いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。
エコノミライ研究所では
クルマの歴史
へのクローズアップに対しても注力していますので、
従来型内燃機関エンジン推進車両
への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。
ROCHDALE_GT_1957
PORSCHE_356A_CONVERTIBLE_D_1959
PORSCHE_356_SPEEDSTER_1956
TRIUMPH_SPITFIRE_4_MK1_1963
TRIUMPH_TR2_1954
そこで
エコノミライ研究所では
兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の
ベッキオバンビーノ
の紹介をさせて戴いています。
ベッキオバンビーノ2022年春バージョンのコースは、
岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に
赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して
院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、
新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、
180号線にて高梁市エリアを南下して
賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、
倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り
1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール
という内容でした。
(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「開催趣旨
大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。
岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」
(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)
また、一夜明けた
大会2日目のコースは
宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り
鷲羽山ハイランドから
倉敷美観地区まで移動
玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて
岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から
「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと
笠岡市街地を抜けて北上
宿場町として有名な矢掛町へ向かい
完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と
矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして
一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る
という行程でありました。
先回シリーズと同様
参加車両の1台ごとに撮影成功していた車両とゼッケン番号を照合して紹介する予定です。
(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「自動車王国岡山」
と呼ばれるに相応しいイベントである
ベッキオバンビーノの模様を一人でも多くの<ひと>に知って頂くため、
地域住民の一人として、できることを実践していく所存です。
今回紹介するのは
ゼッケン番号 24 ROCHDALE_GT_1957 であります。
初めて見かけた珍しいクルマでした。
英語ウィキ記事がありました。
(出典:ウィキペディアロッチデール(車)-ウィキペディア (wikipedia.org))
ロッチデール車は、1948年から1973年の間にイギリスのグレーターマンチェスターのロッチデールにあるロッチデールモーターパネルアンドエンジニアリングによって製造された、主にグラスファイバーボディの英国のスポーツカーのシリーズでした。同社は、1959年から1973年の間に製造されたオリンピッククーペで最もよく記憶されています。
歴史
ロッチデール社は、1948年にフランクバターワースとハリースミスによって、ロッチデールのハドソンストリートにある古い工場の建物に設立されました。彼らは一般的なモーター修理を行い、オースチン7や他の車をレースするために、通常はシングルシーターの合金ボディを作りました。彼らはボディをMkIIとして販売し続けました。
ロッチデール Mk IV
1954年、ロッチデールは、ベアシェルとして供給されたグラスファイバーの81ドア7シーターボディを使用して、マークIVを発売しました。主にオースチン108シャーシを対象とした47インチから最大10インチまでのいくつかのホイールベースで提供されました。適切なシャーシに加えて、購入者/ビルダーは、機械部品を見つけるためにすべての内部フィッティングとブラケットを提供する必要がありました。ボディの価格は47ポンド50シリング(1961.150ポンド)で、1年まで利用可能でした。約<>個が作られました。
ロッチデールST
1955年には、フォード10またはフォードポピュラーシャーシに適合するように設計された、より完全なSTキットが導入されました。ドアとボンネットは準備ができており、すべての隔壁が含まれていました。オープンボディは剛性が十分でなかったため、1959年にGTに置き換えられるまで数台しか製造されなかった。
ロッチデールGT
1957年、同社は以前のSTモデルに取って代わり、最終的にベストセラーのロッチデールとなったロッチデールGTを発表しました。
GTはフォードポピュラー用に設計され、ロッチデールFタイプのレーシングボディに基づいていましたが、オープンSTと比較してシャーシのねじり剛性(フレックス)を高めるためにルーフが追加されました。GTは設備が整っており、ドア、ボンネット、湾曲したフロントガラスが装備されていました。1960年から、車はロッチデール独自のシャーシで利用可能になりました。約1350が作られました。
ロッチデール・リビエラ
1959年のリビエラはGTのコンバーチブルバージョンで、140人乗りと50人乗りのバージョンがあり、オプションのハードトップが付いています。それは£1961の費用がかかりました。1年に火事で会社の敷地が破壊されるまでに約<>が作られ、リトルデール通りの近くのリトルデールミルに移転することを余儀なくされました。
ロッチデールオリンピック
ブレークスルーは1959年にリチャードパーカーによって設計されたモノコックオリンピックと、生産に入った4番目のグラスファイバーモノコックボディカー(バークレーとロータスエリートに次ぐ)で起こりました。これは、2 + 2席を備えたクローズドクーペスタイルのボディシェルを特徴としていましたが、後部座席は非常に窮屈で、多くのビルダーがそれらを除外しました。当時の多くのスポーツカーや低生産車とは異なり、ウィンドダウンウィンドウが設置されました。
長い冬が終わりを告げ
春一番の使者のごとく
全国から参集したヒストリックカーの祭典
毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつ
楽しみながら記事を書き進めています。
ゼッケンナンバー
に従って、一台、一台、紹介をしています。
次回も、どうぞお楽しみに!
所長 楊田芳樹
前のシリーズ
20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00
前のシリーズ
NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00
前のシリーズ
2021春ベッキオバンビーノ参加車両01_No02MG_PA_RACER(1934) 2021-11-03 07:00:00
2022春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
ROCHDALE_GT_1957
PORSCHE_356A_CONVERTIBLE_D_1959
PORSCHE_356_SPEEDSTER_1956
TRIUMPH_SPITFIRE_4_MK1_1963
TRIUMPH_TR2_1954
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MKⅡ_1961
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MK-1_1960
MERCEDES_BENZ_190SL_1962
MG-A_1958
MG-A_1955
MG-A_1955
AUSTIN_HEALEY_1960
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_3000_MK1_1959
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_100_BN/1_1954
ARNORT_BRISTOL_1954
MG-TD_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET_A_1950
02ERMINI_GILCO_1100GP_1948
SIMCA8_SPORT_BARQUETTE1938
2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
TOYOTA_SPORTS_800_1969
ポルシェ・911(初代)901型(推定)
FORD_MUSTANG_289GT_FASTBACK_1966
DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967
CATERHAM_SEVEN_1973
FIAT_X_1/9_1980
PORSCHE_930_TURBO_1977
VOLKS_WAGEN_TYPE_II_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958
MERCEDES_BENZ_W115_240D_1975
MERCEDES_BENZ_280SL_1969
LANCIA_STRATOS_1974
AlfaRomeo_SPIDER_2000VELOCE_1973
ALPINE_A110_1300VC_1972
FERRARI_365_GTC/4_1972
FIAT_ABARTH_131_RALLY_1976
FIAT_DINO_SPIDER_2400_1970
FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967
FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963
JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969
JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962
PORSCHE_912_1969
PORSCHE_356B_ROADSTER_1960
LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952
LOTUS_SEVEN_SR.1_1957
AUSTIN_HEALEY_100/6_1959
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956
AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954
MG-A_1958
MG-A_1957
MG-A_1955
MG-TC_1949
MERCEDES_BENZ_190SL_1957
JAGUAR_XK120_OTS_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950
ERMINI GILCO 1100GP 1948
SIMCA8 SPORT BARQUETTE 1938
MG PA RACER 1934
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
日々是精進
日々是修養
といった心境です。