大日本帝国の艦船_1黎明期0050筑波(つくば)Ⅰ | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
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1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。

 

1945年8月14日をもって無力化された

 

とはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれることになりそうな現代「日本国」にとっても、参考となる「歴史の勉強」である、と確信いたします。

 

「ミライ」

 

への投資が、<いま>を生きる<ひと>にとって、どのような意味があるのかについて、考える切欠ともなる

 

思索の旅

 

幕末戊辰戦争前後から脈々と受け継がれてきた、「日の本」の海軍戦力に欠かせない、水上艦船についての紹介シリーズであります。

 

今回紹介するフネは、新政府が大英帝国コルベット「マラッカ」を購入し、30年以上もの長きに亘り運用した

 

筑波(つくば)[I]

 

についてです。

 
筑波(つくば)は、日本海軍の軍艦、木造コルベット。元イギリス海軍所属の「HMS マラッカ」(HMS Malacca)で、兵部省が購入。 艦名は茨城県の筑波山にちなんで名づけられた。

概要
マラッカ は、 英領ビルマの警備のため建造された、スクリュー付き機帆走木造スループである。1851年に英領マラッカ・ムラルメン(モーラミャイン)で、 あるいはボンベイで建造された。 1862年にコルベットとして機関を換装し、1869年に売却された。1871年(明治4年)に日本海軍がイギリス人から購入し、「筑波」と改名された。 1887年(明治20年)までの正式名は「筑波艦」である。

海軍兵学寮(のち海軍兵学校)の練習艦となり、1875年(明治8年)11月にはサンフランシスコまで航海するなど、遠洋練習航海のさきがけとなった。他に測量任務にも従事した。

艦型
機関
マラッカは世界で最初に円缶を搭載した軍艦として有名である。 機関はロンドンで製造された。 日本海軍が購入した時には方形煙管缶(角缶) 2基を搭載していた。 また1876年に高円缶4基と換装した。

帆走の場合にはスクリューを水上に跳ね上げていた。

艦歴
明治4年
明治4年7月21日(1871年9月5日)、イギリス人バーテス氏から購入した。 『帝国海軍機関史』によると、明治4年9月9日(1871年10月22日)、横浜でイギリス領事から購入した。 12月17日(1872年1月26日)、筑波は任務を常備艦から兵学寮稽古艦とした。

明治5年
明治5年5月10日(1872年6月15日)、筑波は西海巡幸の警護艦を命ぜられ、 5月18日(1872年6月23日)筑波の航海中は艦隊編入とされた。 5月23日(1872年6月28日)、筑波は龍驤(御召艦)と共に品川を出港した 7月9日(1872年8月12日)、筑波は品川に帰着、 7月20日(1872年8月23日)、艦隊から除かれ、 兵学寮所轄となった。

10月18日(1872年11月18日)、筑波は艦隊に編入された。 10月27日(1872年11月27日)、筑波は艦隊から除かれ、 兵学寮所轄となった。

1873年
1873年(明治6年) 2月28日、全権大使を乗せて清に派遣される龍驤との同行が筑波に命じられ、龍驤と共に3月10日品川を出港した。 7月20日、清に派遣されていた龍驤と筑波が品川に帰着した なお3月2日、筑波は清への航海中は艦隊編入となった。 6月30日時点で中艦隊は雲揚、日進、春日、龍驤、東、鳳翔、筑波の7隻編制だった。

11月5日、筑波は北海道海路研究のために回航を命じられ、11月13日品川を出港した。 1874年(明治7年)1月6日、筑波は北海道から品川に帰着した。

1874年
1874年(明治7年) 4月27日、艦隊を除かれ、 練習艦として兵学寮所轄となった。

10月19日川村純義大輔らは九州出張を命じられ、筑波に乗艦した 11月6日(または11月5日)、筑波は艦隊に編入された。

練習艦
1875年(明治8年) 1月8日、筑波は艦隊から除かれた。 または1月4日、艦隊から除かれ練習艦に指定、兵学寮所轄となった。 『海軍省報告書』によると8月13日に常備艦から練習艦に指定され、兵学校所轄となった。

北米航海
10月22日、筑波にサンフランシスコ方面の練習航海が命令され、 11月6日、サンフランシスコに向けて品川を出港した。 1876年(明治9年) 3月14日、筑波は横浜港に帰港した。

1877年 - 1878年
西南戦争
1877年(明治10年) 2月19日、筑波は当分東海鎮守府所轄の常備艦とされ、 2月23日、横浜港を出港した。 8月12日午後1時30分、筑波は九州から横浜港に帰港した 8月13日、筑波は東海鎮守府所轄から兵学校所轄練習艦に変更された。 9月10日、筑波に朝鮮への回航が命令されたが20日中止となり、高雄丸が代わりに回航となった。 その後筑波は修理を行った。

遠洋航海
11月30日、筑波は遠洋航海でオーストラリア・シドニーまでの航海を命令され、 1878年(明治11年) 1月17日(午後3時)、筑波は横浜港を出港した。 3月9日オーストラリア・ブリスベン着、3月19日同地発。 3月25日同国シドニー着、4月27日同地発。 6月13日午後0時35分、筑波は品川に帰着した。 6月15日、筑波乗員に3週間の休暇が与えられた。

8月31日横須賀に回航した。 12月30日横須賀発、羽田沖で1泊し31日品川湾に到着した。

1879年
シンガポール回航
1879年(明治12年) 品川湾では発着訓練などを行った。 1月20日兵学校所轄の筑波を航海練習艦とした。 3月3日午前8時に品川を出港、風と潮流の関係で同日は富津沖に碇泊し、翌4日は機械運転で横須賀に回航した。 3月5日午前6時15分、機械運転で改めて横須賀を出港し、9時15分から帆走に移ってシンガポールを目指した。 シンガポールに3月27日着、4月3日発。 マラッカに4月4日着、4月7日発。 ペナンに4月9日着、4月14日発。 シンガポールに4月17日着、4月21日発。 香港に5月9日着、5月20日発。 厦門に5月22日着、5月26日発。 鹿児島に6月8日帰国した。 同地を6月17日出港し三原、兵庫港に一時碇泊、6月23日品川に帰着した。

修理
7月26日、羽田沖で小蒸気艇が沈没したために筑波は品川から回航した。 7月29日、機関の修理のために横須賀に回航、 8月1日から8月22日まで横須賀造船所に修理を行い、 8月23日品川に帰着した。

国内巡航
9月26日品川を出港、室蘭、函館、平戸青島、長崎、鹿児島と巡り、11月23日品川に帰着した。 12月1日、シンガポールから帰国した乗員に3週間の休暇が与えられることになり、同日から半舷ずつで休暇を取った。

1880年
アメリカ西海岸航海
1880年(明治13年) 1月6日横須賀に回航した。 2月26日、兵学校所轄の筑波のアメリカ西海岸航海が裁可された。 4月21日品川に回航、 4月29日品川を出港、北米に向かった。 6月9日アメリカ・萬古福ローヤル湾に到着、翌10日にイスクイマルト港に入港した。 7月1日出港、7月6日サンフランシスコに入港した。 7月30日同地を出港、8月29日ホノルル入港、8月25日同地出港、9月29日午後0時30分横浜港に帰港した。 10月7日羽田沖に回航、帆走訓練、射撃訓練を行い10月8日品川に到着した。

1881年
修理
1881年(明治14年) 1月29日品川から横須賀港に回航、 3月17日から横須賀造船所で修理を行った。

10月14日機関学校生徒の実地演習のために18名が筑波乗組を命じられた(12月20日まで)。 11月1日、筑波は横須賀港から品川湾に回航した。 艦の試運転のために11月21日(または11月20日)金田湾へ回航、翌22日同地を出港し、総帆で佐田岬を目指した。 翌23日漂流している和船を発見し9名を救助、24日下田港に入港した。 25日同地を出港、28日兵庫港に入港した。 なお11月30日で筑波の修理完成としている。 12月1日粟島に回航、5日同地を出港、7日鹿児島港に入港した。 12月12日鹿児島を出港、 20日品川湾に到着した。

1882年
1882年(明治15年) 1月6日から2月10日まで横須賀造船所で修理を行った。

オーストラリア方面航海
1月26日、航海演習のために筑波にニュージーランド航海が令達され、 3月4日品川を出港し、オーストラリアを目指した。 3月18日香港に入港し、26日出港。 4月7日シンガポール海峡に到着し、翌8日にシンガポール港に入港した。 4月13日同地を出港しバタビアへ回航した。 4月25日バタビアを出港し、6月6日メルボルンに到着した。 7月6日メルボルン出港。 7月9日ホバート港に入港、8月3日同地発 8月18日オークランド港に入港、8月26日同港発 10月5日品海に帰国した

10月12日筑波(兵学校所轄)は中艦隊司令官指揮下に置かれた。

修理
12月8日から横須賀造船所で修理を行い、 1883年(明治16年)1月31日に修理が完了した。

1883年
演習航海
1883年(明治16年) 1月19日、機関学校生徒10名が実地演習のために筑波に乗組。 2月26日品川を出港、3月2日小笠原に到着した。 3月7日小笠原発、13日那覇に到着。 3月19日那覇発、23日鹿児島に到着。 3月28日鹿児島発、30日長崎港に到着。 4月6日長崎発、9日萩小畑に到着。 4月17日敦賀に回航。 4月29日敦賀発、5月2日函館港に到着。 5月8日函館発、9日山田に寄港し、同日釜石に到着。 5月19日釜石発、22日品川に帰着、 機関学校生徒10名が退艦した。

演習航海
9月13日、筑波は中艦隊から除かれ、東海鎮守府所轄の航海練習艦とされた。 10月18日海軍兵学校の生徒27名が航海演習ため筑波乗艦 生徒演習と自差修正のために11月17日品川を出港して館山湾に回航、20日館山湾から品川に帰着した。 12月18日筑波にハワイ行きが令達された。

この翌明治17年(1884年)2月3日から11月16日までのハワイ航海演習に関しては、「龍驤」の項目に少し記載がある。

1887年
1887年(明治20年) 7月2日、右舷ボイラーの改造工事が完成し、この日に試運転を行った。

日清戦争
日清戦争時には艦歴40年以上であったので、実戦には投入されず軍港警備に従事した。

その後
1898年(明治31年)3月21日に艦船類別等級が制定され、 筑波は三等海防艦に類別された。 日露戦争に従軍。 1905年(明治38年)6月10日除籍、 翌年に売却された。

艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

(艦長代)相浦紀道 大尉:明治4年9月25日(1871年10月28日) - 1872年3月3日
本山漸 中佐(兼兵学中教授):明治5年5月19日(1872年6月24日) - 明治5年8月13日(1872年9月15日)
伊藤雋吉 中佐: 明治5年8月12日(1872年9月14日) - 1874年6月12日
(兼)伊藤雋吉 中佐:1874年6月12日 - 1876年9月12日
本山漸 中佐:1876年9月12日 - 1877年2月20日(または19日)
松村淳蔵 大佐:1877年2月20日(または19日) - 1877年8月23日
本山漸 中佐:1877年8月23日 - 1877年11月1日
松村淳蔵 大佐:1877年11月1日 - 1879年8月19日
相浦紀道 中佐:1879年8月19日 - 1881年6月17日
伊東祐亨 中佐:1881年7月7日 - 1881年12月27日
有地品之允 大佐:1882年12月23日 - 1884年12月17日
(心得)新井有貫 少佐:1884年12月17日 - 1885年6月22日
福島敬典 大佐:1885年10月23日 - 1886年1月6日(生徒練習航海中)
福島敬典 大佐:1886年1月6日 - 1886年12月28日
野村貞 大佐:1887年4月25日 - 1889年1月24日
柴山矢八 大佐:1889年5月15日 - 1891年2月6日
黒岡帯刀 大佐:1891年2月6日 - 1891年11月20日
黒岡帯刀 大佐:1892年8月6日 - 1895年12月27日
細谷資氏 大佐:1895年12月27日 - 1896年4月1日
石井猪太郎 大佐:1896年4月1日 - 5月19日
柏原長繁 大佐:1897年2月18日 - 1898年3月1日
友野雄介 中佐:1898年3月1日 - 10月1日
加藤重成 大佐:1898年10月1日 - 1899年6月3日
高桑勇 中佐:1899年6月3日 - 1899年7月25日
(兼)宮岡直記 中佐:1899年9月19日 - 1900年11月6日
(兼)今井兼昌 大佐:1900年11月6日 - 1902年6月28日
松居銓太郎 中佐:1902年6月28日 - 10月23日
黒水公三郎 中佐:1903年4月20日 - 5月14日
中川重光 中佐:1903年5月14日 - 6月22日
 
<基本情報>
建造所    (モーラミャイン、またはボンベイ)
運用者     大日本帝国海軍
艦種    コルベット
艦歴
起工    1851年
進水    1853年4月9日
竣工    1854年
就役    1871年購入
除籍    1905年6月10日
その後    売却
要目
排水量    1,033.9英トン
または1,978英トン
常備排水量    1,947英トン
トン数    960.38トン
長さ    182尺(約55.2m) 余り
全長    198 ft 0 in (60.35 m)
水線長    192 ft 6 in (58.67 m)
垂線間長    192 ft 8 in (58.72 m)
幅    34 ft 9 in (10.59 m)
または35尺3(約10.70m)
あるいは35尺5寸(約10.76m)
深さ    24尺5(約7.42m)
吃水    18 ft 0 in (5.49 m)
または17尺(約5.15m)
あるいは前部:15尺5寸(約4.70m)、後部:18尺(約5.46m)
ボイラー    方形煙管缶(角缶) 2基
1876年:高円缶 4基
主機    2気筒 直動横置機関 1基
推進    2翼 スクリュー x 72rpm
直径:11 ft 6 in (3.51 m)
ピッチ:14 ft 6 in (4.42 m)
出力    526ihp
推算:200馬力
350実馬力
1892年時:480実馬力
帆装    3檣シップ型
速力    10ノット
1892年時:8ノット
燃料    炭団:350,000斤
航続距離    燃料消費:37,000斤/日
または34,000斤/日
乗員    明治4年(1871年):275名
兵装    4.5インチ砲 6門
30ポンド砲 2門
24ポンド砲 2門
または
16cmクルップ砲 4門
鹿児島製14cm銅砲 6門
アームストロング野砲 1門
その他    船材:木
信号符字:GQBF

<出典:ウィキペディア「筑波」筑波 (コルベット) - Wikipedia

 

紹介は以上です。このような感じで、次回も続けます。

 

次回もお楽しみに。

 

エコノミライ研究所

所長 楊田芳樹

 

このシリーズ

【新シリーズ】大日本帝国の艦船_ー0001シリーズを始めるに当たって 2021-02-22 07:00:00

 

【新シリーズ】大日本帝国の艦船_0000艦艇一覧 2021-03-01 07:00:00

 

前のシリーズ

湯郷温泉てつどう模型館&レトロおもちゃ館に展示されていた世界の艦船から1米英 2020-12-14 07:00:00

 

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。

(中略)

なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦は艦名を斜体で表記する。」

(出典:ウィキペディア「大日本帝国海軍艦艇一覧」大日本帝国海軍艦艇一覧 - Wikipedia

 

このような記述を元に、歴史的に古いフネから、艦種ごとに紹介するスタイルにて始めさせて戴いています。

 

紹介する流れは、以下の通りです。

 

☆今回☆1    黎明期
1.1    軍艦
1.2    運輸船
1.3    その他
2    艦艇
2.1    軍艦
2.1.1    戦艦
2.1.1.1    一等戦艦
2.1.1.2    二等戦艦
2.1.1.3    等級廃止後
2.1.2    巡洋戦艦
2.1.3    航空母艦
2.1.4    巡洋艦
2.1.4.1    等級制定以前(スループ)
2.1.4.2    等級制定以前(コルベット)
2.1.4.3    等級制定以前(巡洋艦)
2.1.4.4    等級制定以前(戦利巡洋艦)
2.1.4.5    等級制定以前(装甲巡洋艦)
2.1.4.6    等級制定以前(防護巡洋艦)
2.1.4.7    一等巡洋艦(装甲巡洋艦)
2.1.4.8    一等巡洋艦(重巡洋艦)
2.1.4.9    二等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.4.10    二等巡洋艦(軽巡洋艦)
2.1.4.11    三等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.5    水上機母艦
2.1.6    水雷母艦
2.1.7    潜水母艦
2.1.8    水雷砲艦
2.1.9    通報艦
2.1.10    敷設艦
2.1.10.1    急設網艦
2.1.11    練習戦艦
2.1.12    練習巡洋艦
2.2    駆逐艦
2.2.1    等級制定以前
2.2.2    一等駆逐艦
2.2.3    二等駆逐艦
2.3    潜水艦
2.3.1    一等潜水艦
2.3.1.1    海大型潜水艦
2.3.1.2    巡潜型潜水艦
2.3.1.3    その他の一等潜水艦
2.3.2    二等潜水艦
2.3.3    三等潜水艦
2.3.4    第一次世界大戦戦利潜水艦
2.3.5    特殊潜航艇・特攻兵器
2.3.6    実験艦・計画艦
2.4    砲艦
2.4.1    河用砲艦
2.5    海防艦
2.5.1    旧定義艦
2.5.1.1    一等海防艦
2.5.1.2    二等海防艦
2.5.1.3    三等海防艦
2.5.1.4    等級廃止後
2.5.2    新定義艦
2.6    輸送艦
2.6.1    一等輸送艦
2.6.2    二等輸送艦
2.7    水雷艇
2.7.1    一等水雷艇
2.7.2    二等水雷艇
2.7.3    三等水雷艇
2.7.4    日清戦争戦利艇
2.7.5    昭和期の水雷艇
2.8    掃海艇
2.9    駆潜艇
2.10    敷設艇
2.10.1    二等敷設艇
2.10.2    三等敷設艇
2.11    哨戒艇
3    特務艦艇
3.1    特務艦
3.1.1    工作艦
3.1.2    運送艦
3.1.2.1    給油艦
3.1.2.2    給炭艦
3.1.2.3    給炭油艦
3.1.2.4    給兵艦
3.1.2.5    給糧艦
3.1.3    砕氷艦
3.1.4    測量艦
3.1.5    標的艦
3.1.6    練習特務艦
3.2    特務艇
3.2.1    掃海特務艇
3.2.2    駆潜特務艇
3.2.3    敷設特務艇
3.2.4    哨戒特務艇
3.2.5    海防艇
3.2.6    電纜敷設艇
3.2.7    潜水艦母艇
3.2.8    魚雷艇
3.2.8.1    試作魚雷艇
3.2.8.2    輸入魚雷艇
3.2.8.3    T-1型
3.2.8.4    甲型魚雷艇
3.2.8.5    乙型魚雷艇
3.2.8.6    隼艇
3.2.8.7    太平洋戦争戦利魚雷艇
4    特設艦艇
4.1    特設軍艦
4.1.1    特設航空母艦
4.1.2    特設水上機母艦
4.1.3    特設航空機運搬艦
4.1.4    特設巡洋艦
4.1.5    特設敷設艦
4.1.6    特設急設網艦
4.1.7    特設潜水母艦
4.1.8    特設水雷母艦
4.1.9    特設掃海母艦
4.1.10    特設砲艦
4.1.10.1    砲艦兼砕氷艦
4.1.10.2    砲艦大
4.1.10.3    砲艦小
4.1.10.4    砲艦兼敷設艦
4.2    特設特務艇
4.2.1    特設捕獲網艇
4.2.2    特設防潜網艇
4.2.3    特設敷設艇
4.2.4    特設駆潜艇
4.2.5    特設掃海艇
4.2.6    特設監視艇
4.2.7    特設工作艦
4.2.8    特設港務艦
4.2.9    特設測量艦
4.2.10    特設電纜敷設船
4.2.11    特設病院船
4.2.12    特設救難船
4.2.13    特設運送艦船
4.2.13.1    給兵船
4.2.13.2    給水船
4.2.13.3    給糧船
4.2.13.4    給炭船
4.2.13.5    給炭油船
4.2.13.6    給油船
4.2.13.7    雑用船
5    雑役船
5.1    工作船
5.2    海洋観測船
5.3    交通船
5.4    救難船兼曳船」

(出典:同上)

 

黎明期の軍艦
※明治20年まで、軍艦の正式名には「艦」が付く(和泉丸、河内丸、陽春丸を除く)。例「富士山艦」「摂津艦」など

0007富士山(富士 [I])
0012摂津 [I]
0002和泉丸(和泉 [I])
0004武蔵 [I]
0003河内丸(河内[I])
0020東(←甲鉄)
0013千代田形(千代田 [I])
0021春日 [I](→雑役船)
0010龍驤 [I]
0014第一丁卯
0015第二丁卯
0016乾行
0017孟春
0018雲揚
0050筑波 [I](→巡洋艦→三等海防艦)
0010浅間 [I]
0008清輝
0019雷電(←蟠竜丸)
0005陽春丸


海軍艦籍に入っているという資料もあるもの
0022延年丸
0023電流丸
 

運輸船
※初期の運輸船は兵装を持つ戦闘艦艇でもあるのでここに上げる。

0001朝陽丸
0024翔鶴丸(翔鶴 [I])
0009観光丸
0029飛隼丸
0030飛龍丸(飛龍 [I])
0006咸臨丸
0025鳳凰丸
0027立象丸
0030快風丸
0026開運丸
0028長鯨丸(長鯨[I])
0032大坂丸
0033虹橋船
0034行速丸
0035東京丸
0036第一利根川船(→第一利根川丸)(利根 [I])
0037高雄丸(高雄 [I])
0038第二利根川船(→第二利根川丸)(利根 [II])
0040沖鷹丸(冲鷹[I])
0041千早号(千早[I])
0039函容丸
0042樺太丸
0043華陽丸


練習艦
0044肇敏(←春風丸)
0045石川
0046館山(←第一回漕丸)

0047第二回漕丸

 

(出典:同上)
満珠型:満珠 [I] - 干珠 [I]
日清戦争戦利艦:敏捷


御召艦
0048迅鯨 [I](外海用御召艦)
0049蒼龍 [I](内海用御召船、蒼龍丸→蒼龍艦)