令和2(2020)年7月備前エリアを訪問した思い出15岡山国際サーキット内で楽しむ1 | エコノミライ研究所のブログ

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エコノミライ研究所と隣接する個人・団体・法人紹介

 

並びに名勝・史跡紹介

 

をさせて戴いています。

 

 

先回より、ご紹介しているのは

 

岡山県南部の最東端、備前エリアを訪問した際のレポートです。

 

令和2(2020)年7月下旬の比較的早めの朝の時分に出発しました。

 

最初の訪問地は

 

JR赤穂線の伊部駅前の

 

EV用急速充電器が存在する場所でした。

 

令和2(2020)年7月23日の午前8時

 

エコノミライ研究所本部がある倉敷市から此処までの距離は、60km超

 

我がGミーヴの電池残量も、半分を下回りましたので

 

JR伊部駅前駐車場にあるEV用急速充電器にて

 

三菱自動車が誇る世界初の量産型EVであるアイミーヴを充電しました。

 

備前焼伝統産業会館という、

 

JR赤穂線の伊部(いんべ)駅と一体化した建物の近くにある充電器でした。

 

午前8時40分頃、「西国街道」を東向きに進んで町並みの景色を堪能して再び国道2号線に入って、東進し、

 

閑谷学校(しずたにがっこう)入口交差点を左折

 

次の目的地、池田光政公によって開設された歴史を持つ、旧閑谷学校を訪問しました。

 

次の目的地である

 

日本遺産にも指定されている閑谷学校に遣って来ました。

 

今から約300年余り前に造られた閑谷学校と

 

今から約10年前に創られた三菱自動車のi-MiEVです。

重要文化財【国宝】

講堂(こうどう)

 

をはじめ、非常に貴重な建造物が多く現存しています。

 

赤みがかった屋根瓦と漆喰の白、木の柱、そして石造りの基礎との調和が素晴らしい建物が多いです。

 

(参考:ウィキペディア「閑谷学校」閑谷学校 - Wikipedia
 

閑谷瓦も制作から300年以上も経過しているにも関わらず


良好な状態で建物に降り注ぐ雨風を凌いでいます。

 

入場料は、大人400円、小中学生100円、65歳以上200円です。

(令和5年現在)

 

団体割引もありますので、詳しくは公式HPでご確認下さい。

時刻は午前10時40分頃。

 

次の日も休日ですから、まだまだ、ドライブ続行は可能だったので

 

岡山県道261号「穂浪吉永停車場線」と呼ばれる県道を北上し

(参考:ウィキペディア岡山県道261号穂浪吉永停車場線 - Wikipedia

 

JR山陽本線の吉永駅の西側にある踏切を渡り

 

岡山県道368号「吉永徳久線」を北上

 

(参考:ウィキペディア岡山県道・兵庫県道368号吉永下徳久線 - Wikipedia

 

午前11時頃

 

「八塔寺川ダム公園」に立ち寄り、散策しました。

 

「八塔寺川ダムは、昭和54年度から建設事業に着手し、11年の歳月と約122億円の費用を投じて平成元年に竣工しました。」

(出典:岡山県HP八塔寺川ダム建設の背景 - 岡山県ホームページ(八塔寺川ダム管理事務所) (pref.okayama.jp)

 

続いて

 

岡山県道369号線を引き続き、北上し

 

岡山県道90号線に繋がる三差路へと差し掛かり

 

「八塔寺ふるさと村」へ向いました。

 

午前11時半頃

 

施設建物と思しき施設まで遣って気ましたが、

 

COVID-19の影響により、営業らしき雰囲気は無く

 

もうすこうし先へ進んで

 

正真正銘「八塔寺」

 

という御寺の地図記号がしるされた場所が近くにあるようでしたので先へと進み

 

大層立派な寺院らしき建造物があるので、

 

折角、此処まで遣って来たので立ち寄りました。

 

 

 

写真右から我がGミーヴ、天台宗八塔寺、そして真言宗髙顯寺(こうけんじ)が見えます。

 

後鳥羽上皇の宿泊地の一つでもあったこの場所は、

 

嘗ては、八塔寺と高顕寺との間に、八塔寺の十三重塔が建立されていたそうです。

 

現在では、ロケ地としても活用されています。

 

「八塔寺ふるさと村(はっとうじふるさとむら)は岡山県備前市吉永町加賀美にある岡山県指定ふるさと村の名称。

標高約400メートルの台地に現在も茅葺き屋根の民家や段々畑が残り、日本古来の農村の景観を今に伝えている。」

(出典:ウィキペディア「八塔寺ふるさと村」八塔寺ふるさと村 - Wikipedia

 

令和2(2020)年7月23日の午前11時半過ぎ

 

次の訪問地へ向かうため、また、来た道を戻り、岡山県道90号線に戻り

 

距離にして約10km強、更に北方向へ進みまして

 

 

岡山県道46号和気笹目作東線(わけささめさくとうせん)の区間に入りまして、

 

次の訪問地である

 

旧TIサーキット英田ならぬ

 

岡山国際サーキットまで到達することができました。

 

人口約2.5マン人の温泉町、美作市の東端に位置するこの場所に

 

次の訪問地があります。

 

 

 

 

令和2(2020)年7月23日の午前11時45分頃

 

岡山国際サーキットに到着です。

 

この日は、レースは開催されていないようでしたから、閑散としており、

 

入口ゲートは1箇所のみでありあました。

 

入場するにも、お金が必要ですが

 

一人千円だそうです。

 

滅多に訪問する場所ではありませんので、

 

折角の機会でしたから、入ることにしました。

目の前に場内のガイドマップが見えましたので、

 

とりあえず、近づいて見ます。

 

 

人気(ひとけ)がないのは、却って、好都合。

 

場内の雰囲気や、コース、駐車場などの配置をチェックする絶好の機会ですし

 

入口ゲートで施設係員の方に

 

”食事をすることができますか?”とお尋ねしましたところ

 

「できますよ」とのことでしたので、

 

ここ岡山国際サーキット内で昼食を摂るつもりでもあり

 

そして何より、最もお楽しみの撮影タイムを堪能するため

 

暫くの間、場内散策を長めに採ることと致しました。

 

実際に行動した順番が多少、前後しますが

 

今回は、入場料を払った場所から向かって左方向へと延びる道路沿いを進んでみた

 

場内の様子をレポートすることと致します。

 

時折、ウィキ記事を織り交ぜることで、このサーキットの歴史にも触れてみましょう。

 

入場口に入るまでも、結構、登り坂であったところ

 

更に登ろうとしている様子です。

 

「岡山国際サーキット(おかやまこくさいサーキット、Okayama International Circuit)は、岡山県美作市にあるFIA国際公認サーキット。旧称はTIサーキット英田(ティーアイサーキットあいだ)(通称「英田サーキット」)。

歴史
会員制
ゴルフ場の開発、経営などを手掛ける田中肇率いる「タナカインターナショナル株式会社」により、1980年代後半のバブル景気を受けたモータースポーツブームを背景に建設が進められ、1990年11月18日に「TIサーキット英田」としてオープンした。

F1開催を目的に建設され、また、バブル景気に沸く当時の世相を反映して、1,500万円の入会金が必要な「会員制サーキット」というユニークな仕組みを導入したことで話題となった。なお、会員はサーキットが所有するティレルの1987年モデルのF1マシンをドライブする権利を与えられたほか、一般参加者が使用できないシャワールームやラウンジを使用することが可能であり、さらにサーキットで開催された全日本選手権格式のレースを特別席やパドックで観戦できた。

サーキットでのテスト走行を目的にした国内の多くの自動車メーカーが会員になった。また、カーグラフィックなどの自動車雑誌に多数の広告を出稿し告知に努めた結果、バブル景気に伴うモータースポーツブームを反映して、個人で会員になる者も多かった。」

 

(出典:ウィキペディア「岡山国際サーキット」岡山国際サーキット - Wikipedia

 

実は、この場所への訪問は初めてでなく、

 

先回訪問したのは確か、2011年の緑化イベントの際に

 

このサーキットもEVレースやエコカー試乗体験ができるイベントが開催され、

 

無料入場ができた時に訪問していまして

 

 

恐らくは、一度は、この道路を走行していたハズです。

 

 

見えてきましたのは

 

メインスタンドです。

 

「F1開催
サーキットのオープン直後にバブル景気の崩壊に見舞われたものの、田中が建設当初から計画した通りに、1994年と1995年に、F1「パシフィックグランプリ」が開催された。

1994年のレースには片山右京や鈴木亜久里などの日本人ドライバーが参戦した。また、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが次戦の1994年サンマリノGPで事故死したため、セナとラッツェンバーガーにとっては日本での最後のレースとなった。

周囲の交通アクセスの問題は、シャトルバスを大量動員することで解決された。当時はまだ周辺道路が狭く、F1開催に合わせて岡山県の協力による道路拡張が行われたが、1994年の開催には完全には間に合わなかった。サーキットの宿泊施設は収容人数が少なく、大部分の関係者は湯郷温泉にある和風の旅館に宿泊した。

1995年のレースは、4月に開催(第2戦)される予定であったが、1月に発生した阪神・淡路大震災の影響から開催が危ぶまれた。しかし、10月に延期され、鈴鹿で行われる日本グランプリの前の週に第15戦として開催された。これが当サーキットでの最後のF1開催となった。」

 

(出典:ウィキペディア「岡山国際サーキット」岡山国際サーキット - Wikipedia

向かって左側は、ミニコースで

 

向かって右側が、メインコースのホームストレートを一望できるメインスタンドです。

 

 

自動車レースを実施するサーキットを訪問することなど、滅多に無いものですから

 

他のサーキットのコースレイアウトや来客用駐車場の場所などの地理感は皆無ですが

 

 

コース全長が約3.7kmと短めで、しかも、コース幅もそれほど広くはありませんから

 

追い抜きには難儀するサーキットなのかなぁ、と想像します。

 

「幻のITC
F1を2回開催したものの、鈴鹿との連戦や地震による風評などから1995年は特に観客動員が低迷し、翌年にはF1カレンダーから脱落してしまう。代替レースとしてFIAは、国際ツーリングカー選手権(ITC)第8ラウンド(第15・16戦)を1996年8月4日に開催するとしていた。

チケット販売の不振や金融機関からの融資が不調に終わったことから、直前の6月27日に開催中止が発表された(結局この代替ラウンドは11月10日に鈴鹿で開催された。ちなみに、このレースがITCの最終レースになった)。またこれによって、主催者やサーキット側はFIAのみならず、当時参戦していた各チーム等多方面からの厳しい批判を浴びる事となった。」

 

(出典:ウィキペディア「岡山国際サーキット」岡山国際サーキット - Wikipedia

ウィキ記事にもありますとおり、

 

この場所では、嘗て、2回もF1が開催されたことを知る<ひと>も、随分と減ったことかもしれませんけれど

 

岡山の地で、モータースポーツ最高峰のレースが開催されたことは

 

世界に誇るべき事実です。

 

筆者楊田に、もっと気概があれば、実際にレース観戦も可能だったかもしれませんが

 

「いろいろ」な意味で、実現不可能な状況でした。

 

思い出しました。

 

「セナとラッツェンバーガーにとっては日本での最後のレースとなった」年のことを。

 

そして思い出しました。

 

1994年春に開催されたパシフィックGPの約半年後

 

阪神淡路大震災が発生したことを。

 

我がニッポンは、度重なる地震、風水害などで様々な困難に直面しましたけれども

 

心ある多くの<ひと>の努力により、克服してきた歴史を有しています。

 

ですから、奇特な方のお蔭で、このように岡山県内の人里離れたこの地に

 

改造車レースの最高峰だと思うSuperGT

 

世界に羽ばたくレーサーの登竜門の一つに数えられるフォーミュラニッポン

 

そして国内2輪レース最高峰、全日本ロードレース選手権

 

のレースが開催されていることに、感銘を受ける次第です。

 

 

 

 

 

 

そうこう(走行)謂うておりますうち

 

メインスタンドを越しまして

 

ホームストレート端の

 

第1コーナー付近まで遣って来ました。

 

向かって正面に

 

1コーナー向かいにある

 

観戦用スタンドが近づいてきました。

 

1コーナーでレース観戦する醍醐味は

 

メインストレートでの高速通過を右から左に振り向かずとも

 

最終コーナーを立ち上がりフル加速したクルマが

 

手前に迫ってくる、ド迫力を「体感」することができることでありましょう。

 

来客用駐車場は

 

このような場所も通過しなければ到達できないワケでありまして

 

或る意味、危険と隣り合わせとなる施設配置であることを

 

今更ながら実感した次第です。

 

「民事再生法適用
その後もサーキットとしての運営が続いたが、2003年3月、サーキットを経営する「ティーアイサーキット株式会社」の親会社「タナカインターナショナル株式会社」が、経営不振のため民事再生法の適用を申請[1]。その後、整理回収機構が同社に対して会社更生法の適用を申請した。

ティーアイサーキット株式会社に対しては、コーヒー・給茶機サービス等を手がけるユニマットホールディング(以前、F1に参戦していたアロウズのスポンサーをしていた)が支援を表明。2004年4月30日には会社更生法に基づく更生計画の認可を受け、同年10月31日には会社更生手続きが完了、正式にユニマットグループ傘下となった。

タナカインターナショナルの倒産と、ユニマットグループ入りに伴い、2004年5月1日に運営会社が「株式会社岡山国際サーキット」に商号変更。2005年1月1日には、サーキット名も「岡山国際サーキット」に変更された。その後、同年4月1日に施行された平成の大合併により所在地が英田町から美作市となる。」

 

(出典:ウィキペディア「岡山国際サーキット」岡山国際サーキット - Wikipedia

駐車場へと続く道は

 

ここで左方向へと折れ曲がるようです。

 

遠くには、裏ストレートが見えます。

ウィキ記事にもありますように

 

ITサーキット英田は、残念ながら破産してしまい

 

ユニマットHD様など様々なご支援を受けながら

 

岡山国際サーキットとして存続

 

後でも紹介しますように、

 

現在は愛知県刈谷市にあるアスカ様の一員となっているようです。

 

 

 

元々は、森だった場所だと想像しますが

 

よくぞ、ここまで魔改造して

 

サーキット場設備を建設したものだ

 

と感心しました。

 

またまた、坂を登らなければならないようです。

 

上の方では

 

ガードレールが一直線に伸びていますから

 

いよいよ

 

駐車場が近づいてきたのでしょう。

 

「WTCC開催
2008年から2010年にかけて、世界ツーリングカー選手権(WTCC)の日本ラウンドを、WTCCにワンメイクタイヤを供給する横浜ゴム(ADVAN)の協力の下で開催した。

元々ユーロスポーツによるテレビ中継用にレースがパッケージ化されているWTCCだが、日本ラウンドではサーキット側からの提案で、SUPER GTのように決勝レース終了後のマシンをグランドスタンド前(ホームストレート)に並べるなど独自の演出を行った。

アスカによる買収
2012年3月12日、自動車部品・配電盤などの生産を行なうアスカが同年3月28日付でユニマットホールディングが持つ「株式会社岡山国際サーキット」の全株式を取得すると発表。なおサーキットの運営方針については「基本的に今までと何も変わらない」との意向を表明している。」

 

(出典:ウィキペディア「岡山国際サーキット」岡山国際サーキット - Wikipedia

平成24(2012)年より、オーナー様が新しくなっても

 

「サーキットの運営方針については「基本的に今までと何も変わらない」との意向を表明して」下さっていることに

 

ただただ、感謝するしかありません。

いろいろな<ひと>の力を結集しなければ、

 

筆者楊田も、こうやって気軽にドライブでこの地を訪問することができたワケですから。

そうこう(走行)2言うておりましたら

 

なにやら、雰囲気が怪しい。。。

「通常営業日は車両でのご入場はできません。」

 

この日

 

これ以上は通行できないことが分かりました。

止むを得ませんので

 

引き換えすことと致しました。

楊田家のGミーヴを除いては、このとき、数台しか車両が通過していなかったのが不幸中の幸い。

なんとか、180度転回して

 

登ってきた坂を降り始めました。

遠くには、メインスタンドと向かい合わせに立ち並ぶ

 

パドック施設と、クラブハウスが見えています。

 

 

 

 

半年ぶりに実施したアイミーヴ「Gミーヴ」号での日帰りドライブの様子を紹介しています。

 

いつものように

 

訪問した先では、ドライブ担当車、我がGミーヴの雄姿をご覧に入れますので

 

どうぞご贔屓に宜しくお願いします。

 

 

 

   所長 楊田芳樹

 

 

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湯郷温泉てつどう模型館&レトロおもちゃ館1 2020-10-19 07:00:00