20191103津山まなびの鉄道館を訪問した思い出18鉄道車両個別紹介8DD15形機関車 | エコノミライ研究所のブログ

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DD15形

 

DD13形

 

左:キハ52形115号機

右:D51蒸気機関車2号機

 

キハ52形気動車

 

キハ28形気動車

 

左:キハ181形気動車

右:キハ58形気動車

 

キハ181形気動車

 

キハ33形気動車

 

 

毎週金曜日は

 

エコノミライ研究所と隣接する個人・団体・法人紹介

 

並びに名勝・史跡紹介

 

をさせて戴いています。

 

 

今回のシリーズも、2019年11月初旬に津山市を訪問した場所の紹介です。

 

鉄道ファンの方なら御馴染み(?!)津山市大谷にあるところの

 

JR津山線並びにJR姫新線の津山駅の隣に位置する

 

津山まなびの鉄道館

 

であります。

 

(出典:ウィキペディア「津山まなびの鉄道館」津山まなびの鉄道館 - Wikipedia

 

 

「津山機関区の施設として1936年に建設された扇形機関車庫が、津山駅に隣接した旧機関区用地で現在も使用されており、現役を引退した静態保存車両を展示する鉄道保存展示施設としても活用されている。

扇形庫は、奥行きが22.1mで17線あり、現存する施設としては京都市にある梅小路運転区(京都鉄道博物館)の扇形庫に次いで日本で2番目の規模である。また、経済産業省近代化産業遺産(対象は機関車庫と転車台)、社団法人土木学会が選定した「日本の近代土木遺産 −現存する重要な土木構造物2800選」および、岡山県教育委員会が選定した「岡山の近代化遺産」に指定されている。

  • 2016年4月2日 - 「津山まなびの鉄道館」としてリニューアルオープンした。
館内は扇形機関車庫、転車台、まなびルーム、あゆみルーム、しくみルーム、まちなみルーム、いこいの広場で構成されている。
国鉄C57形蒸気機関車68号動輪の展示や旅立ちの汽笛(D51形蒸気機関車755号機の汽笛)もある。
  • 2017年6月25日 - 来館者10万人を達成した。」

(出典:ウィキペディア「津山まなびの鉄道館」津山まなびの鉄道館 - Wikipedia

鉄道記念物

旧津山扇形機関車庫と転車台

 姫新線の全通にともなって1936(昭和11)年に津山駅の西側に設置された級津山扇形機関車庫は、竣工当時、機関車を収納する庫(くら)として17線を有し、また、収納された機関車を検査・修繕するためのクレーンやドロップピット、修繕室、鍛冶場、技工長質及び道具置場が設けられていた。同機関車庫は鉄筋コンクリート造で、当時の標準的なおうっ型機関車庫の設計が採用され、鉄道省による「扇形機関車庫設計標準図」に準じたものである。

 転車台は60ft(約18.3m)下路式で、機関車の方向転換と合わせて機関車を機関庫へ収納する時に使用された。

 当鉄道施設は、蒸気機関車全盛期において山陰と山陽を繋ぐ交通の要衝である津山駅に設置され、旅客と貨物輸送の物流を支えた我が国の「SL時代」を象徴するものと言える。また、蒸気機関車の基地として、その役割を終えた後も津山のシンボルとして地域から親しまれ続けた。2016(平成28)年より、構造物の保存・展示と合わせて鉄道文化を紹介する「津山まなびの鉄道館」として公開・活用されており、次世代への「鉄道文化遺産」を継承する好例である。

 

旧津山扇形機関車庫 1棟

転車台1機

付随する敷設路線敷及び施設

 

2018(平成30)年10月14日指定

西日本旅客鉄道株式会社

先ほど紹介したウィキ記事や公式HPによりますと

 

この扇形機関車庫は、1936(昭和11)年に供用開始され、現在に至っているとのこと。

 

この車庫に保管されている機関車は、現役を退いた車両ばかりだとおもいますけれども

 

蒸気機関車もあり

 

嘗て、日本全国で観られたディーゼル機関車

 

最近まで現役として頑張っていたであろう機関車

 

が展示されています。

 

先回より、収蔵されている機関車のプロフィール紹介を始めています。

 

今回紹介するのは、

 

この写真の一番左から2番目に位置するので、このアングルからはすこうし見辛いですが

 

国鉄DD15形ディーゼル機関車です。

岡山県南では、まず、見掛けることのない車両です。

 

時折、youtube動画にて「ラッセル車」とか「排雪」とかで検索して国鉄型ディーゼル機関車による排雪動画を見ることが、或る意味、快感だったりします。

 

不謹慎極まりないですね。スミマセン。。。

日本の鉄道は、複線ですと、左側を通行しますから、

 

「線路の外側に雪を掻きだす」ということは、

 

常に、向かって左側へと排雪することを意味しますから、

 

進行方向の右側の方が尖(とが)って居(い)ることまでは分かるのですが、

 

この写真の左側に見える、ポールの付いた遮蔽板(しゃへいいた)みたいな部品の使い方が、イマイチ、イメージできず、難儀しています。

ディーゼル機関車 解説案内

DD15形ディーゼル機関車

DD15 30

 DD15形は蒸気機関車とラッセル車を置換えるため、除雪用ディーゼル機関車として50両が製造された。

 

 当機はDD13形機関車の設計をベースにしている。

 

 前後に除雪装置を装備し、北陸本線などで使用していた。

 

 現在、除雪装置は片側のみ装備した状態で保存している。

 

DD15 30

・製造年:1964年 日本車両製造製

・全長:21,200mm/全幅:2,926mm/全高:3,880mm

・自重:62.00t

・軸配置:B-B

・機関形式:DMF31SB

・出力:500ps/1500rpm×2基

・最終配置箇所:富山地方鉄道部富山運転センター2011年廃車

・旧津山扇形機関車庫収蔵:2011年3月

排雪用部品は、片方、撤去されているとのことですので、長ーいはずの車体が、隣の車両よりも短く見えたワケですね。

 

それでは、いつものウィキ記事を読み解いていきましょう。

 

DD15形ディーゼル機関車(DD15がたディーゼルきかんしゃ)は、1962年(昭和37年)から日本国有鉄道(国鉄)が製造した液体式除雪用ディーゼル機関車ラッセル式)である。」

(出典:ウィキペディア「国鉄DD15形ディーゼル機関車」国鉄DD15形ディーゼル機関車 - Wikipedia

 

 

「概要
入換用ディーゼル機関車であるDD13形の111号機以降をベースに開発された除雪用ディーゼル機関車で、1962年から1966年(昭和41年)にかけて50両(1 - 46, 301 - 304)が日本車輌製造で製造された。

大型のプラウ形ラッセル装置を機関車本体の前後に装備する構造で、1両での除雪作業を可能とした。

従来の雪かき車キ100形・キ550形を機関車で推進していた作業法に比して、専用の車両や折り返し地点での方向転換作業を不要とした。

ラッセル装置を外せばDD13形と同等の入換機として使用可能であり、通年使用が可能な除雪車として車両運用効率の向上に寄与した。

ラッセル装置装着時の軸重が 15.5 t に達し、一部の線区で使用できないこと、ラッセル装置の脱着にクレーンを要し冬季は一般運用との兼用が困難であることから、ラッセル装置を台車つきの前頭車としたDE15形ディーゼル機関車が開発されるとともに製作を終了した。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化にあたっては、19両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に、13両が西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。」

(出典:同上)

「構造
機関車本体は中央に運転台を配し、前後のボンネット内に機器を収納する「センターキャブ」と称する方式で、外観や機器構成はDD13形と概ね同一である。

本形式特有の仕様として運転台のシールドビーム式補助前照灯・窓の雪切り・ランボード上のラッセル装置緊締用ブラケットなどがある。

ラッセル装置搭載による重量増加を考慮し、軽量化のため台枠の厚みはDD13形の200mmから150mmに薄くしたほか、燃料タンク容量は2,000 L から 1,500 L に縮小された。

駆動機関は直列6気筒ディーゼル機関・DMF31SB形(500 ps / 1,500 rpm)を2基搭載する。これはDD13形の7次車(111 - )に搭載された出力増強型と同一で、

振興造機製のリスホルムスミス式 (Lysholm - Smith) 液体変速機 DS1.2/1.35形・ウィングバネ式のDT113形台車もDD13形7次車以降と同一のものである。

初期型(1・2号機)では、雪かき主翼・フランジャー(2本のレール内の雪を削り取る装置)・補助翼の動作を空気シリンダーで行っており、前頭屋根上に主翼開閉用の大型シリンダーを載せていたが、

1972年に主翼の開閉のみ油圧作動に改造された。

3号機以降は主翼等の動作は全て油圧作動となっている。

42号機以降は、雪かき翼の開閉・フランジャーの上下動を地上の指示を元に自動で行うようになった。

1966年にDD13形の台車改良にあわせ、本形式も台車をDT113D形からDT113F形に変更した。

車両番号は300番台(301 - 304)として区別される。

ラッセル装置は進行方向の左側に除雪する複線形で、機関車本体の連結器と台枠上のブラケットを介して固定する。

脱着にはクレーンによる作業を要する。16号機と17号機は1968年(昭和43年)に新津工場で単線形のラッセル装置に改造された。」

(出典:同上)

「現況
本形式は軸重が重く入線区間は制限されるが、これは除雪作業中の脱線防止には有利に働く。

また、除雪時の方向転換や作業点検も簡便であることから、ラッセル式除雪車両としてDE15形が主流となって以降も、除雪専用機として重用された。

一般の列車牽引に用いる用途が途絶したため、除雪装置の着脱は通常行なわれなくなり前述のヘッド着脱に関する手間の問題は事実上消滅した。

だが、これは冬季以外の時期は全くの遊休車両となることを意味する。除雪以外では、まれに臨時列車の牽引に用いられる事例もあった。

製造から40年以上が経っており老朽化が激しくなったため、JR東日本ではENR-1000形投排雪用保守用車の導入で2010年までに全機が廃車となり、JR西日本ではキヤ143形による置き換えが進められた。

2013年4月時点では、JR西日本富山地域鉄道部に5両(11, 13, 14, 15, 31)、福井地域鉄道部に2両(10, 39)が在籍していたが、2013年7月に39が廃車、2017年3月に10, 13, 14, 15, 31の5両が廃車されている。

最後まで残っていた11も同年6月30日付で廃車され、廃形式となった。」

(出典:同上)

既に、全車両退役したモデルですが、全国で3両、保存されているうち、

 

本州以南で保存されているのは、ここ、津山まなびの鉄道館に収蔵されている

 

DD15 30号機

 

のみであります。

 

冬場の雪で悩まされる地域の鉄道環境を守るため、約40年の長きに亘り活躍してきたDD15形

 

影の立役者として相応しい、一両であります。

 

 

これだから、鉄道ワールドは面白い。

 

楊田は決して、「鉄オタ」と自称する領域に達することはできませんが、理解しようとは、思っています。

 

(なんだか、先日まで放映していた朝ドラで登場した俺たちの菅波センセみたいになってしまいました。失礼。。。)

 

 

次回も

 

鉄道車両の個別紹介を続けます。

 

 

JR津山線津山駅の隣にあるところの

 

津山まなびの鉄道館

 

是非ぜひ、ご来場あれ!

 

但し、COVID-19対策は万全にお願いします。

 

(三密を避け、手洗い嗽(うがい)の励行、マスク着用、疲れすぎない、などです。)

 

 

 

昨年に続いてCOVID-19に翻弄された2021年も、終わり新たな年を迎えました。

 

2022年も、どうぞ、よろしくお願い致します。

 

 

   所長 楊田芳樹

 

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