点となる、全長33.8kmの私鉄でありました。

 

 

旧片上鉄道の片上駅跡周辺の散策をした後

 

次に訪問したのは

 

備前市東片上エリアにあるところの

 

備前市歴史民俗資料館でした。

 

日本全国、各地に歴史資料や地域民族の風習の名残りを保存する資料館がありますから

 

訪問した<まち>のことを、すこうしでも詳しく知るためには

 

このような歴史民俗資料館のような存在は、大変、重要です。

 

均整の良い綺麗な建物です。

 

入口の様子も好印象

 

窓格子のデザインはシンプルですが流行に左右されない安定したカッコよさがありますし

玄関ホールの装飾の一部ともなっている

 

吊り下げ式の電灯は

 

さりげなく、豪華なイメージを抱きました。

 

展示物はウィキ記事にもありますように、多種多様です。

 

 

備前市所有物件については、撮影可能でしたが

 

個人所有物を展示してあったりしましたので

 

撮影には気を遣いました。

 

 

この写真で思い出しました。

 

歴史的建造物ですよ、此処は。

 

資料館として使われる前は

 

裁判所として使わた建物だったようです。

 

 

この資料館は、陶器のまち備前らしい展示物が印象的です。

 

「セラミックス関係 考古資料関係」

 

と記された部屋の中には

 

備前焼を焼き上げるための

 

窯(かま)の様子を再現するためのレプリカが展示されていました。

 

 

 

直木賞受賞作家が、備前の地から複数名、輩出していたことにも、今更ながら驚きました。

 

正宗白鳥(出典:ウィキペディア正宗白鳥 - Wikipedia

 

正宗敦夫(出典:ウィキペディア正宗敦夫 - Wikipedia

 

柴田 錬三郎(出典:ウィキペディア柴田錬三郎 - Wikipedia

 

藤原 審爾(出典:ウィキペディア藤原審爾 - Wikipedia

 

明治、大正、昭和の文豪と繋がり

 

そして、平成、令和へと繋がるミライの文豪へも影響を及ぼした<ひと>たち。

 

これは、ひょっとして必然だったのかもしれません。

 

 

 
 

 

 

 

   所長 楊田芳樹

 

 

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20191103鶴山公園を訪問した思い出1 2021-07-09 07:00:00

 

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湯郷温泉てつどう模型館&レトロおもちゃ館1 2020-10-19 07:00:00